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村島帰之の労働運動昔ばなし(第24回)

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「野良猫」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza/rakuten.co.jp/40223/)



村島帰之の労働運動昔ばなし(24)

『労働研究』(第141号)1959年11月号連載分


              第四回 友愛会長と友愛婆さん


               大師は弘法、会長は鈴木


 今なら労働運動の英雄として参議院議員にでもなっていたであろうと思われる神戸大争議の指導者野倉万治氏が、騒じょう事件の首魁として二年半の刑期をすませ帰ってきた時、広い神戸で彼を雇入れようという工場主はI人もなく、やむを得ずブラジル移民団に加わって神戸の地を去った。

 そして家族の病気のためサンパウロの移民収容所に滞在中、ある日、参観に出たおえら方の中に、なつかしい巨漢の横顔を見出して思わず「会長!」と呼びかけた。呼ばれた巨漢は野倉氏の方をふり返った。やっぱり、友愛会長鈴木文治氏であった。二人は奇遇を喜 び、泣き、手を握って、暫らく語りあったという。

 会長は浜の真砂ほど多い。しかし野倉氏をはじめ大正初期の友愛会の人々にとって、「会長」は鈴木文治のほかになかった。それは大師といえば弘法大師にきまっているようなものだった。わたしなども直接その傘下の者ではなかったが「鈴木さん」などと呼んだことはなく、いつも「会長!」と呼んでいた。今でも「会長」と聞くと、ふと鈴木氏を思い起すことがある。

 前にも記したように、神戸の熟練工は移動が少く、従って同じ友愛会でも東京などとは違って、幹部の顔触れが十年一日の如しといえるほどの古顔ばかりだった。それだけに鈴木会長とはなじみが深く、氏も神戸へ来ると、東京の本部よりも却ってうちくつろぐことができたようで、汽車中の睡眠不足をとりもどすため、事務所の二階で高いびきで仮睡して、幹部たちが工場の仕事を終えて事務所に集まって来るのを待った。

 鈴木氏のデブデブと肥えたからだと色白の上に赤らみを帯びた坊っちやん顔は、同じニコニコ顔でも使用者側の松方幸次郎氏のサムライ大将といった、人を威在するようなエビス顔とはおおよそ対蹠的で、むしろ、鈴木氏の方が親ゆずりの会社重役で、松方氏がファイトに満ちた労働組合の会長といった印象をうけた。それほど、鈴木氏は温かみのあるアットホームな人で組合員から「会長会長」と親しまれたこともふしぎではなかった。

    (つづく)

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