スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

村島帰之の労働運動昔ばなし(第25回)

1


「高松城跡:披雲閣」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)



村島帰之の労働運動昔ばなし(25)

『労働研究』(第141号)1959年11月号連載分


              第四回 友愛会長と友愛婆さん

      (前回の続き)

                 労働者への思いやり


 鈴木氏は九郎判官義経を東国へ案内した金売吉次の出生地宮城県金成村の産、七才の春にニコライ派グリーキ・カソリックのハリスト教会で洗礼をうけたという生えぬきのキリスト教信者、もちろん一家をあげての信者だった。

 この点は賀川豊彦氏といささか違っている。賀川氏は扶桑教を信仰する父の庶子として生れ、少年時代にキリスト教に導かれ、家人の目を忍んで教会に通い洗礼をうけた。教派もプロテスタントで、鈴木氏とは新旧の差があった。

 しかし、鈴木氏も賀川氏も地方の旧家に生れて、いわゆる毛並みはよかったし、中途から家運が傾いて、中学以後は苦学した事もふしぎに似ている。

 鈴木氏は旧制の山口高校に入学したが、学資も不足がちで、制服は辛うじて買ったが外套までは手が届かず、寒い日にはふるえていると、先輩の筧正太郎氏が卒業に当って自分のお古を譲ってくれた。靴は鈴木氏の大足のためお古拝領ができず、仕方がないので兵隊の古靴を二十五銭で買った。

 また東大へ進学する時も同様で、制服正帽が買えずにいると、中学時代からの先輩であり、親友だった吉野作造氏が角帽を、また郷党の先輩内ケ崎作三郎氏が制服を、それぞれお古を下げてくれた。

 もちろん、アルバイトは玄関番・家庭教師・筆耕・願訳・日曜学校の留守居・夜学教師等から、雑誌「新人」の編集までいろいろして学資をかせいだ。

 こうした苦学をした鈴木氏だったから、労働者に対して思いやりも深かった。それに幼時からつちかわれたキリスト教の人類愛の精神が加わって、弱い者の昧方になろうという信念ができあがっていた。

 これは、鈴木氏が開拓者として苦闘十年、基盤のできあがった頃、大学を出て労働組合に飛びこんで来た若きリーダーたちの持っていたイデオロギーといったものからは程遠く、もちろん、理念としては底のないものだった。

    (つづく)

スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

keiyousan

Author:keiyousan
このブログのほかに同時進行のブログもうまれ全体を検索できる「鳥飼慶陽著作ブログ公開リスト」http://d.hatena.ne.jp/keiyousan+toritori/ も作ってみました。ひとり遊びデス。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。