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村島帰之の労働運動昔ばなし(第26回)

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「高松城跡・披雲閣の庭園」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)



村島帰之の労働運動昔ばなし(26)

『労働研究』(第141号)1959年11月号連載分


               第四回 友愛会長と友愛婆さん

      (前回の続き)

                  大杉栄氏の悪罵


 鈴木氏の創立した友愛会が大正初期のほとんど唯一の労働組合としてその綱領の示す通り「穏健着実」な戦法で労働者の地位の改善を図り着々組合の勢力を拡大して行くのを見て、無政府主義者大杉栄氏は、雑誌「近代思想」?で鈴木氏を酷評していたのをわたしは、ハッキリ覚えている。

 「鈴木君の友愛会の成功は、つまるところ、鈴木君がバカだからである」

 ずいぶんと人を食った大杉氏らしい悪罵であるが、これは鈴木氏にはこれというイデオロギーがないということを皮肉ったのに違いない。

 しかし、友愛会の創立は幸徳秋水らのいわれる大逆事件のすぐあとのことであって見れば、イデオロギーのハッキリした組合運動だったらその成立すらあやしかったであろう。たとえ大杉氏から「バカ」と罵られようと、鈴木氏の友愛会は処女の如きスタートを切ったのでよかったのだと思う。

 大杉氏が鈴木氏を悪罵したのは、もちろん、その無思想性にあったのだろうが、それにも増して大杉氏が、がまんのできなかったのは、鈴木氏が資本家や官憲と摩擦なしに仲よくやって行ったその態度にあったのではないかと思う。

 大正四年にアメリカで日本移氏の排斥問題が起り、これが緩和のためには日本の労働者の代表者が渡米し、米国の労働組合代表と話しあうのが最も良策ということになって、鈴木友愛会長は重責を負うて渡米した。

 その時のスポンサーが実業界の大立物渋沢栄一男で、これを契機に渋沢男との関係ができ、その後も度々渡米した。こうしたことが大杉氏のお気に召さなかったに違いない。

 鈴木氏は大正四年の最初の渡米の時、全米労働者大会に出席して米国労働総同盟(AFL)のゴンパース会長と壇上で握手し協力を誓いあったが、その大会のあとで、ゴンパーズは鈴木氏にこう聞いた。

「君は今までに何度監獄にブチこまれたかね」

 鈴木氏はあのポチャポチャとした顔を赤らめて答えた。

 「いいえ、まだ一度も……」

 この話は全米労働者大会の土産に「ストライキ」の画とI諸にわたしに聞かせてくれた内所話だから間違はない。

 あの頃の各国の労働運動の闘士はその後数年の日本の場合と同様、監獄にぶちこまれるのが日常茶飯事で、むしろ勲章をもらったようなものだったが、鈴木氏は不幸にして(?)その勲章をもらっていなかったのである。いいや、前後二十年にわたる友愛会長としての戦いについぞ勲章は頂かずに終ったのである。


    (つづく)


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