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村島帰之の労働運動昔ばなし(第27回)

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「曼珠沙華」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)



村島帰之の労働運動昔ばなし(27)

『労働研究』(第141号)1959年11月号連載分


                第四回 友愛会長と友愛婆さん

      (前回の続き)

                  熱心家揃いの神戸友愛会


 鈴木氏はキリスト教的人道主義の立場をとって暴力を否定し、また「労資の対立は認めるがそうだからといって、資本家を悪魔のようにいう考え方にはわたしは同調しかねる」といっていたほどだから、監獄に縁の遠かったのも当然であろう。いいや、鈴木氏ばかりでなく、初期の友愛会のリーダーはほとんどみなクリスチャンだったから、おのずから友愛会全体が穏健着実な行き方をしたのだともいえよう。

 鈴木会長と最も親しみの深かった神戸の友愛会員が、それだけ多く鈴木氏の感化をうけて、健実な歩みをしたことも当然だった。加うるにさきには山県憲一氏、後には賀川豊彦氏といういづれも鈴木氏と同じキリスト教信者を指導者に得たため大正十年の大争議で検挙者百七十名、内起訴されたもの野倉氏ほか五十六名という大きな犠牲を出すまでは、「勲章」をもらった者は絶無であった。

 しかしこれは神戸の労働者が意気地なしだったということを意味しなかった。ただ、『大地にしっかと足を踏みしめて、仮そめにも軽挙盲動をしなかったからだといいたい。

 神戸の友愛会の幹部は熱心家揃いであった。工場の仕事が忙しく残業続きだったにもかかわらず、機関誌配りや、会費集めや、演脱会のビラ貼りにその余暇のほとんど全部を費やした。

 殊に厄介だったのは会費集めで、今日のように会社が代って月給から差引いた上、一括して組合に交付してくれるというような結構なことはなかったので、なかなか会費の寄りがよくなかった。従って本部の方でも支部からの送金がないため雑誌の印刷代が払えず、出来上っている機関誌も発送不能という事がよくあった。

 そうした時、鈴木会長は一帳羅のフロックコートや時計を七ツ屋へもちこんで、やっと印刷代を払い、急いで雑誌を発送するというようなこともあった。そうしたことを聞くと、熱心家揃いの神戸の幹部は一層一生けん命になって会費集めに努力した。

 鈴木会長は神戸の方を向いて「たよりにしてまっせ」といったか、どうか、そこまでは知らない。

    (つづく)


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