スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

村島帰之の労働運動昔ばなし(第28回)

1

「ムラサキシキブ」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)




村島帰之の労働運動昔ばなし(28)

『労働研究』(第141号)1959年11月号連載分


                第四回 友愛会長と友愛婆さん

      (前回の続き)

                  賀川氏の会費値上げ提案


 その後、友愛会は加速度で伸びて行った。神戸は殊にその伸び方が速く、川崎造船所の本工場を根城として大正四年に誕生した神戸分会は、間もなく神戸・相生両分会にわかれ、大正六年には再び合同して会員千名を越える神戸支部が結成された。

 神戸製鋼所や川崎分工場の葺合支部もこれにつづき、その他三菱造船所を根拠とする兵庫支部、市電湊川発電所を中心とする尻池支部、橋本汽船の刈藻島支部などがクツワを並べて、神戸は友愛会の金城湯池の感があった。

 殊に神戸の友愛会として最も力強さを感じたのは大正六年春、賀川豊彦氏がアメリカから帰朝し、その足でまた元通り葺合新川の貧民屈に住み、同時に、友愛会の運動に力を注ぎ始めたことであった。

 賀川氏がキリスト教伝道と貧困者救済の仕事のほかに労働運動に協力するようになったのは、貧しい人たちを真に救うためには、まず彼らに組織を与えて、自力で立ち上らせるほかはないと観じたためであるが、直接の動機は、アメリカの留学を終え帰朝の途中、オグデン市で船賃稼ぎのため同地の日本入会書記をしている時、モルモン宗の地主に苦しめられていた日本移民に小作人組合を組織させ、その代弁者として、使用人側の白人と折衝し、見事に要求を貫徹したことにある。

 賀川氏はこの体験から、労働団結の必要を痛感して日本へ帰ってきたのである。それで氏は単に友愛会の演説会に出るだけでなく、役員会にも出席して何くれとなく世話を焼いた。

 賀川氏は運動を強化するためにはもっと組合の財政をゆたかにせねばならぬといって、その時まで十銭だった会費を二十銭に値上げすることを神戸支部の役員会で提案した。(その時、賀川氏は同支部評議員だった)

 しかし、この賀川氏の提案には賛否相半ばし、投票の結果十八対十三で可決されたが、それでもなお実施期日について議論が沸騰し、当分保留という者十五名、二カ月後から実施せよという者も十五名で、結局、議長(木村錠吉氏)の発言で三ヵ月後から実施ということに決した。これを見ても会費集めということが如何にめんどうで、値上がどんなに困難であったかが察せられる。

   (つづく)


スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

keiyousan

Author:keiyousan
このブログのほかに同時進行のブログもうまれ全体を検索できる「鳥飼慶陽著作ブログ公開リスト」http://d.hatena.ne.jp/keiyousan+toritori/ も作ってみました。ひとり遊びデス。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。