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村島帰之の労働運動昔ばなし(第30回)

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「出石そば:出雲」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)



村島帰之の労働運動昔ばなし(30

『労働研究』(第141号)1959年11月号連載分


                第四回 友愛会長と友愛婆さん

      (前回の続き)

                  ハッピを着て旗行列に


 こうして社会情勢が大きく動き出した時は、第一次欧洲大戦が終って、神戸市で催された、休戦祝賀会や旗行列には、神戸の友愛会員が揃って参加した。

 茶目ッ気のある久留弘三氏とわたしは、毎日新聞の配達のハッピを着用して出かけた。その時の写真が残っているが、一つはハッピ姿の二人のあいだに賀川氏がエクボの笑顔を見せているもの、他の一つはその頃、賀川氏のもとで診療に従っていた馬島僴氏、賀川氏の一の弟子の武内勝氏、それから若手の友愛会員の和田惣兵衛氏や胸永太助氏も写っている。賀川氏の三十才を筆頭に、他はみな二十台またはそれ以下の若者ばかりだった。


         写真 第一次大戦の休戦祝賀行列の日(大正8年)


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      前列左より 村島 久留 和田 賀川  後列左より 武内 馬島 胸永


 休戦に伴って平和会議がパリのべルサイユ宮殿で開かれ、西園寺公望候と牧野紳顕伯は日本全権として渡仏したが、そのお供の中に、お花さんという女性のいることが新聞紙を賑わした。

 その時、平和会議に併行して開がれる世界労働者大会に日本代表として出席するこ鈴木友愛会長もその一行より少し遅れて渡仏することとなった。

 大正七年もあと二日と迫った日、鈴木会長は横浜を出発したが、その際、わざわざ見送りに出かけた神戸連合会代表が読みあげた決議文は次の如くであった。

      決議

 神戸連合会代議員ハ鈴木会長ガ世界労働者大会二左ノ挨拶ヲセラレンコトヲ要求ス

 我等労働者ハ世昇二於ケル永久平和ヲ要求シ、ソノタメ二万国ノ労働者ガー致協力セン コトヲ希望ス、又皮膚ノ色ニヨリノテ人類ヲ区別セズ、各国民族二均等ノ労働権及ビ移民権ヲ附与シ、今日ノ資本家文化二代リテ労働者ヲ基礎トセル文化ノ一日モ早ク建設セラレンコトヲ要求ス
 大正七年十二月二十六日
                       神戸連合会代議員会

 いうまでもなく、この一文は賀川氏の起草になるもので、永久平和といい、皮膚の色による人種差別の撤廃といい、賀川氏らしい用語である。

   (続く)



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