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村島帰之の労働運動昔ばなし(第33回)

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「秋の夕暮れ」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)



村島帰之の労働運動昔ばなし(33

『労働研究』(第143号)1960年1月号連載分


              第五回 神戸新川における賀川豊彦

                 神戸から出発した世界の人


 カガワ・ストリートという町がロサンゼルス市の郊外にできている。わたしは先年、賀川氏と一しょにそこを訪れた。また米国のハイスクールの副読本に「カガワ・イン・スラム」の一章がのっていた。大学での研究課目にもカガワ研究を選ぶ学生が多くなり、クヌーテンという元日本に来ていた宣教師のごときは「賀川豊彦と近代日本の諸傾向」という論文を書いて南カリフォルニア大学から博士号をもらった。(このクヌーテンの論文はわたしが補筆して日本語に訳して出版した)

 こんなわけでカガワ・トヨヒコの名は、日本よりもむしろ米国をはじめ諸外国で有名である。もっとも、日本でも近ごろ賀川研究を志す人がふえて来て、中でも、同志社大学では最近海外の大学から研究費の補助をうけ、篠田一人教授を主班として賀川研究が進められている。

 これほどまでに賀川氏が日本ばかりか世界的に有名になったのは、氏のすぐれた学識や篤い信仰や精神・社会両面の働きによるのだが、元はといえば、氏が二十才の暮から三十四才の夏、震災救護のため上京するまでの十数年間にわたる神戸の貧民窟、葺合新川部落での働きにその端を発していることは何人も異議のないところであろう。

 そしてこの何人も真似のできない献身的な奉仕と驚くべき働きとが、氏の小説「死線を越えて」に活写され、日本の青年の心をゆすぶり、さらにこれが世界各国に翻訳され、宣伝されてイエス・キリストを現代に受肉し実践する人として、その名は地球上に広く著聞するに至ったのである。

 「死線を越えて」のことは後段に記すこととして、「死線を越えて」が世に出ずる前、まだ無名で貧民窟(言葉としては不適当だ。以下スラムと呼ぶ)のドまん中に住んでいた頃の賀川氏をまず書いて見よう。

 わたしは前に記したように、大正六年七月にはじめて洋行戻りの瀟洒な賀川氏に会い、その後暫らくして、友愛会から演説を頼まれ神戸へ出かけた帰途、新川のスラムに賀川氏を訪れた。

 その時の印象を拙著「ドン底生活」(大正七年一月刊)に書いているので最初にそれを抄録し、併せてぞの後、毎日新聞に連載した「貧民窟十年」の中の挿話を書添えることとする。

    (つづく)


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