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村島帰之の労働運動昔ばなし(第35回)

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「神戸・賀川記念館界隈」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)



村島帰之の労働運動昔ばなし(35

『労働研究』(第143号)1960年1月号連載分


             第五回 神戸新川における賀川豊彦

      (前回に続く)
  
                  新川部落の印象


 神戸の都心から新生田川(今は川に蓋をして大道路になっていると思う)のその名からしてさびしい日暮橋を東へ渡ると、そこには前に海をひかえ、背後に再度山を負った「葺合新川」の一劃が展開された。

 見ると、よくもこうまで揃ったものだと思われるほど小さな平家建の長屋が縦横につらねられている。わたしたちは南本町四、五、六丁目、北本町二、四、六丁目、吾妻通五、六丁目と順次に見て行った。

 賀川氏の説明によると、約五町四方のこの界隈だけに、約二千戸の家があり、約八千人がゴチャゴチャと住まっているという。東京や大阪のスラムに比べて人口密度は遥かに高い。

 この密集地帯の住人の職業は沖仲仕・人夫などの日傭取りをはじめ下駄直し・くずひろい、それに乞食は全市の大半がここから出るという。収入はもちろん不定で、雨風の折はノーチャプの日がつづく。

 ノーチャプは説明するまでもなく、無収入のためメシにありつけない日のことである。その代り物資も零細な単位で買うことができた。だしじゃこ、めざしは一銭から売ってくれるし、炭も一山二銭から買えた。(もちろん、くず炭である)

 また家賃も日掛けで、一戸――といっても二畳一間からせいぜい三畳だが――一日大体五銭を管理人が毎日集めてまわる。結局、見栄も外聞もいらないハダカ天国であり、天下泰平のオンボロ入生の縮図で、むしろ一般社会よりは住み心地がよい――と賀川氏はスラム生活を礼讃する。

 近道を知っている賀川氏はここの路地、そこの横丁とずんずんわたしをひっぱって行く。どこへつれて行かれても、氏を見失ったら最後迷い子になるほかはないのだから、家来のようについて行くと、漸次氏の勢力範囲に入ったらしく、物置のような家から蓬髪の女やトラホームらしい目をしたこどもがあいさつをする。

 「お父っつあんの病気はどうや。薬がなくなったらとりにおいで」と氏もじょさいなくそれにこたえる。

 手をのばすと向い同志で握手のできそうな路地をへだてて十五軒ぐらいずつの長屋が規則正しく(この形容詞はここ以外に必要はない)並んでいるが、その道の両側の溝には何十日放ってあるのか知れない不潔物が腐水の中によどんでいる。

 その上、家の密集した「太陽のない街」は常にじめじめとしていて、何のことはない長屋全体が一つのハキダメである。

 住民の服装はボロというに尽きる。ことに夏ともなると、こどもは丸はだか、女は腰巻一つで白昼、表を歩き、男は風呂へ行く時など手拭一本のほかはI糸もまとわずアダムのような姿のハダカ天国だという。

    (つづく)


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