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村島帰之の労働運動昔ばなし(第37回)

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「関金(せきがね)の出身の漫画家・前嶋さんの作品:関金温泉にて」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)



村島帰之の労働運動昔ばなし(37

『労働研究』(第143号)1960年1月号連載分


               第五回 神戸新川における賀川豊彦

      (前回に続く)
      
                   バクチとケンカと殺傷


 わたしたちは無数の路地を歩き廻ったが、至るところで見てはならない場景を見た。それは路地のあいだに天幕というほどではないが覆いをはりめぐらせてバクチを開帳しているのだっだ。

 あっちでも「ヤソの先生か」と警戒する色を見せずに勝負を続けた。賀川氏が説教じみたことをいわず「またバクチかね、しょうがないね」というと「しょうがないなァ」と答える者もあるが、ただエヘヘヘと笑っている者もある。

 ある長屋の一隅では女ばかりで丁半を争っていた。「ここは女ばかりかね」というと「ヘエ、オナゴ島だんね」と洒蛙々々と答える。「しょうがないねえ」といえば「ちょっと無尽をしてもろてまんねが」と平然と答えるのもいた。

 酒と女とそしてバクチ、この三つが彼らの娯楽の全部だが、その中でもトバクは社交性もあり、そのスリルに富むとあって、モウケが多かったからといっては丁半をやり、雨が降ったからといっては花合せをする。

 殊に当時は第一大戦のもたらした景気がこのドン底社会をもうるおして沖仲仕などどなると収入も割合に多く、二、二二日働いては休んで、金のなくなるまでバクチをうち、財布の底が空になるとまた働きに出てバクチの資金を作って来る。それでバクチは例年よりも多く、時には大規模なチーハー賭場も行われるという。「バクチはとても絶滅は期し難いでしょう」と賀川氏もサジをなげていた。

 しかし、このバクチの果てが一家の悲劇を生み、また喧嘩や殺人傷害事件をさえ起すのだから放置するわけにも行かぬので困っているとのことだった。

 喧嘩は毎日のようにあるという。氏から約一ヵ月にわたって近所百軒あまりの家の喧嘩の日記をつけたところ、合計三十三件、つまり毎日一件はとこかの家で喧嘩があった勘定になる。

 喧嘩の仲裁に出るのはなかなか大変で、上方の喧嘩の仲裁には小指を切って渡すという古風な風習さえあったというほどだ。中には母親に亭主をとられるといって、母娘のあさましい喧嘩もあるという。
           
 ケンカの果ては殺傷事件が起った。賀川氏が新川へ来る前年にはこの界隈だけで十件の殺人事件があったという。現に氏が借りている家も、わずか二十銭の祝儀のことからケンカをして斬られた男が帰って死んだ家である。その他ニワトリの頭一つのことで隣家の男を殺したり、女房とあやしいといってヤキモチから殺すというのもあった。

 また十四才になるこどもが同じ年頃の子を殺したこともあった。妻のケンカを買って出てあいてを殺したのもあった。バクチ場で勝ったからといって帰るのは卑怯だといって殺したのもあった。賭博場へ寺の坊主が案内しなかったといってその坊さんを殺したのもあった。

 こうしたいのち知らずの多くいる中で住む賀川氏の日々は全く薄永を踏む思いがするだろうと聞くと、賀川氏は「こわいと思えばこんなところへは住めませんが、しかし、そんな怖しい人間ばかりがいるわげではなく、一般社会では見られぬような美しい人情があって慰められることも多いのです」と答えた 。

 こうしていろいろの驚くべき場景を見聞して歩いて行くうち、わたしたちはいつか賀川氏がそれまで十年近く住んでいた北本町の長屋に来た。

       (つづく)
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