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村島帰之の労働運動昔ばなし(第38回)

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「母校・鴨川中学の校歌」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)



村島帰之の労働運動昔ばなし(38

『労働研究』(第143号)1960年1月号連載分


               第五回 神戸新川における賀川豊彦

      (前回に続く)
      
                   オンボロの賀川御殿


 賀川氏が住まっていた長屋を読者はどう想像されるだろうか。間口は一戸当り二間とはない。表は路地に面して古色蒼然たる形ばかりの格子がはまっていて、触れたら手にトゲが立ちそうだ。入口は物置のような半間の板戸があるだけで、はいると半畳ぐらいの土間。そこに立つと、賀川御殿が目の中にはいってしまう。

 賀川家ははじめはただ三畳一間だけだったが、寄食者がふえるに従って隣家を借り足し、壁をぶちぬいて今は三畳づつ三間が一軒になっている。しかし天井は低く垂れさがり、それも隙間だらけ。戸じまりなどの戸はむろんない。昼夜とも破れ障子だけである。

 「ものを盗まれませんか」ときくと、賀川氏は「盗まれますよ、しかしふつうの盗難は衣類や贅沢品ですが、此処にはそのものはないので、台所用品が盗まれます。洗面器など、今朝ぼくが使ったばかしだのに見えないので捜すと、隣家で洗だくに用っているといったあんばいです」と笑う。

 三部屋のうち、奥の一室は氏がはじめて此処に住んだ時の家の、前述のように人殺しが此処で行われ、ゆうれいが出るといって借手がなかった家だが、賀川氏が入ってからは幽霊も敬意を表してあらわれないので説教所に充てられ、壁の黒板には聖書からぬいた聖句が書かれてあった。

 中の部屋には粗末な椅子と机。この机の上で、氏の名著「貧民心理の研究」が書かれたのだった。どの部屋も装飾一つなく、貧民窟のキリスト教伝道所と知らぬ者は、農家のガラ空きの納屋と思うに違いない。

 氏はこの家に自ら住むだけではなく、寄るべなき人々を寄食さぜて来た。乞食・ゴロツキ・半身不随の女・淫売婦・狂人・嬰児――その種類は雑多で、ゴリキーの「夜の宿」の客よりも数段下層の人々ばかりである。

 賀川氏はこの家に住込んだ夜、一番最初に宿を乞うたのは見るからにきたないヒゼン患者だった。さすがの氏もちゅうちょしたがこれも神の試練だと考えて喜んで一しょに寝た。果して翌朝には氏はヒゼンに感染していた。賀川氏の新川での最初の収穫はこのヒゼンだったのである。

 寄食者はヒゼン患者を手初めに入替り立替り来て貧客万来、不良少年や乞食をはじめ、中には梅毒にかかった売春婦もいたし、末期の症状の結核患者もいた。

    (つづく)



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