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村島帰之の労働運動昔ばなし(第43回)

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「故郷の庭」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)



村島帰之の労働運動昔ばなし(43

『労働研究』(第143号)1960年2月号連載分

               第六回 大正6年の三菱争議
                   ―主役を演じた3人の基督者

  
  (前回に続く)
      

                松岡駒吉の開拓者としての苦行


 ここで、少しく松岡駒吉について記して置きたい。

 松岡は温泉の里として知られた鳥取県岩井の産、北海道室蘭製鋼所の旋盤工であった。大正二年、三木治郎(後の参議院副議長)が東京池貝鉄工所から室蘭製鋼所へ転じて友愛会の支部を作るや誘われて入会し、その会計を担当した。

 松岡の才能は忽ち顕れて、全国に率先して「労働会館」の設立を見た。今でこそ労働会館は各地に建てられて左程珍しくはないが、四十年前まだ労働運動の頗る幼稚だった頃、早くもここに着眼し、労働組合の乏しい財政の中からこれを創立したところ、只だ者でなかったことが知れよう。

 間もなく松岡は室蘭製鋼所の争議にリーダーとして活動したところから型の如く馘首された。そこで待ってましたと許り、友愛会本部員として抜かれ友愛会の事務を執っているうち、大阪聯合会の結成と共に主務として大阪へ送られて来たのであった。

 筆者はその大阪赴任と共にじっ懇になった。松岡にとって、恐らく関西では筆者が最も古い友人だったであろう。松岡主務の来阪した翌月すなわち大正六年七月に、大阪の友愛会関西支部に争議が起きた。

 大阪府西成郡豊崎町(現在の西淀川区豊崎町)の日本兵器製造会社工場ではロシヤ政府からの注文で、信管の製造をやっていたが、その製作の一段落を告げると共に職工七百余名の一斉解雇を断行し、その際、会社が職工に支払う共済積立金に対する疑義から争議が起ったのだ。

 松岡主務は会社に談判に出かけた。その頃、まだ大阪に幾台とはなかった自動車に乗って――というと豪勢だが、筆者が乗る大阪毎日新聞社の自動車に同果してである。しかし、この争議は結局法律問題だけを後に残してうやむやのうちに終った。罷工に這人ろうにも、一斉解雇の後だから何とも仕方がなかったのである。


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                         松岡駒吉


    (つづく)

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