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村島帰之の労働運動昔ばなし(第44回)

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「ミニバラ:市民花壇3回連続努力賞の副賞」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)



村島帰之の労働運動昔ばなし(44

『労働研究』(第143号)1960年2月号連載分

             第六回 大正6年の三菱争議
                 ―主役を演じた3人の基督者

  
  (前回に続く)
      
                  主務給だけでは食えぬ


 この争議の結果、関西支部は事実上消滅した。みんな解雇になったからである。もちろん、友愛会は関西支部だけではなかったが、松岡は退勢挽回に大いに努力すると共に、主務の俸給――二年後に西尾末広が主務となった時には六十円だったから、松岡はまだそこまではもらっていなかったに違いない―-を減らした。それでなくても薄給の彼だ。生活は窮乏の極に達し、食事を二度に節約し、その二度の食事も減食したり、香の物ばかりにしたりした。筆者は「それではからだが持たぬから」といって反対したこともあった。

 その結果、松岡はある保険会社の外交員をして収入の道をはかり、友愛会の負担を軽くした。夕方、外交から疲れて戻って来ても一息入れると直ぐ友愛会の事務をとる。支部を訪ねる。演説会に出かける。という八面六臂の活動振りであった。

 その頃誕生した長男洋太は昭和三十年九月、三十代の若さで父に先立って昇天した。その時わたしは大阪時代のことを回想し、悔み状を出した処、折返しこまごまと心境を書きつらねた返事をくれた。その手紙にこんなことが書いてあった。

 「耐えられない試練を、神はわれわれに課し給わないということを私は深く信じていま す。ですから、この度の如き苦しみに会っても、まだまだこれ以上の苦しみもあるのだと 思って耐え通すことができました。人々から理由のない迫害を受け、嘲けられ笑われつつ 十字架につけられたキリストの苦しみは、ナザレの大工イエスを神の子としたのです。こ れから先も主の十字架を仰ぎつつ私はすすみます」

 松岡は多年、労働運動の陣頭に立って来たが、キリスト教信仰を失わなかった。松岡の若い日、信仰に入った動機は甚だ興味深い。彼の衆議院議長時代、品川にあった旧北白川官邸の議長公舎で私に語ったのを筆記し、キリスト教関係の新聞にのせたのがあるので左に抄録してみる。

    (つづく)


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