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村島帰之の労働運動昔ばなし(第51回)

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「神戸・宇治川ぶらり散歩」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)



村島帰之の労働運動昔ばなし(51

『労働研究』(第149号)1960年7月号連載分

  第七回 「死線を越えて」の裏話
       ―賀川豊彦追想録―


   (前回に続く)
   
               舞台に上った「死線」


 小説の売行の素晴しいのを見て、これを舞台化する者も出て来た。争議の済んだ3ヵ月後の12月に東京では伊井蓉峰、関西では少し遅れて沢田正二郎及び生命座の連中がこれを上演した。

 神戸の中央劇場で沢田が「死線を越えて」を上演した際には、新川の貧民窟のゴロツキ連も、噂を聞いて見に行った。そして自分達らしい人物が舞台に活躍しているのを見て、早速尻をまくって賀川の前に坐り込んだ。

 「先生、あんたはわし等の事を小説に書いて、百両(彼等は百両を最も大きい金額と心得えていたらしい)も儲けたというやないか、割前を出せッ」と脅迫し、はては短刀を閃かして賀川及び夫人を追いまわし、春子夫人は彼等の鉄拳を頭上に受けて負傷するという騒ぎさえあった。

 私は葺合新川のスラムには、氏の案内で度々足を踏入れ、氏が9年8ヵ月の永きに亘って住んだ二畳敷をも知ってはいたが(そして、貧民の特有な心理は、「死線を越えて」以上の氏の名著「貧民心理の研究」に依って教えられてはいたが)小説を通じて、氏の忍従と苦闘との記録を読むことによって、感激は更らに一層切実なるものとなった。私は「死線を越えて」の原稿時代、はじめの部分を数枚だけ読んで「なんだ、つまらない」と投げてしまった自分の不明を恥じた。

 「死線を越えて」が150版を刷った時、氏は時勢の駸運に伴い、或る種の文字を削除したいと思立った。そして、私は氏から頼まれて、全巻を改めて目を通し若干の添削をした。往年、この本は売れまいと予言した私がである。私は朱を入れ乍ら微苦笑を禁じ得なかった。

 「死線を越えて」は誰知らぬ者とてはないほどに普及した。「賀川豊彦」の名も、今は天下に隠れもない普遍的な名となった。そして「死線を越えて」のおかげで、見るもいぶせき葺合新川部落も一躍して、日本の一新名所となった。しかし皮肉なことには、「死線を越えて」で名高くなった新川の密集地帯は、「死線を越えて」によって破壊される運命を辿った。というのは、政府はこの書物に刺戟されて、六大都市の不良住宅の改善を断行することとなり、遂に賀川氏の思い出深い二畳敬を始め新川部落が殆んど痕跡をとどめないばかりに取り払われたからである。

    (つづく)


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