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村島帰之の労働運動昔ばなし(第52回)

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「ブログ公開:岩田健三郎画文集」(同時進行の新しいブログ:http://deainoie.fukuwarai.net/ )



村島帰之の労働運動昔ばなし(52

『労働研究』(第149号)1960年7月号連載分

第七回 「死線を越えて」の裏話
     ―賀川豊彦追想録―

   (前回に続く)
   
              「死線」執筆の動機     


 こうして一世を風靡した「死線を越えて」を賀川が書いた動機について自ら某誌に書いていたのを転載して見よう。

 「死線を越えて」を書いた動機を話せとのお言葉ですが? 明治40年の5月だったと思います一一私か肺病で明石の病院から三河浦郡の漁師の離れに移った頃、独りぼっちで余り淋しいものですから、私は小説を毎日書綴ったのでした。誰も訪ねてくれる人もなし、知っている人というのは村には誰もないものですから、幻の中で過去の人間を小説として想い浮べてみたのです。

 そうでした、その前の年だったと記憶します。私は小説が書きたかったので、古雑誌の上に小説を書きなぐった事がありました。余り貧乏で原稿用紙が買えなかったものですから、古雑誌の上に書いたのです。

 私が小説を書きたかった理由は、私の小さい胸に過去の悲しい経験が、余りに深刻に響いたことと、私か宗教的になって行くことに依って非常に気持ちが変って来たことを、どうしても小説体に書きたかったからです。

 書上げた小説を、私は島崎藤村先生に一度見て頂いた事がありました。すると先生は丁寧な手紙を添えて、数年間筐底に横たえて自分がよく判るようになってから世間に発表せよといわれたのでした。

 その後肺病はだんだん良くなって、私は貧民窟に入りました。それから13年たちました。13年目に改造社の山本実彦氏が貧民窟の私の事務所にやって来られてその小説を出そうじやないかといわれたので、私は、「死線を越えて」上巻の後3分の1を新しく書き加えたのでした。

 その時、前3分の2の文章が余りにごつごつして居てまずいと思ったのですが、妙なものでして、一つ直そうと思えば、全部直さなければならなくなるし、13年度後の私の筆は、余程昔よりは上手になっているようでしたけれども、何だか血を喀いた頃に書いた物は、私の気持が最も真面目に出ているものですから、私は文章より気持ちを取りたいと思って、文章のまずいことを全く見脱すことにして、厳粛な血を喀いた時の気持ちを全部保有することにしたのでした。

 その為に「死線を越えて」上巻の前半には実にごつごつした所もありますが、加筆を許さない強い調子がのこっていることも、また事実であります。
              
 モデルの事ですか?それは困りましたね。私の周囲の人に聞いて下さい。私は私の心の生活をあれに書こうとした時にモデルに就いてはいえない多ぐの事情があるのです。

 有島武郎がいっていた様に小説は小説であるけれども、事実以上の真実さがあるものです。私も有島君の流儀で、この辺りは赦して頂きましょう。

 私は、あの小説が必ずしも成功した小説だとは思いません。それが雑誌「改造」に出た時に、余りまずいので自分ながらはらはらしました。ですから本になった時にあんなによく売れたのを、自分乍らも吃驚したのでした。ですけれども今になって考えてみますと、読者は矢張り私か最初考えた通り、まずい文章を見脱してくれて、私か書こうと思った心の歴史一一詰り心持ちの変り方一一一を全体として読んで呉れたのだと思って感謝しているのです。

     (つづく)
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