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村島帰之の労働運動昔ばなし(第53回)

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「岩田健三郎画文集より」(今日のブログ「岩田健三郎画文集」http://deainoie.fukuwarai.net/ )



村島帰之の労働運動昔ばなし(53

『労働研究』(第149号)1960年7月号連載分

  第七回 「死線を越えて」の裏話
       ―賀川豊彦追想録―


   (前回に続く)
   
               最初の原稿料1千円


 「死線を越えて」が出版された当初、賀川氏が受取った稿料は1千円也であった。あれだけの売行を見せた「死線を越えて」の印税としては千円は余りにも少いと思う読者が多いだろう。

 しかし、原稿を受け渡しする時には、著者も出版者も、まさかそれほどの売行を見ようとは考えなかったため、千円でも多過ぎる位に思ったのである。しかし、3万5万と売れて行くのを見て、出版者山本社長は自分独りが儲けては相済まぬといって、(あとを書かせようというコンタンの方が大きかったかもしれない)改めて印税の契約を作り、定価1割の印税を支払うこととした。

 印税となると、本の売れる限り、賀川氏のポケットはわき出る泉のように金がはいった。その尽きざる黄金の泉は、多く貧しき人々をうるほし、各方面の社会運動を助けた。

 「死線を越えて」は上篇だけで350版という驚威的売行を見せ、10年12月には中篇「太陽を射るもの」が刊行された。これは賀川が大正10年7月神戸の争議で橘分監に収監された折、破格の待遇とあって特に支給された蚊帳の中で書始めたもので、たちまち200版を重ねた。「太陽を射るもの」に続いて下篇「壁の聲きく時」が出て200版を重ねた。これは神戸の争議当時のことが記されていて、私も「新聞記者島村帰之」の名で登場している。
    
 この上中下三篇の小説は合せて500版50万部を売りつくし約15万円(今の貨幣価値に換算すると約5千万円)という少からぬ印税が這入ったが、賀川はそれを私する事なく先ずその中の1万5千円を割いて神戸新川部落救療事業友愛救済所に投じその事業を財団法人組織とする事とした。

 友愛救済所は賀川が貧民窟生活10年の尊い経験から、霊の救いと同時に肉体の救療の必要を痛感し、大正7年以来経営していたもので1ヵ年の救療延人員6~7千人にも及んだが、費用のかさむ一方において寄附金も少く、賀川自身の収入も少なかったため、「死線を越えて」の出る直前一一大正8年の初め頃には薬の代金にすら事をかき、暫くではあったが診療所を休業した事さえあった。この苦い経験から救済所を財団法人組織にしたのであった。

     (つづく)


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