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村島帰之の労働運動昔ばなし(第54回)

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「わがまちのいま」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/ )




村島帰之の労働運動昔ばなし(54

『労働研究』(第149号)1960年7月号連載分

第七回 「死線を越えて」の裏話
     ―賀川豊彦追想録―

   (前回に続く)
   
                社会運動のドル箱


 神戸の争議の後始末にも約3万5千円が「死線」の印税から支払われた。120名を越えた収監者の差入れの費用に充てられ、また首魁と看倣された野倉万治氏に対しては、その下獄中、家族の生活費として月々100円づつを贈っていたのを筆者は知っている。

 鉱山労働の運動に対しても、5千円内外の金を注ぎ込んでいたことは、浅原健三氏の書いたものの中に現れている。また大正10年10月、杉山元治郎氏を引張って来て日本農民組合を創立した時にも、その創立に要した費用は全部賀川が印税収入から支弁した。

 杉山氏を始め幹部の俸給の如きも賀川氏が永い間負担していた。その総額は少くとも2万円には上っていよう。

 11年6月に大阪労働学校を筆者や西尾末広氏が中心となって創立した時も賀川氏は5千円という金を惜しげもなぐ投げ出してくれた。この外、消費組合その他の運動のためにも金は消えた。

 こうして小説「死線を越えて」は、かなり久しい間、日本の社会運動の金穴を勤めたもので、賀川の印税収入の減少した後までも、「賀川の処へ行けば金を作ってくれる」と考えて、金策を申込む向が随分多かったものである。

 もし賀川家の家計簿を公開する機会があったとしたら、労働組合や無産党や、時には予想外の方面に、賀川氏のポケットマネーが出ていた事を発見するに違いない。

 筆者の知人に金倉という篤信の婦人があって、その夫君は十五銀行の神戸支店長を勤めていたが、その話に、「死線を越えて」の出た頃、賀川氏の預金は一時に何千円という多額が這入るが、利子のつくほどの日数を預けている事は殆んど稀れで、直ぐゴソッと引出される。問もなく叉大金が預けられるが、それもまたたくうちにすっからかんになって、賀川氏の口座は大金が動くのにも拘らず、それが銀行に止っている期日は極めて僅少であった――という事であった。

 なければないで、またあればあるで、出し渋るのが金てあるが、賀川氏の如く、自ら文字通り1枚の衣を着粗食を食べて、這入っただけの金を惜しげもなく貧しき人々や社会運動に払出した人物は少ない。


(編集室) 因みに、賀川豊彦氏(日本基督教団牧師・神戸市教育委員)については、この労働運動昔ばなしに毎回のように見られたところであるが、惜しくも去る4月23日午後9時13分、東京都世田谷区上北沢3の863の自宅で心筋こうそくのため死去。71才。なお氏は大正5年米国プリンストン大学神学科卒。欧米に講演旅行すること数回、国際的に名を知られ、カナダのパインヒル大学神学博士、米国クユカ大文学博士を受け、1956年度ノーベル賞の候補にあげられた。昭和21年貴族院議員に勅選され、東久兼宮内閣顧問。その後全国農民組合組合長、同志社大学教授、社会党顧問、中央児童福祉審議会委員をへて神戸市教育委員のほか日本生活協同組合連合会長、社会福祉法人イエス団、雲柱社各理事長、世界連邦建設同盟副総裁。 


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