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村島帰之の労働運動昔ばなし(第58回)

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「ぶらり散歩:烏原貯水池」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)




村島帰之の労働運動昔ばなし(58

『労働研究』(第153号)1960年11月号連載分

第八回 大正八年という年
     ―弾圧と風刺する演説入りラッパ節―


   (前回の続き)
 


                  大正8年来る


 「大正8年に労働組合員は何をしたいか」というアンケートさえとられたほど期待されていた大正8年が来た。その年頭の運動はアンケートにも強く要請されていた労働組合公認期成運動であった。即ち1月16日、株屋岩本栄之助氏が100万円の巨費で建てて市へ寄附した大阪中央公会堂で組合公認要求の演説会が京、阪、神の3連合主催の下に開かれ、聴衆2、500、今井、岡村両博士や賀川氏が出演し、当夜の決議文は賀川氏が携えて上京した。つづいて3月1日には友愛会関西出張所が音頭をとって治警17条撤廃請願運動を起し、管下11支部の会員の調印を求め、東京本部のと合せてこれを今井嘉幸代議士に託し衆議院に請願し、次で15日には中央公会堂で講演会を開催、賀川氏及び松村敏夫氏等が出演した。

 上の二つの運動を手始めとして、大正8年一杯は(年末議会シーズンに入って普選運動を開始するまでは)組合公認と治安警察法撤廃の2目的に向っての集中射撃であった。

 大正8年中、各地で催された演説会に於ける主要目標は殆んどこの2問題に限られた感があった。賀川氏らは引張凧の有様で、筆者の如きでさえ、同じ話をするのが気がひけて、いろいろと草案を作り直すのに苦心したほどだ。

 この2大問題が労働者を吸引し、また外では万国会議が進捗して、8時間労働その他の労働原則が討議せられたことが間接に労働階級の刺激となり、組合は次第に膨れて行った。

 こういうように運動が活発に推進され、また神戸、大阪、京都その他の支部が次第に発展して行くにつれ、これら、関西各地の友愛会員の連絡統一を図るため、関西同盟会を組織することとなり4月13日その創立大会を豊崎町の相生楼で開いた。そして会長には神戸川崎造船所の木村錠吉氏、副会長には大阪住吉伸銅所の成瀬善三氏及び京都奥村電機の井上末次郎氏、理事には賀川豊彦氏を始め久留弘三、高山義三、村島帰之のインテリ指導者も選ばれ、理事長には賀川氏が当選した。同創立大会の公開演説会には、鈴木会長のヴェルサイユ万国会議出張中の留守会長北沢新次郎氏(早大教授)および村島帰之が出演した。

    (つづく)



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