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村島帰之の労働運動昔ばなし(第60回)

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「新湊川公園にて」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)



村島帰之の労働運動昔ばなし(60

『労働研究』(第153号)1960年11月号連載分

  第八回 大正八年という年
      ―弾圧と風刺する演説入りラッパ節― 

 
(前回の続き)
 
              賀川理事長の指導精神(つづき)

 
 「内住する聖き理想」といい、「愛と信仰」といい、さらに「内住の理想を以て宇宙を改造することが出来る」と説くところ、そして、「革命と暴動と煽動過激主義思想を否定」するところ、宗教詩人賀川氏が労働運動に望むところが明瞭に窺われるではないか。       
 
 この指導精神は、やがて1両年を経て、関東側の指導精神と正面衝突を演ぜしめる結果となったのは当然の事だった。関西の労働運動者はこの賀川氏の説を支持して、現実的行き方を続けた。                 犬\
 
 賀川氏は押しも押されもせぬ関西労働運動の名実共になる指導者となった。まだ「死線を越えて」の出版以前とて、一般大衆にその名を知られるまでには至らなかったが、苛くも組織を持つ労働者で賀川の名を知らぬ者は少なかった。               
 
 神戸連合会の機関誌「新神戸」は、関西同盟の結成と共に改題して「労働者新聞」となり、巻頭論文は主として賀川氏が執筆し、屡々発売禁止の厄に逢った。過激思想というのではなく、氏の宗教詩人らしい煽動的な文章が当局の忌避に触れたのである。

 賀川氏はこのため数次にわたって起訴された。その時、弁護士高山義三氏(現京都市長)が専ら弁護に当ったが、賀川氏が「弁護料はいくら払ったらいいか」と聞いたところ、高山氏は「現在及び将来にわたってあなたの著書をもらいたい」と答えた。賀川氏はその頃までにはまだ数冊の著書しか出していないので気安く承諾した。しかしその後賀川氏は数百冊という著書を出したが、高山氏との約束を守って著書を送ったという話は一向聞いでいない。とすると、賀川氏は高山弁護士に対し不渡手形を出したことになる。


    (つづく)



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