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村島帰之の労働運動昔ばなし(第61回)

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「ぶらり散歩:コサギ」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)



村島帰之の労働運動昔ばなし(61

『労働研究』(第153号)1960年11月号連載分

  第八回 大正八年という年
      ―弾圧と風刺する演説入りラッパ節―
 
 
(前回の続き)
 

                労働運動弾圧の強化


 神戸をはじめ各地の労働運動の発展を見る一方、使用者側や官憲の労働運動に対する弾圧は次第に強化されて来た。この弾圧は大正7年の米騒動直後から始められ、大正8年以降に至っていよいよピッチをあげた。

 米騒動のあった大正7年8月には1ヵ月間だけで全国に102件という争議が起った。日本開びゃく以来のことで使用者側も官憲も大いに驚き、今のうちに組合をヒネリつぶさねば一一と弾圧をかけた。中小工場では組合に入っているというだけでイビリ出し、ビラを貼ったから、高等刑事が来て困るから、というだけで解雇した。

 会社が圧力をかける一方、官憲は官憲で行政執行法及び治安警察法という伝家の宝刀を適用して少しでもクサイ連中は片っぱしから検束したり、検挙したりした。

 行政執行法の第1条には、暴行の惧れある者は検束して24時間以内を限りこれを警察に留置することができると規定され、取締当局にとってはこれほど重宝な法律はなかった。たとえ仏さまのような人でも急にのぼせて乱暴するかも知れないのだから「暴行の惧れあり」として検束することができたのである。

 だから当時は演説会やデモ行進にはいつも検束はつきもので、メーデーの大行進の際など、これと目星をつけた注意人物はたとえ固くスクラムを組んでいてもカーブにさしかかった時に一気に列外ヘスクラムのまま突き出して検束した。これを「ごほう抜き」といっていた。

 また「たらい廻し」といって、24時間で検束時問がきれると、一旦その警察署を釈放し、すぐ次の警察へ新たに検束して何日も留置するという巧妙なやり方をした。戦前の労働運動家で一度も検束された経験のなかったという者はマヤカシ者だったといってよいであろう。

    (つづく)


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