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村島帰之の労働運動昔ばなし(第62回)

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「ぶらり散歩:新湊川公園」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)



村島帰之の労働運動昔ばなし(62

『労働研究』(第153号)1960年11月号連載分

  第八回 大正八年という年
      ―弾圧と風刺する演説入りラッパ節―
 
 
(前回の続き)
 
                 治安警察法17条


 さらにこれが争議ともなると、こんどは治安警察法がモノをいった。「労務を停廃せしむる目的を以て他人を煽動し誘惑した者」は禁緬2ヵ月以下に処するという争議弾圧法だった。

 大正3年から12年までの10年間に全国で治警法17条により検挙された者は1、026名を数えた。また争議が暴動化した場合はすぐ騒擾罪で罰せられた。大正3年から13年までに2、700人がこれで検挙され、そのリーダーは「首魁」として2年内外の懲役に処せられた。

 大正10年の神戸の大争議では170名からの検挙者を出し、未決監は満員で賀川氏は特に女囚の監房に入れられたが、賀川氏ほか100名は不起訴となり、56名が起訴され、中でもリーダーの野倉万治氏は首魁として2年半の懲役に処せられた。

 先般のあの激しい国会デモでも騒擾罪は適用されなかったのと比べて、当時の弾圧の如何に甚しかったかが判るだろう。
                 ノ
 演説会の取締りも厳重をきわめた。演壇の脇には金ビカの制服を着た警部が「臨監」として出席し、言論が少しでも過激にわたると臨監が認めた際は、はじめは「注意!」と叫ぶ。そこで弁士は論鋒をゆるめるか、話題を変えるかしなければならないのだが、もし「注意」を無視してさらに調子をあげて行くと、臨監はサーべルで床をたたきながら「弁士中止!」と宣告する。そうすれば弁士は演説を中止して降壇せねばならなかった。

 少しあとの事だが、政治研究会神戸支部が結成された時(この時、河上丈太郎氏が支部長となり、はじめて政治運動に足を踏人れた)東京から大山郁夫氏らが来神して神港クラブで演説会を開いた。私は神戸の病院に入院していたが、ひそかに抜け出して行き犬山氏の前座をつとめた。その時、私か登壇して開口一番「ソ連に居る片山潜が‥…」といっただけで忽ち「弁士中止」をくらったことかあった。

 また播州加古川の毛織工の演説会では森戸辰男氏が「芦屋にはラジオのアンテナが林立している」といっただけで中止となった。主催者側は森戸氏にタップリやってもらう考えでいたのに登壇したばかりで中止となって戸惑った。聴衆はその頃続々とつめかけて来ていたのでこれで閉会というわけには行かない。そこでやむなく既に前座をつとめて休息していたわたしにもう一度何か話してほしいと頼まれて登壇したが、こんどは臨監も遠慮してか中止は命じなかった。

 「片山潜」や「芦屋のアンテナ」が治安を斎すわけではなく、警察側は最初からしゃべらせない方針で臨み、いい加減なところで中止を命じたのである。言論の自由もあったものではない。

       (つづく)


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