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村島帰之の労働運動昔ばなし(第63回)

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「御船山旧跡」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)




村島帰之の労働運動昔ばなし(63

『労働研究』(第153号)1960年11月号連載分

  第八回 大正八年という年
      ―弾圧と風刺する演説入りラッパ節―
 
 
(前回の続き)
 
               革命演説入りラパッ節


 その頃、社会主義運動をやる人たちの間におもしろいラッパ節の替歌がうたわれた。私は中西伊之助氏から教えられ、いろんな会合でこれを隠し芸として披露した。

 文句は冒頭に「食えない、食えないと声張り上げて演壇で何としょ」とラッパ節通りにうたい出し、次いで「青い顔して演壇をたたいて」といって前のテーブルをたたく。それから演説をはじめるのだがもちろん、演説は煽動的なものなら何でもいい、そして演説の途中、弁士から臨監に早変りして、テーブルの脇の方から声高く「弁士注意」と叫ぶ。すると、こんどは再び元の弁士に変って、胸をそらせ臨監の方を脾睨しながら「只今のは注意ですか、中止ですか」と質問する。また臨監に早代りして「注意です」と答える。それで三度弁士に立ち戻って(忙しいことだ)「然らば諭旨を変えましょう」と乙に気取って、こんどは激越な調子で「現代の社会組織はこれを根本より変革せねばなりません!」と腹の底から絶叫する。そこで弁士からまた臨監に返って「弁士中止!」とおっかない顔をして叫ぶ。とこんどはテーブルの前に座をかえ、聴衆になって「警官横暴々々」とゲンコツを突き出し臨監の方に向かってほえるようにいう。それでまた臨監になって「解散を命ず!」と一声高く叫んで、またテーブルヘ帰り、グッと調子を低くして「テナコト、オッシャイマシタカネ」で終りになるのである。

 このラッパ節はもちろん余興用のものであるが、歌の中で激越な演説をするので、大向うがヤンヤの喝采を送ったものである。弾圧の激しかった40年前を偲ぶ一つの挿話ともいえよう。もちろん、このラッパ節を歌っているところを警官に見つけられれば、すぐ検束されるであろうことは明かだ。この歌を知る人ももう少くなったことだろう。              

 話は思わず横にそれたが、当時の弾圧は常識をを越えていた。にもかかわらず労働組合は伸び、争議は頻発し、大正8年は画期的な労働組合進出の年となった。

 この年の内に71の組合が新らしく結成され、罷業件数は500件、参加人員は6万3千という新記録を出した。今から見ると罷業参加人員6万3千はあまりにも少なすぎるようだが、今日のように官公労だの、炭労、日教組などの大組合もなかった当時としては決して少いとはいえないのだった。

 そしてこの500件の罷業の中には有名な東京の15大新聞の印刷工ストがあり、足尾、釜石、日立各鉱山のストがあって、釜石では鉱夫の襲撃に備えて鉄条網に電流を通したといわれ、今日の三池争議に近いものがあり、騒擾罪が適用された。

 西では神戸の川崎造船所における日本最初のサポタージュが世間の耳目を驚かせ、ことにその結果として8時間労働制を獲得したことは日本労働運動史に特筆大書される出来事であった。次号にはそのサボタージュのことを記す順序となった。

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