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村島帰之の労働運動昔ばなし(第75回)

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「明石公園ぶらり散歩」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)



村島帰之の労働運動昔ばなし(75

『労働研究』(第158号)1961年4月号連載分

第十回 サボタージュの反響
    ――特に河上肇氏の擁護論


(前回のつづき)

                 怠業と道徳性


 博士はさらに怠業そのものの道徳性をとりあげて、「今日の社会組織の下では怠業の完全なる予防法はほとんどない」といい、「怠業は古くから西洋でも日本でも行われているところだが、殆んど批難されずに来た」といって自分のことにふれている。
          
 「現に私も一教員として、また一官吏として常に何ほどかの怠業を継続しているが、この種の怠業は社会から賞讃はうけないにしても特に道徳的批難を加えられることはない。今日特に道徳的批難を加えられつつあるものは独り同盟怠業に限られる。これはなぜだろうか」

 と反問し、これは結局、個人的な怠業は耳目にも慣れていて別段新らしい事でもないので注意も惹かず世評も寛大だが、同盟怠業となると、西洋でも比較的新らしい現象で殊に日本では最近の現象に属するため、ややもすると公平なる批判を下すことができず、極めて過酷に失し易いものとなるのだと解明している。

 要約すると、博士は同盟怠業に対してのみ過烈な道徳的批難が加えられる理由として次の二つの点を指摘しているのだ。

(1) それが労働者の所為であるゆえで、資本家が採った同じ性質の所為よりも特に過酷にこれを批難する危険のあること。
(2) それが新奇な現象であるために、既に多年見なれている同じ性質の他の現象よりも特に過酸に批難を加える危険のあること。

 博士はこの二つの危険について具体的な例をあげて説明している。

 「例えば牛乳販売業者がその組合の決議にもとづき、従来一合四銭の価格だった牛乳を一合八銭に値上げしたとする。もちろん彼らはその値上について消費者と協議するようなことはない。勝手に値上の決議をして、消費者にはただ一片の通告をするだけである。もし消費者がこれに同意しない場合は、牛乳業者は日々一合づつの牛乳を配達する代りに、五勺づつを配達するにとどめるだろう。今、労働者がこれと同じ行動に出るとするとどうなるか。彼らは同盟して賃金の値上を要求し、その要求の容れられない間は、いわゆる同盟怠業をなすことによって、急にその提供する労働の分量を減少する。これは牛乳業者が牛乳の値上を決議すると同時に、従前と同じ価格を支払う者に対し、従前よりも少量の牛乳を提供するにとどめるのと全く同じである。一方はこれを看過し、独り他方をのみこれを道徳的に批難する理由を私は見出すことぱできないのだ。」

  (つづく)




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