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村島帰之の労働運動昔ばなし(第79回)

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うえの記事は今朝の神戸新聞。



村島帰之の労働運動昔ばなし(79

『労働研究』(第158号)1961年4月号連載分

第十回 サボタージュの反響
    ――特に河上肇氏の擁護論


(前回のつづき)

              兵庫県下の労働争議

                量的に増加したが質においても組織的


 兵庫県下で大正五年以前は一年間に十件に出ることのなかった罷業が、六年には四十六件と五倍近くにふえ八年に入るとさらに激増して、先月(七月)一ヵ月だけで既に十二件の罷業を見た。つまり、今日の一ヵ月間の罷業件数は数年前の一年分を超えている勘定である。

 これは平和克復後(第一次大戦を指す)仕事が減少し、従来の残業や徹夜が廃減され労働者の収入に大きく響いて来た結果で、しかも一方には物価の暴騰で、白米が米騒動当時の五十銭を遥かに超え六十銭台に近づこうとし、生活がますます不安となって来たためと見るべきであろう。

 その上、近時、組織労働者の自覚がたかまり、神戸の友愛会の如き既に会員三千五百を超えていることも無視できない。今、新聞紙上に報道された七月一日以降八月十日まで四十日間における県下の罷業十一件を見ると(新聞に出なかったものを加えればもっとふえでいることだろう)罷業参加人員の一件平均は百七十四名、従来の百名足らずに比べかなりの増加である。

 中でも多いのは鳴尾のリバー・ブラザーズの五百名、鉄道院鷹取工場の三百五十名、飾磨の塩田労働者の三百名、東洋マッチの二百名である。

 罷業の目的は賃金値上で大体三割増を要求し大部分はなかば以上要求を貫徹している。中には三菱倉庫神戸支店仲仕の二十割賃上げというのもあったがこれは失敗している。罷業日数は平均一日半で、五日以上を超えたのは塩田労働者と日本郵船の給仕の罷業だけだ。

 しかし此処で注目に値するのは、近頃の争議の中にはフランスやアメリカのサンディカリストが行うサボタージュが行われ出していることだ。サボタージュは「のろのろ働く」といった意味のもので、故意に労働を怠り、能率を低下させるもので、さきに行われた東洋マッチの争議に軸列職工が就業はしたが、仕事を遅らせるため、軸列の作業をしなかったのや、鉄道院鷹取工場で監督の巡視の時だけは仕事をしたが、監督がいなくなると一同手をこまねいて仕事をしなかったというのなどは罷業ではなく、サボタージュである。

 しかしこれは別にサンディカリストから教えられたわけではなく、従来から「ヤナギ」(柳に風といった風にノラリクラリとする意味か)または「アミダ」(アミダ仏のように、じっとして動かないという意味か)と称しで日本にも行われて来たものである。

 なお東洋マッチや鷹取工場の争議の際は右のサボタージュのほかピケッチングといって、争議中、他の職工が補充に就業するのを防ぐため見張りを立てることも行われた。県下の争議は量ばかりでなく、質においても著しく変化を見せて来たことを知らねばならない。
                    (大正八年八月十四日、毎日新聞兵庫県附録トップ記事)

     (つづく)



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