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村島帰之の労働運動昔ばなし(第82回)

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「山口県光市・伊保木村<光の海舎:椿窯>」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jo/40223/)


村島帰之の労働運動昔ばなし(82

『労働研究』(第160号)1961年6・7月号連載分

第十一回 いわゆる「八時間労働制」
    ――川崎のサボが起こした波紋


               サポタージュの意義

 川崎造船所のサボタージュは2年後に起こった川崎・三菱両造船所のストライキほどに世間は評価していないが私はそうは思わない。もちろん、争議としての規模や、その波瀾に満ちた内容においては比較にならないが、しかしサボタージュ事件が起こした波紋は、労働新戦術としてのサボの存在を天下に知らしめたこと以上のものがある。

 いうまでもなぐ、8時間労働問題がこれを契機として全国的に波及し実行されてやがて、就業時間の常識とまでなったからである。その意味から、大正8年の川崎造船所のサボタージュは単なる新奇の戦術として見るだけでなく、わが労働界に一つのエポックを劃した事件として高く評価されるべきものと思う。

 もちろん、8時間労働制は後段に述べるようにサボタージュ以前から一部には実施されていたのだし、またこれが問題となり出したのも川崎のサボタージュがあったからだとは断ずることはできない。

 サボタージュの起こる前、第1回国際労働会議において「労働原則九ケ条」が議決され、その一項目として8時間労働制の実施がうたわれていて、労働者も使用者側もこれに深い関心をよせていた。ただ、日本政府および使用者側は、8時間労働制の実施をなお時期尚早だとして、印度などと同じ特殊国並みに除外例として9時間半に値引して調印した。

 それも実施時期を5年後(1922年7月1日)としたのだが、その実施期限が到来しても、なお調査に名を借りて容易に実施しなかったぼどであった。そんなわけで、一般には8時間労働制は望ましいことだが、日本の現状ではまだまだ先きの事と見ていたのである。それをたとえ名目だけにしろ、8時間労働へ踏み切る(あるいは踏みきらせる)契機を作った川崎造船所のサボタージュは意義の深い争議だったといわねばならない。

     (つづく)


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