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村島帰之の労働運動昔ばなし(第84回)

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「山口県光市の島田川:凪の座のうた<島田川>」(今日のブログ「番町出合の家}http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)



村島帰之の労働運動昔ばなし(84

『労働研究』(第160号)1961年6・7月号連載分

第十一回 いわゆる「八時間労働制」
    ――川崎のサボが起こした波紋


    (つづき)        

               川崎以前の8時間工場

 なるほど、8時間労働制が労働条件の常識となったのは川崎のサボタージュ以後ではあるが、八時間労働はそれよりもずっと以前から一部の特殊事情のある工場では実施されていた。

 サボタージュ直前の大正8年7月末現在で、兵庫県下における八時間労働制実施工場は既に20工場を数えていた。その中でも1回作業、うまり8時間の労働を終わるとそのまま工場の作業を打ち切るものは12工場で、交替作業、つまり昼夜作業で1日24時間を3交替で作業するものは8工場であった。これを業態により区別すると、



                  1回作業      交代作業
  製綿               4
  金属品              1         1
  ゴム製造                       2
  製本印刷                       2
  器具               1 
  窯業               2         1
  化学                        2
  木竹蔓茎             4    
  合計              12        8

 最も多いのは製綿工場と窯業であるが、製綿は実は仕事の不振のため自衛上8時間労働を実施しているもので、労働者保護のためのものではない。

 これに反し窯業はガラス製造のごとく、カマドの冷却を避けるため夜昼夜作業をやっているのと、熱大の前の作業で長時間労働はムリだから交代作業をしているというもので、後記の旭硝子や島田ガラス(新淀川の東岸で大阪府にあるが)などは残業なしの8時間労働2交替制をとっていた。

 私はサボタージュのあと、県下の8時間労働実施工場を見て廻って、毎日新聞に11回にわたってこれを詳しく紹介したが、暫くして8時間労働が全国的にやかましくなり出した時、東京から中外商業新報の特派記者が全全国でも最も早く8時間労働を実施した兵庫県下の工場の実情を調べに来て、私の書いた記事を読み、これ以上書くことはないといって、切り抜きをもってそのまま帰京した。

      (つづく)


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まとめ【村島帰之の労働運動昔】

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