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村島帰之の労働運動昔ばなし(第85回)

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「えほん<光の海>より」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)



村島帰之の労働運動昔ばなし(85

『労働研究』(第160号)1961年6・7月号連載分

第十一回 いわゆる「八時間労働制」
    ――川崎のサボが起こした波紋


    (つづき)        

                旭ガラスの場合 

 兵庫県下のガラスエ場で最も早くから8時間労働を実施していたのは尼崎の旭硝子製造工場であった。同工場は明治24年の創立で、その時からガス発生部を除き、8時間労働を実施していた。ガラス製造の基をなす吹部(溶液を棒の先につけて口で吹いてふくらます作業)と延部(延ばして板硝子とするもの)の職工848名は午前6時から午後2時まで(申出)と午後10時から午前6時まで(夜業)の3組に分けて8時間ずつ働いていた。この中には30分の休憩時間が含まれているから、実働時間は7時間半、その上、夏季4ヵ月はさらに炎熱をおもんぱかって6時間労働制をとっていた。火をあいてとする仕事の性質上こうした短時間制は当然である。そのため過労な仕事にもかかわらず欠勤者も少く、1ヵ月の出勤日数は27日乃至28日(女子はやや低く23日)で、他の12時間労働の工場などに比べて遥かに高率であった。

 私はこの記事をのせると、旭ガラスの一職工が;直ぐ書面をよこして「貴紙掲載の8時間労働は本工場でも吹部などの一部だけで、昼勤作業の鍛工部、切部、営繕部、荷造部は10時間若くは11時間、また昼夜交代の電機、汽缶、調合、雑役は12時間労働をやっていると]と報じ、これらの部でも8時間労働制をとるように紙上で声授してほしいといって来た。

 ガラス工場の8時間労働も全工場ではなく、酷熱と戦う部門だけに限られていることを指摘して来たのだった。

 すると、こんどは八時間労働をやっている吸部の人たちから、「川崎造船所あたりでも8時間労働をやるのだから、釜中の魚のようなわれわれには、夏の6時間労働制をひろげて、1年中、6時間労働を実施してほしいといい、「それで、吹部職工200名はその旨会社に要求した」と伝えて来た。こうなると川崎造船所の名目だけの8時間労働などはあまり威張れたものではないと思えて来た。

    (つづく)



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