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村島帰之の労働運動昔ばなし(第87回)

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「凪の座40周年リサイタル、飛び入りの渡辺善行さん」(今日のブログ「番町出合いの家」httpplaza.rakuten.co.jp/40223/)



村島帰之の労働運動昔ばなし(87

『労働研究』(第160号)1961年6・7月号連載分

第十一回 いわゆる「八時間労働制」
    ――川崎のサボが起こした波紋


    (つづき)        

                アルフア付きの8時間労働


 要するに、従来の8時間労働は、窯業やゴムエ業でも特殊部門だけに限定されていたのが、川崎造船所の8時間制実施で啓発され、これを全部門に拡大させようという要求が出て来たのであった。

 なお川崎の場合もそうであったように、川崎以前に8時間労働制を布いた工場でも、英国の労働者がメーデーの歌の中でうたっているように、「8時間働いて、8時間遊び、8時間眠って日給1シルリング」といった純粋の8時間労働(実働という方がいい)には程遠く、名は8時間でも、実質的には10時問以上働くのだった。つまり、短縮した2時間をフルに自分の自由に使用し、余暇をたのしむというのではなく、その2時間を「残業」の名で引きつづき働いて残業手当をかせごうというのが労働者側のゆき方だった。(それは低賃金の日本としてはやむを得ないことである)

 また会社側も、従来、10時間乃至12時間の労働をさせていたのを、8時間の定時と改め、給料の計算単位を低下するが、しかし、それで生産が低下しては困るので、それをカバーするため残業を課することとし、あわよくば、時間短縮により生産能率を昂進させようというところに狙いはあったといえる。そして労使双方の狙いは大体叶えられた。

 既に職工側としては従来の10時間、12時問のだらだらとした長時間労働から一応解き放され、ノルマは8時間ズバリとなり、そして定時以外の労働は残業ということになって、以前のように2時間の残業をするとしても、実働時間は定時が2時間減っただけ、自由時間か2時間ふえて、余暇をたのしむことができるようになったのだから、純粋の8時間労働ではないにしても、それだけ労働者の生活の向上と福利の向上が期し得られ喜ばしいことであった。ましてや、この喜びに均霑する範囲が、従来の狭い特殊部門から広く機械工業をはじめ全業態に及ぶようになったのだから、これを推進することに役立った川崎のサボタージュの功績はまた大といわねばならない。                     
 
 しかし、8時回労働は労働者側に福音をもたらしただけではなく、会社側にもプラスとなった時間の短縮によって、生産能率は向上したからである。前述のダンロッブタイヤーの労務管理者がいったように、これは時間短縮によって職工の健康状態が好転したからというだけではなく労働者心理が大きく影響していると見るべきであろう。

 では、当の川崎造船所における8時間労働実施後の情況はどうだったか。川崎造船所の発表にかかる調査(大正8年エ2月エ2日毎日新聞による)を次に記そう。

      (つづく)


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