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村島帰之の労働運動昔ばなし(第89回)

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「椿釜・上田達生さんの作品」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)



村島帰之の労働運動昔ばなし(89

『労働研究』(第161号)1961年8月号連載分

第十二回 三菱の「九時間労働制」
    ――県下大工場の「右へならえ」


    
                試験的に9時間制を


 川崎造船言が8時間労働制の実施を発表すると、一ばん衝撃をうけたのはいうまでもなく同業のライバル三菱造船所であった。これまでも三菱は厚生施設では川崎にまさっていても、かんじんの労働条件では劣っているというのが定評であった。それが、たとえ名目だけにしても川崎が8時間労働制に踏切ったというのだから三菱としても黙ってはいられなくなったのは当然である。

 そこで10月6日から9時間労働制を実施すると発表した。川崎より遅れること1ヵ月、その上、労働時間も1時間長い。先頭走者川崎との間にハッキリと1時間の差がついたわけである。

 しかし、三菱としてはまだ厚生施設では川崎よりも優位にあるという自負があるので、1時間の名目上の労働時間の差ぐらいは何でもない、とうそぶいた。9時間労働制実施に当り、永原次長が大要次のような趣旨のことを新聞記者に発表した事でも判る。

 「川崎造船所の8時間労働制を見ると、単に給料の計算単位を8時間に引下げたというに止まって、国際労働会議において採択された8時間労働制の精神である職工の福祉および保健の増進という点からは程遠い。本社は職工の福祉増進についてはかねてから意を注いで来たが、労働会議の8時間制議決に当り、日本政府が主張した如く、その理想に至る段階としてまず9時間労働制を試験的に実施することとしたのである――と。

 その年に開かれた第1回国際労働会議では8時間労働制が議決されたが、日本は国内の労働情勢がまだそこまで至りついていないことを理由に、インドなどの後進国同様、除外例を認めてもらって9時間労働制の実施を決した。それも国内法の整備のため実施を5年後の1922年(大正11年)まで猶予してもらうこととしたのであった。(このことはこんどのILO総会での週40時間労働の勧告を時期尚早として渋って、とうとう流産にもちこんだのと軌を一にしている。日本の特殊性と時期尚早論は今も40年前と変っていない)

 そういうわけで、三菱造船所としては、日本政府が8時間労働制の理想に至るプロセスとして意図した9時間労働制を採用したのだ。しかし、政府がその9時間制の実施を3年後としているのに反し、三菱は一足先きに、猶予期間を置かず、そのまま即時実行するのだから、むしろ鼻高々だったのである。

 もっとも、9時間労働制とはいっても、川崎の8時間労働制と同様、仕事の急ぐ場合は時間外労働(残業)を課するというのだから、どちらにしても、労働会議の8時間制議決からは、かなりの距離の存したことはいうまでもない。

      (つづく)



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