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村島帰之の労働運動昔ばなし(第97回)

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「観音山公園にて」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)



村島帰之の労働運動昔ばなし(97

『労働研究』(第162号)1961年9月号連載分

     第十三回 労働組合のPR活動
             ―播磨造船所と神戸市電の要求一

             
            
                庶務課長 北村徳太郎氏


 私は北村庶務課長のやり方に好感をもった。聞けばこの人はキリスト教信者だという。そういわれて見ると温厚篤実なゼントルマンであった。このクリスチャン課長は間もなく支配人となった。この人こそ、後佐世保の銀行に転じて頭取に進み、代議士に選出され、大蔵大臣にもなった北村徳太郎氏だったのである。

 ついでだから播磨造船のことをもう少し書こう。北村氏の方針なのであろうか、この造船所は当時既に民主的な雰囲気がただよっていた。

 前記の会社住宅にしても3間で3円50銭のバラックのほかに、門構えの堂々とした6間のいわば社員住宅といったような高給住宅もあったが、社員、職工の区別をつけず誰でも好きな方に住まっていいことにしてあった。しかし高給者は別として3等社員ともなると、家賃の安いバラックの方を借りる者が多く、背広と菜っ葉が隣りあって住んで、仲よく暮しているという事だった。

 もう1つおもしろいことがある。播磨造船所は相生港の東岸にあって、職工の中約2、000人は西岸から渡船で通勤していた。夜勤の職工が早朝造船所を出て、渡船で家路さして帰って来ると、船着場には彼らを待ちうけている1隊の女郡であった。客ひきの夜の蝶なら早朝からではおかしいと思ってよく見ると、それは職工たちの妻女である。それにしても此処の職工さんは何と仲のよいことだと感心していると、夜勤から帰った良人と出迎えの妻は1組ずつに分れて、河岸に腰をおろし、妻女は携えて来たフロ敷包をおもむろに開く。とそれは弁当であった。しかも2人分の一一。説明するまでもあるまい。彼らはセセコマしい家に帰って食事をするよりも、空腹の良人に一刻も早く食事をさせたいという思いやりと、景色のいい、空気の澄んだ河ばたで2人打ち揃って朝餐をとろうという女らしい考えから、かくは朝の食卓を此処まで運んで来たというわけであった。私は播磨造船所と聞くと今でもまっ先きにこの事を思い出す。

      (つづく)






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