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村島帰之の労働運動昔ばなし(第99回)

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「ぶらり散歩<観音山公園>」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)



村島帰之の労働運動昔ばなし(99

『労働研究』(第162号)1961年9月号連載分

     第十三回 労働組合のPR活動
             ―播磨造船所と神戸市電の要求一


                 
               勝ち戦にもふえぬ組合員


 さて、また話を本筋の友愛会神戸連合会に戻そう。大正8年の川崎造船所の怠業事件は野倉萬治、青柿善一郎、柴田富太郎、石橋市作、広田健児氏らの友愛幹部が中心になって決行されたが、しかし友愛会自体が正面きって乗出したというのではなかった。

 現に岸愛会の智識分子のリーグ一賀川、久留氏らは直接これに関与せず、賀川氏の如きは、明らかにサボタージュに対して反対の意見を東京の新聞に書いたほどである。従って怠業事件の要求条項が全部容れらたばかりか、思いもかけなかった「8時間労働制の実施」という大きな副産物をさえ招来したからといって、労働者はこれを労働組合――具体的にいえば友愛会神戸連合会の偉力の賜物とは受取らなかった。ただ漠然と「労働者が勝ったのだ」という意識があっただけであった。

 そういうわけで、怠業事件の勝利ということがあったにも拘らず、友愛会の会勢はさして発展を見たいということはなかった。つまり労働者の組合意識はほとんど高まるということがなかったのである。

 それに、今日のように労働組合が法によって認められ、保護されて、組合費の如きも、会社が組合に代って俸給の中から差引いて、一まとめにして組合に渡してくれるというようなことがなく、組合の幹部が一々会員の手から会費を受けとり、また機関誌が発行されると、組合事務所に行って受けとって来て会員一人一人に手渡すというのだから、その手数は大変なものであった。

 それだから、よほど労働組合運動に対し理解と関心を持つ者でないと、オイソレと組合には加盟しなかった。その上、組合に入会している、ということだけで、上司からはにらまれ、何か紛争が起こると、人形の首でもひっこぬくように簡単にクビになるおそれがあるのだから、いよいよ敬遠されるのはあたりまえであった。そこで友愛会は何をおいてもまず組合を宣伝し、新会員の獲得に努力する必要があった。

    (つづく)





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