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村島帰之の労働運動昔ばなし(第100回)

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「神戸ルミナリエ」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)



村島帰之の労働運動昔ばなし(100

『労働研究』(第162号)1961年9月号連載分

     第十三回 労働組合のPR活動
             ―播磨造船所と神戸市電の要求一


              1万人運動と久留弘三

 サボタージュの頃の友愛会神戸連合会の会員は3千人にも足りなかった。今なら1つの工場の労働組合員でもそのくらいはある。そこで、連合会では新会員獲得のため「1万人運動」というのを起こした。組合員を一挙に1万人にふやそうというのである。そこでまずできるだけ各方面で宣伝演説会を開いたり、労働組合早わかりといった風な宣伝ビラをまいた。

 近刊の「兵庫県労働運動史」を見ると、その宣伝文の1節が抄録されている。

 「吾等の運動は正義の上に立脚す、然れども、力なき正義は根のなき花の如し、吾等は団結によりて力を得ざるべからず、これ吾等が「1万人運動」を開始したる所以、憂国の労働者よ、来りて我が団体に投ぜよ」

 硬くるしい文語調は、賀川氏の筆でないのは勿論、久留氏や能文家の青柿善一郎氏の文章でもない。とすると、どうも私の書いたものらしい匂いがする。

 久留弘三氏は私よりも2年下の早稲田大学の卒業生(鈴木茂三郎氏より1級上)だが、早大在学中から学資稼ぎのため友だちと「テンセン・ストアー」(10銭均一の店)を開いていたという商才をも具えた活動家だったので、主務となるとともに会員の拡張には一番意をもちいて、1万人運動などというものを計画したのでめった。

 久留氏は早大在学中から友愛会に出入りしていた。その頃、慶応の学生だった野坂 鉄氏も一緒で、労働問題の研究に余意がなかった。野坂鉄というのは現在の日本共産党の野坂参三氏である。野坂氏は学究肌のおとなしい美青年で、慶応を出ると小泉信三教授の推せんで一時慶応の講師をしながら、やはり友愛会の仕事をつづけていた。友愛会での仕事というのは主として機関誌の編集で、大正7年4月、大阪で開かれた友愛会の6周年大会にも野坂氏は大会の記録係をつとめ、大会の終った夜の公開講演会には演壇下に作られた小テーブルに、野坂氏と私か向いあって仲よく関一博士らの講演要旨を筆記した。

 その年の1月、私は「ドン底生活」という貧民研究の小著を出版したので、野坂氏に送ったところ、彼は刻めいに読んで、誤植を全部ひろい出し、「再版の時に役にたてて下さい」といって送ってよこした。野坂氏はそういう人だった。

 これに反し久留氏は実務家といった努力家で、友愛会の発展のため次から次へといろいろの企画を応てた。1万人運動は大正8年10月に始まったのだから、彼が神戸連合会の専任主務になって2年目で、連合会を強化するためには、どうしても1万の組合員がほしいと実感した結果である。

 久留氏は随分と変ったプランを立てる男で私たちを面喰わせた。彼は1万人運動も、定石通りの演説会やビラだけでは平凡だと思ったのか、「友愛会1万人運動」と大書した番傘を大量にこしらえて、にわか雨の時など、何人かの菜ツ葉服を着た連中が相合傘で市中を歩くようにした。

 私もその1本を買わされたが白浪五人男の綾瀬川堤の勢揃いの場のような、傘をアミダにさして大道を高歩するのはちょっと気がひけて、ついに一度もささずしまいで、社会主義文献数十冊とともに大原社会問題研究所の資料室へ寄附したが、今も残っているかどうか。

       (つづく)


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