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村島帰之の労働運動昔ばなし(第104回)

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「寒中散歩<西山公園>」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)



村島帰之の労働運動昔ばなし(104

『労働研究』(第168号)1962年連載分

     第十四回 日本最初の労働劇団
             
     (前回の続き) 

            「日本労働劇団」の誕生


 労働者の余暇利用について語ろうとして、新開地で足ふみをしてしまった。

 さて川崎造船所の8時間労働制実施に伴い、友愛会でも新たに生じた余暇を、組合運動の方に向けさせるため未組織の人々に働きかけようと、いろいろと企画を立てた。労働講座の開催は、既に組合に加入している人々の教育に役立つが、まだ入会していない人たちを一足飛びにそこへ引っぱり出すことはむつかしかった。久留弘三は組合員の教育に力を注ぐ一方、未組織の一般労働者に対するPRや文化的な働きをも忘れなかった。何とかいう外国映画が労働者の団結をテーマにしているというので、それを借りて来て各地へ持ち廻ったり、これから述べようとする労働者による労働劇団の結成に力をつくした。

 戦時中、私が早稲田大学の講師をしていた頃、一人の文科の学生が「先生は日本での最初の労働者劇にご関係だったそうですね」とたずねた。

 「日本新劇史にそう出ているのです。神戸の川崎造船所の職工さんたちだけで、労働劇を自演した時、先生はその顧問だったと書いてあるのです」と説明を加わえた。そういわれて私はサボタージュ事件直後のことを思い出した。

 ずっと以前から、自分たちだけで芝居をやって見ようという意見が、友愛会の会合でも出ていたが、サボ事件のあと、就業時間か減り、夕方早く家に帰れるようになったのを機会に、労働劇をやってこましたろやないか、といった声が、川崎造船所の電気工作部の一部から起こった。その中心人物は同工作部の青柿氏の下でサボタージュの時も活躍した丹崎勉氏だった。丹崎氏はこれを久留に話すと、芝居好きで新国劇のファンでもある彼は双手をあげて賛成して、すぐ私へ連絡して来た。私は新聞社で労働問題を担当していたが、そのかたわら、市政と演劇をも片手間に担当していた。市政はともかく演劇記者は全く方面違いのようだが、これには事情があった。

 今は違うだろうが、その頃、地方の演劇記者は劇場のご用記者の感があり、少し大きな芝居のかかる時ぱ興行元が記者を招待してご馳走したり、番組の替り目には新番組に添えで金一封(ハナクソほどだが)を届けて来たりする風習が残っていた。そこで岡崎支局長は着任と共にこの弊風を一掃し、少くも毎日新聞だけは興行元のヒモつきでない、公平な報道と批判をしようというので、学生時代、坪内逍遥先生らの文芸協会や、小山内薫氏、先代市川左団次らの自由劇場などの新劇に夢中だった私を思いきって起用したというわけであった。

    (つづく)



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