スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

村島帰之の労働運動昔ばなし(第107回:最終回)

1


「長田神社のクスノキ」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)



村島帰之の労働運動昔ばなし(107)最終回

『労働研究』(第168号)1962年連載分

     第十四回 日本最初の労働劇団
             
     (前回の続き) 

              左翼劇場より数歩先に


 この趣意書からすると、労働劇団は労働運動宣伝の一手段として創始されたもので、六力しい理論を耳から入れる代りに平易な事実を目を通しで直接労働者に感得させようというのであった。その意味では、舞台と観客席が一つに融けあうことのできた労働劇団の公演は一応の成功であったといえる。

 新劇界に左翼劇場の運動が起こったのは神戸の労働劇団の初演から数年も遅れていた。それに神戸の場合のような、昼間、工場に働いている労働者が夜の余暇を利用して演技するというのでなく、イデオロギーを同じくする学生や若いインテリといった人々の集まりで、ゴリキーの「母」などといった翻訳劇を主として演じた。観客は社会主義的傾向をもった若い年齢層で熱狂的に舞台に声援を送った点は、労働劇団と同じだったが、もっと闘争的であった。「母」の場合、罷業団員の母が、組合員の連絡のため女人夫に擬装して工場に潜入するところへ来ると「敵に見つからねように行けよ」「お母さん、資本家の走狗に注意しろ」などと、階級意識的ヤジが怒号の如く起こって、芝居とは思えぬほど実感が迫った。労働劇団の結成がもう数年遅かったら、左翼劇場の運動のような激しい階級闘争的な芝居となったろうが、少し時勢が早やすぎたので、おとなしい舞台ぶりであり、また観客の熱狂ぶりも底の浅いものであったのは当然だった。                     

 日本最初の労働劇も、時期が早やすぎて、第1回の公演だけで解散となったが、しかし、それまでの芝居が華族や富豪の子女の悲恋などを主として演して、ミーチャン、ハーチャンの涙をそそっているにすぎなかったのに、汗とあぶらにまみれた労働者を主人公とし、実際の工場生活をとり入れた芝居を労働者自らが演じて、労働者に見せたという試みは大きく評価されていいと思う。
            
 私が遺憾に思う事は、この労働劇団を沢田正二郎が指導してくれていたら、この劇団の演技がもっとうまくなっただろうという事以外、沢田に何ものかを教える結果となって、剣劇物にとりつかれていた沢田の芝居が、もっと新時代に相応しい新鮮味を加わえたであろうに、と惜しまれる。それにしても、その当時は、単に組合の宣伝の一方法として思いついて創始した労働劇団が、わが国における最初の労働者演劇として高く評価され、日本新劇史にも記載されようとは、当時中心として働いた丹崎氏や久留氏はもちろんのこと、実際演技をした技芸員の諸君(もうあの時の若かった女優さん?も60才前後の婆さんになっているだろう)の思いもかけぬところであろう。

                                      一労働運動史家一



スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

keiyousan

Author:keiyousan
このブログのほかに同時進行のブログもうまれ全体を検索できる「鳥飼慶陽著作ブログ公開リスト」http://d.hatena.ne.jp/keiyousan+toritori/ も作ってみました。ひとり遊びデス。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。