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村島帰之「労働運動昔ばなし」(『労働研究』連載第9回)

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「尻池街園」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)




  村島帰之「労働運動昔ばなし

  『労働研究』(第153号)1960年11月号連載分

      第九回 日本最初のサボタージュ
          ―タナボタの8時間労働制―
 
 
 一度やって見たいサボ

 大正8年8月18日、大阪毎日新聞夕刊のトップの「神戸川崎造船所職工1万6千人の大同盟怠業(サボタージュ)」という3段ぬきの見出しが読者を驚かせた。疑くり深い読者は「同盟怠業」は「同盟罷業」の誤植だろうと思った。念のためほかの新聞をひらいて見ると、川崎造船所職工の要求が拒絶されたという報道はあるが怠業の夕の字も出ていない。

 サボタージュは新聞の読者にとって初耳であっただけではなく、これを胸先につきつけられた川崎造船所でも全く始めてお目にかかるしろものだったし、またこの新労働戦術を採用した当の職工諸君にとっても甚だケッタイなものであった。いいや、これをスクープした毎日新聞でも、私以外の者はみなけげんな面持だった。

 私が夕刊締切のギリギリにごの記事を毎日神戸支局から大阪本社へ電話で送った時、これを受けた速記者は「サボタージュって何やね」と問いかえした。「日本最初の風変りな労働争議だ。ほかの新聞はみな知らない。本社の特ダネだ。デカデカと大きく取扱ってもらってくれ」と息をはずませて説明したことを思い出す。

 しかし一般の人々にはサボタージュは初見参の珍しい争議戦術だったが、労働組合では一一少くとも、神戸の友愛会の幹部のあいだではおぼろげではあるが聞き知っていて、ストに対する弾圧の裏をかいていつかは一度やってみたいと思っている者もあったのだ。

 私はその頃アメリカのIWWから送られて来た「サボタージュ」と題するパンフレットを読んで始めてサボタージュを知り、またブーゼの「サボタージュ」の英訳本が丸善に来ていると聞いて取りよせて読んで、その新知識を、友愛会神戸連合会の労働講座で得意になって話した。連合会の新知識といわれた川崎造船所電機工作部の旋盤工青柿善一郎氏らは「一ぺん、わしらでやってかましたろうか」といっていた。その上、発禁になったが「改造」に山川菊栄氏らのサボタージュ論がのって、一部の幹部はこれを回覧し、怠業をやって見ようという考えが、友愛会の幹部の中に次第に成長して行った。

 歎願書の提出

 ある夜、友愛会に行くと、青柿善一郎氏が居て「ちょっと相談したいことがある」という。2階の隅に行って青柿氏の話を聞くと、川崎造船所の造船、造機、製缶、電気の各工作部では現行日給7割の歩増の本給繰入れと5割歩増、6ヵ月以上勤続者に対する年2回の賞与支給、それに特別賞与、分配期日の明示、食堂洗面場その他衛生設備の完備の4項目にわたる嘆願書一一まだ要求書という言葉は一般に使用されてはいなっかた一一を松方社長に提出するというのだ。

 戦時歩増の本給繰入や歩増の増加や年2回の賞与支給は前記の「大正8年中に何をしたいか」というアンケートにも出ているほどで、要求としては一般的常識であるが、特別賞与は川崎造船所だけの問題であった。特別賞与というのは松方社長がイギリスから帰朝した時、造船所で多年功労あった者に特別賞与3、750、000円を支.給すると発表したのに、その後、一向支給される気色さえ見えないのに業を煮やしたものであった。また衛生設備の不備はいやしくも大川崎の設備としては受取れぬほどのもので、食堂らしい食堂はなく、雨天の日などは工場の軒下に立って雨を避けながら食べるので雨のしづくが弁当に入る。手洗設備もなく、器械をふいた古布で手をふくがその布たるや油じみているのは当然としても時には血でよごれたものさえある、という話であった。

 これらの要求を盛った嘆願書の起草を青柿氏は一任されたのだが、どんな風に書いたらいいか迷っているので私に手伝ってほしい、というのだった。私と青柿氏はひたいを寄せて、松方社長向きの恐惶謹言といった調子の草案を作製した。サボの直後、私の編纂した小著「サボタージュ」にはその嘆願書全文がのっているが、その末尾には、
「博愛仁慈の社長閣下にして幸いに我等の窮状を御憫察の上、何分の恩命に接するを得ば我等1万5千の職工及び家族の幸福これに過ぐるものは無之侯」
と書いている。今の労働運動家が見たら「何という封建的な」と憤慨するだろうが、40年前はこんな美辞麗句が儀礼的に使われたもので、もちろん本心からではない。

 なお嘆願書の草案を書き終ったあとで、要求が拒絶された場合は懸案の「サボタージュ」を決行する予定だということを青柿氏はそっと耳打ちしてくれた。勿論、これは決行の時まで絶対秘密である。

 右の嘆願書は8月15.6両日にわたって提出され、川崎造船所全職工16、000名の意志がハッキリと打ち出された。しかし18日の労資会見で松方社長は特別賞与は10月31日までに支給する。年末賞与は6ヵ月間10日以内の欠勤者には支給する。衛生設備も漸次完備する、と要求を認めたが、第1項の増給案は「当社には近く8時間労働制実施の計画中だから」といってこれを拒否した。各部職工代表は「それでは要求拒絶ですな」と一言を残し肩を怒らせて退場した。

 この会見に立会っていた各新聞記者は「決裂だ!」といって、これを記事にするため急いでそれぞれの新聞社や支局へ帰って行った。しかし、私だけは支局へ帰るべき足を反対に職工代表と一しょに工場の方へ運んで行った。
 いよいよ日本最初のサボタージュが始まる。そのサボがどういう風にして実行されるか、それを見て記事とせねばならぬと心を躍らせながら一一。

 これがサポタージュだ

 工場の門は既に保安委員と呼ぶ争議団員によって守られていたが、友愛会の会合で私を知っている連中が多く、微笑をもって迎えてくれた。

 これが普通の罷業なら、工場内は旗がふられ、労働歌が歌われ、デモの渦巻が見られるところだが、工場内はふだんの日よりも静かである。空中にかかっている大きなガントリークレーンもノロノロと動いているだけで、宙ブリの車体の上からは、いたずら小僧がブラッセルの小使小僧の真似をして地上のわれわれの上にあたたかい霧を降らせる。5台の造船台でも、日頃は耳を聾するばかり騒がしい鋲打ちのエヤ・リベットの音が、申しわけのようにホンの時たまひびくだけだ。仕事を中止しているのではない。みんな配置に着いてはいるが能率は意識して極度に下げているのである。しかも、空を見上げると、煙突からは煙が濠々とあがっているが、機械は空廻りしているだけだ。大きな鉄板に穴をあけるポンスエ場でも鉄板がフラフープのようにくるくると廻ってはいるものの穴を穿つ作業はやめているから能率はゼロというよりはマイナスである。

 工場の作業は全く麻痺している。しかし職工は職場の位置に居るのだからストではない。リベットも時たまだが音を立てているのだから作業は中止されているわけではない。ボイラーの係は平常よりも沢山の石炭をくべているのだ。これがサボタージュというものだ。それを私は現実に見た。

 私は胸をとどろかせながら、夕刊の締切時間の迫る新聞社に、私か親しく見た日本最初のサボタージュを報道するすこめ、川崎本社から相生橋々畔の毎日支局まで、ひた走りに走った。他の新聞社ではサボタージュの事は夢にも知らず、係の記者は川崎造船所職工の要求拒絶というだけのニュースを書き終って一服している頃だろう――。

 夕刊にサボタージュの記事がデカデカとのり、しかもこれが毎日新聞以外には全く報道されていないのを見て、一番最初に私を訪ねて来たのは所轄相生橋警察署の高等係主任の黒岩警部だった。警部は生れて始めて聞いたサボタージュについて質問し、さらに、川崎造船所職工がどうしてこの新戦術を採用するようになったか、またあなたはどうしてこの事を知ったか、と訊いた。私は友愛会の幹部は書物を読んだり、組合の労働講座を開いたりして、海外の労働運動の戦術については先刻ご承知だ、と答え、わたしがこれをスクープしたのはわたしの耳が早やかったからだ、と衿らしげに話した。そしてサボは海外では20数年前から行われているものだ、と教えてやった。

 サボタージュの原理

 怠業はフランス語のサボタージュの訳語で、サボタージュはフランスの農夫たちのはく木靴のことである。木靴は日本の神職が祭式の際にはく木の沓(クツ)と同じような形をしているが、もっとがんじようにできている。しかし底は普通の靴とちがって皮ではなく、厚い木でできているため、急いで歩くことは困難で、どうしてもノロノロとしか歩けない。そこで木靴をはいて歩く時のようにノロノロと仕事をすることをサボタージュと呼ぶようになったものである。

 外国ではずっと前から行われていて、フランスのサンディカリストC・G・Tなどでは既に50、60年前から労働争議の戦術として正式に採用したが、生産を麻庫させるというので1910年には表面上禁止となった。

 サボタージュの原理はLess Day,Less Work. で、日本語に意訳すれば「安かろう、悪かろう」となる。雇傭条件が低下したり、待遇改善の要求が一蹴された場合、労働の量や質をそれだけ落して、額面相当の労働を提供するにとどめようというのである。

 量的な怠業としては、土木人夫が賃銀を2割下げられた時、作業に使うスコップを2割だけ小さくしたというアメリカでの例のように、使用者が賃金値下でコストを下げようとした意図を全く画餅に帰せしめるといったやり方である。しかし出来高払いの場合となると、このように公式的には行かない。そこで作業の質を落して、見た眼では以前と変りのない働きをして従来通りの賃金を受取り、使用者の裏をかくといった戦術を採る。

 パリのビラ貼りの争議の際、糊の中にパラフィンをませて貼り、賃金は普通に受取ったあとで、太陽が照り出すとパラフィンがとけて、ビラは木の葉のように落ちるという仕掛けをした如きその一例だ。

 また交通労働者などは今日でいう順法闘争をやった。川崎のサボの直後、東京市電の大塚車庫で電車の入替えの順法闘争をやったことがある。電車が車庫のところまで来ると、どの車もブレーキその他の故障を理由に入庫してしまう。どうせ市電の車輛は大なり小なりみな故障があるから、監督も強いて運転せよとはいえない。大切な人命を預かる市電では故障した車を運転してはならぬという規則が存在するからである。

 近頃行われるサボ

 怠業のやり方は上に記したように業種により多種多様である。近頃、官公労がスト権をもたぬために行う順法闘争も明らかに怠業である。

 定時出勤、定時退庁、超過勤務拒否、宿日直出張拒否もおおむねこの部類に入る。これらは労働基準法や業務規程に基づく労務者の権利として行うのだか、使用者側にとっても、むやみと迷法呼ばわりのできにくいという点が、労働組合側の狙いである。

 例えば、定時出勤はもとより合法である。ところがみんな申合せて始業時間の直前まで一切職場に入らず戸口に待機していて、始業ベルのなるのと一しょにワーツと職場へ入る。実際に仕事を始める時間は定時より遅れるのみならず、仕事の前にちょっと一服ということにでもなればいよいよ遅れる。

 これも典型的怠業で、これが禁止、抑圧はいうべくして行われがたい。これらは官公庁職員の行う合法的実力行使と称する怠業であるが、一般工場労働者となると、その戦術はおのずから変って来る。

 文字通りのサボのノロノロ作業のほかに、資材の意識的な浪費をやる戦術も出て来る。大正8年の川崎のサボは、小規模ではあったがこれらの見本を天下に示したようなもので、その直後の東京市電のサボをはじめ、各地で連鎖反応の如くサポタージュが行われ今日に及んでいる。

 神戸川崎造船所のサボタージュは「元祖」サボタージュとして永く記憶せられることであろう。さて話を元へ戻して川崎造船所のサボの横様をかいつまんで記すことにしよう。

 男らしくストをやれ!

 サボは第2日を迎え、初日のどことなくぎこちなさのあったのに引きかえ、次第におちつきを見せた。朝7時の出勤時間には16、000の職工は弁当を小脇にいそいそと工場へ出勤した。黄色の腕章をつけて各入口を守る保安委員がニコニコ顔で仲間を迎えた。

 彼らは明らかに出勤した。ストではない。しかし、持場にはついたが一向仕事はしない。電力もはじめは前日同様流していたが、機械を空転させるだけで仕事をしていないのを見て、工作部長の命で9時限りでスイッチを切った。「おいらのせいではない」「会社が電力を止めたのだから、仕事をしようにもできない」といって、公然とサボを継続することができるようになった。

 前日、ホンのタマではあったが音のしていた鋲打ちも電力停止と共にハタと静まりかえった。鋲打工は船底の日かげの涼しいところでゴロリとなったり、雑談に余意がない。

 こうしてサボタ一一ジュは第8日目に入った。この日8月25日午後4時から職工代表野倉栄治氏ほか15名は、造船所本社の地下室で松方社長と2回目の会見を待った。しかし、松方社長は「おれを信じ、おれに委せろ」というだけで、サボタージュを頭から罵倒した。

 「お前たちは世界的に卑劣といわれているサボタージュなんかをやって、なんと情けない奴じやろか。サボをやるくらいなら、なぜ男らしくストをやらんのじゃ」

 野倉氏らは苦笑した。なぜなら、争議団の中にも変化に乏しいサボを嫌って、ストに切り替えろという声が出ていたからである。サボも8日目ともなると、あいて来たのである。

 「サボをやるよりストをやれ」という松方社長のこの日の言葉は、2年後に神戸の大ストとなって実現したことを忘れてはならない。松方はストを煽動した。明らかに治安警察法第17条の違犯で禁鋼2ヵ月に値いする。―一私はそう書いた。

 ご用暴力団の介入

 松方社長との会見が不得要領に終って、地下室から引きあげて来た野倉代表は、出口のところで人相のよくない一団に取り囲まれた。「ちよづと顔を貸してくれ」といって野倉氏を物かげへつれて行った。彼らは造船所へ人夫を供給しているK組の親方とその輩下で高飛車に「このサボをオレたちに仲裁させろ」というのだ。

 野倉氏は「委員と相談する」といってその場をはずして来たが、さすがの野倉氏も沈痛な面持で筆者に向っで「困った困った」を繰返していた。しかし会社の御用団体に委せられるような事柄ではない。かといって彼らの暴力と争うことになれば折角の争議がこじれてしまう。結局、金で解決をつけるほかに道はない、と判断してその金の捻出方法を協議した。

 暴力団は野倉氏らが返答を遅らせているのに業を煮やし、委員一同が会合している「みつわ」へ押しかけて行って、野倉氏の顔にゲンコを喰わせたこともあった。だが野倉氏らは彼らの挑戦に乗らず委員の中には喧嘩早い連中もいたが、大事の前の小事と歯をくいしばって忍耐した。そして結局金でお引取りを願ったようだった。

 争議の会計報告を見ると、9日にわたる争議総経費3、200円、そのうち前後17回にわたった牛肉屋みつわその他での会合費689円81銭、雑費がタッタ100円、残り2、500円は「造船部Y委員、製缶部K委員の退職餞別金」となっているが、この餞別金は、実は暴力団への鼻ぐすりで、これにより仲裁の手を引いてもらったので、YとKは貰わぬ餞別金を貰って退職して行ったもの、と私は解している。

 負けん気の薩摩っぽ

 さてサボは早くも第9日目を迎えた。27日午後2時、いよいよサボをストに切替える腹案を以って交渉委員16名は地下室で第3回目の会見をした。

 ところがそこには交渉委員の全く予想だにしなかった松方社長のドンデン返しが待っていようとは。松方社長は第1回会見の際、会社で実施を研究中だといっていた8時間労働制を急にこの機会に実行して、争議団の鼻をあかしてくれようと腹をきめた。同時に職工側の要求で、受諾を渋っていた歩増の本給繰入も同時に実施するという。但しこれはサボに加わらなかった兵庫工場の一部の職工に対してのみ実施する。サボをやる者はいつまででも勝手にやれというのだ。

 この松方社長らしい負けん気の、しかも太ツ腹の案は会見の直前までは極秘とされていた。そんなこととは知らない野倉代表らは顔面を緊張させて入場して来た。 

 私は会見の直前に川崎造船所担当の経済記者からそのことを耳打ちされて驚いた。野倉代表らに話してやりたい、それでないとストに突入してしまうだろう、そう思うが、既に会見ははじまろうとしていて、野倉氏らに近寄るすべがない。私は切歯やく腕するばかり、経済記者に「もう少し早く判からなかったのか」と詰問しだが、会社側は争議団にもれるのを惧れて、出入りの記者にも知らさなかったものらしかった。経済記者は「これが当世資本家気質というものさ」とうそぶいた。

 そんなこととは知らない野倉代表は松方社長に向って「今日からストに入る」という事を声明した。松方社長はニタリと笑って徐ろに「サボをやらぬ職工」に対する待遇改善案を係の者に朗読させた。

 私は立会の記者席の末席にいて松方社長のエビス顔をにらみつけていた。その時の松方社長と野倉代表とのやりとりは、速記が残っているので、その一ばんかんじんなところをそのまま右に記す。速記の全文は私の「サボタージュ」に掲げてある。或る新劇団員はこれを一読して、一幕物にしたいなあ、といった。

 当世資本家気質

社長「今日は何しにな」
委員「交渉員が協議した結果、われわれの要求が貫徹されるまで一同休業する事に決しました。それでその事を申上げるため会見を求めた次第です」
社長「それはご苦労、しかしお前達が休業するならせよ、当所の規則には3日間体業する時は除名する事になっている筈ぢゃ」
委員「でもお届けさえすればよいと思いますが」
社長「その通りぢゃが、休んでどうするのかね」
委員「休んでお返事を待たうというのです」
社長「なるほど判った。ところで先達も話した通り、俺はお前達の増給やその他いろいろ会社の改善を行う事については疾くより苦心している。そこで今これから話す事は実はモ少し早く発表したかったのであるが、お前達か今度のような事(サボを指す)を起し、それが邪魔になって仕方がなかったので、その運びに至らなかったのぢゃ、………兵庫工場の一部分は一時お前達と同じような事をやったがその後皆おとなしく仕事をしてくれているので、実は今日会社の案を発表した。俺はお前達の人格を重んじ、夜市の植木屋に対する如く50銭に負ろとか、70銭に負ろとかいうようなケチな事はいわぬ。俺は俺の信ずる通り断行する。お前達は休業するそうだが、中にはこの儘造船所へ戻って来ないで、再び逢えぬか分らぬ者もあろうと思うから今、朗読させる会社案をよく聞き取ってくれ……(庶務課長、8時間労働実施及増給案を朗読す)‥‥‥
社長「今朗読させた通りぢゃ、お前達の案と俺の案を比較対照するに、お前達の案は上級の者ほどよくなって下級の者は割がよくならん、こんな案にどうして同意する事ができるか、俺は賛成せないのだ。これがためなお怠業するとも、休業するともそれはお前達の勝手じゃ」
委員「伺います。先刻朗読せられた賃金改正案はわれわれが明後日から復業して従前通り働けば実行していただけるのですか」
社長「本社の職工にどんな差別があるか」
委員「ソレでは私達の帰るのを待っている職工や既に帰宅している職工に明後日から出勤して働けばこうして貰えると伝へましたら」‥
社長「一体お前達のざまは何だ、独りこの俺をいじめるばかりでなく日本人全体をはずかしめる訳ではないか」
委員「ですから本社の職工に対しても同様実施のことを聞き容れて貰えませんですか」
社長「いかにも無謀な事をしたという事がわかり誠実に働かぬ限り何ともいわれんわい」
委員「では、実際誠実に働けば実行するとおっしゃるのですか」
社長「実行せぬとでも思うのか」

 野倉氏はじめ交渉委員はキツネにつままれたような面持だった。要求の戦時歩増手当の本給繰入、残業歩増が通るばかりか、要求もしなかった8時間労働制さえ実施しようというのだから一一。 
                 
 花は会社に、実は職工に

 松方社長はこれはサボをしない者への処置だといったが、もちろん、サボをやめて松方の前に頭をつけてわびをいうなら、同様均霑させてやってもいいというのであった。

 会見は終り、そのあとで全交渉委員の会議を開き、どう終結をつけるかについて協議したが、最後に投票となった時、私は開票立会人に指名を受けたが、此際は一刻も早く旗を巻くことが賢明の策と考え、心がはやって開票に当りムリをして投票のやり直しを要求され、立会人の面目を失墜したことを思い出す。当時、私は27才の多情多感の青年記者だったのである。

 こうして日本最初の川崎造船所のサボタージュは、表向きは職工側か松方社長の前にカブドをぬいだ形で解決を見たが、実際は職工側の全要求が通ったばかりか、要求外の8時間労働制という大きな拾い物までして、その上、1人の検挙者も出さずにすんだのであった。花は社長側に持たせ、実は職工側か頂戴したという結果であった。まずはめでたし、めでたしというところであった。      
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