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村島帰之「労働運動昔ばなし」(『労働研究』連載:第11回)

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「須磨の海岸」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)




  村島帰之「労働運動昔ばなし

   『労働研究』(第160号)1961年6・7月号連載分

  第十一回 いわゆる「八時間労働制」
       ――川崎のサボが起こした波紋


 サポタージュの意義

 川崎造船所のサボタージュは2年後に起こった川崎・三菱両造船所のストライキほどに世間は評価していないが私はそうは思わない。もちろん、争議としての規模や、その波瀾に満ちた内容においては比較にならないが、しかしサボタージュ事件が起こした波紋は、労働新戦術としてのサボの存在を天下に知らしめたこと以上のものがある。

 いうまでもなぐ、8時間労働問題がこれを契機として全国的に波及し実行されてやがて、就業時間の常識とまでなったからである。その意味から、大正8年の川崎造船所のサボタージュは単なる新奇の戦術として見るだけでなく、わが労働界に一つのエポックを劃した事件として高く評価されるべきものと思う。

 もちろん、8時間労働制は後段に述べるようにサボタージュ以前から一部には実施されていたのだし、またこれが問題となり出したのも川崎のサボタージュがあったからだとは断ずることはできない。

 サボタージュの起こる前、第1回国際労働会議において「労働原則九ケ条」が議決され、その一項目として8時間労働制の実施がうたわれていて、労働者も使用者側もこれに深い関心をよせていた。ただ、日本政府および使用者側は、8時間労働制の実施をなお時期尚早だとして、印度などと同じ特殊国並みに除外例として9時間半に値引して調印した。

 それも実施時期を5年後(1922年7月1日)としたのだが、その実施期限が到来しても、なお調査に名を借りて容易に実施しなかったぼどであった。そんなわけで、一般には8時間労働制は望ましいことだが、日本の現状ではまだまだ先きの事と見ていたのである。それをたとえ名目だけにしろ、8時間労働へ踏み切る(あるいは踏みきらせる)契機を作った川崎造船所のサボタージュは意義の深い争議だったといわねばならない。

 「8時間労働は時期尚早」

 第1回国際労働会議が労働原則9ケ条を議決した時、使用者は大いに狼狽した。そしてこれを正面から反対し阻止することは、とうていできないにしても、その実施を少しでも先きに延ばそうと必死になった。

 日本工業倶楽部ではそうした空気を作るため、大正8年8月、ちょうど川崎のサボタージュの姶まろうとしていた頃、全国の商業会議所に諮問し、神戸商業会議所では各工場主の意見をまとめた。鐘紡、川崎、三菱等の大工場は「回答未着」だったがその他の工場主の回答を総合すると次のようなものだった。


 第1 8時間労働問題

 1 連系作業による工業には8時労働は実施困難であるが連結作業による工業ならびに就業者の身体及び健康に直接危害を及ぼす事業(エ場法施行令第三条該当事業)には8時間労働の実施は可能である。

 2 8時間労働実施の困難なる事情としては資本の欠乏による生産設備の不十分、労働者の規律的習慣ならびに精力集中の欠乏、体力貧弱に伴う能率の低下によって来る生産の減少などが重なる原因で、現に請負制度を実施している工場では請負賃率を改正しない限り労働時間の制限は不可能である。

 また労働時間の長い農業労働者をして都市集中の傾向を旺盛ならしめることもこれが一原因である(工湯主中には現在ある1日、15日の休日を毎日曜毎に改正するぐらいは容易だという者がある)

 右の8時間労働問題につづいて失業予防、夜業廃止、婦人労働の各問題にふれた後わが国がこれに加盟する条件として次の如く結語しているのである。

 国際労働原則9箇条は労働条件改善のため人道の理想を説いたもので双手をあげて賛成 すべきであるが、一国の産業の発達には特殊の伝統と事情があるから、欧米百年の犠牲と 経験とからなったものを直ちに日本の現状に移すことは考えものである。ゆえに実施期間 に相当の猶予を置くを条件として加盟すべきである。

 時期尚早だ。日本の労働事情と欧米先進国のそれとは違う――これが当時の工場主の8時間労働に対する共通した意見で、鐘紡の武藤山治氏もこの意見をもっていた。それを押切った松万幸次郎氏はやはりエラモノであったといえよう。

 しかし、甚だヒネクレた言い方かもしれんが、その松方氏もサボタージュ事件がなかったら、まだ「調査中」を続けていたのではなかろうか。

 私はその頃始まったメーデーの示威行列にうたう歌を作るよう友愛会から頼まれて、歌と一しょに「デカンヨ節」をおそえものに作ったが、その中にこんなのがあった。

 「8時間労働も、やれない国が、聞いてあきれる一等国ヨーイ、ヨーイ、デッカンショ」

 (この時のデカンショ節のうち「どうせやるならデッカイことなされ、世界中まっくろけのストライキ」というのは禁止を命ぜられた)日本は戦力では一等国でも、労働問題ではインド並みだったのである。

 川崎以前の8時間工場

 なるほど、8時間労働制が労働条件の常識となったのは川崎のサボタージュ以後ではあるが、八時間労働はそれよりもずっと以前から一部の特殊事情のある工場では実施されていた。

 サボタージュ直前の大正8年7月末現在で、兵庫県下における八時間労働制実施工場は既に20工場を数えていた。その中でも1回作業、うまり8時間の労働を終わるとそのまま工場の作業を打ち切るものは12工場で、交替作業、つまり昼夜作業で1日24時間を3交替で作業するものは8工場であった。これを業態により区別すると、

                  1回作業      交代作業
  製綿               4
  金属品              1         1
  ゴム製造                       2
  製本印刷                       2
  器具               1 
  窯業               2         1
  化学                        2
  木竹蔓茎             4    
  合計              12        8


 最も多いのは製綿工場と窯業であるが、製綿は実は仕事の不振のため自衛上8時間労働を実施しているもので、労働者保護のためのものではない。

 これに反し窯業はガラス製造のごとく、カマドの冷却を避けるため夜昼夜作業をやっているのと、熱大の前の作業で長時間労働はムリだから交代作業をしているというもので、後記の旭硝子や島田ガラス(新淀川の東岸で大阪府にあるが)などは残業なしの8時間労働2交替制をとっていた。

 私はサボタージュのあと、県下の8時間労働実施工場を見て廻って、毎日新聞に11回にわたってこれを詳しく紹介したが、暫くして8時間労働が全国的にやかましくなり出した時、東京から中外商業新報の特派記者が全全国でも最も早く8時間労働を実施した兵庫県下の工場の実情を調べに来て、私の書いた記事を読み、これ以上書くことはないといって、切り抜きをもってそのまま帰京した。

 旭ガラスの場合 

 兵庫県下のガラスエ場で最も早くから8時間労働を実施していたのは尼崎の旭硝子製造工場であった。同工場は明治24年の創立で、その時からガス発生部を除き、8時間労働を実施していた。ガラス製造の基をなす吹部(溶液を棒の先につけて口で吹いてふくらます作業)と延部(延ばして板硝子とするもの)の職工848名は午前6時から午後2時まで(申出)と午後10時から午前6時まで(夜業)の3組に分けて8時間ずつ働いていた。この中には30分の休憩時間が含まれているから、実働時間は7時間半、その上、夏季4ヵ月はさらに炎熱をおもんぱかって6時間労働制をとっていた。火をあいてとする仕事の性質上こうした短時間制は当然である。そのため過労な仕事にもかかわらず欠勤者も少く、1ヵ月の出勤日数は27日乃至28日(女子はやや低く23日)で、他の12時間労働の工場などに比べて遥かに高率であった。

 私はこの記事をのせると、旭ガラスの一職工が;直ぐ書面をよこして「貴紙掲載の8時間労働は本工場でも吹部などの一部だけで、昼勤作業の鍛工部、切部、営繕部、荷造部は10時間若くは11時間、また昼夜交代の電機、汽缶、調合、雑役は12時間労働をやっていると]と報じ、これらの部でも8時間労働制をとるように紙上で声授してほしいといって来た。

 ガラス工場の8時間労働も全工場ではなく、酷熱と戦う部門だけに限られていることを指摘して来たのだった。
 すると、こんどは八時間労働をやっている吸部の人たちから、「川崎造船所あたりでも8時間労働をやるのだから、釜中の魚のようなわれわれには、夏の6時間労働制をひろげて、1年中、6時間労働を実施してほしいといい、「それで、吹部職工200名はその旨会社に要求した」と伝えて来た。こうなると川崎造船所の名目だけの8時間労働などはあまり威張れたものではないと思えて来た。

 リバー・ブラザース

 私か見てまわった8時間労働実施工場のうちで比較的好感をもったのは武庫川の川尻にあったリバー・フラザース石鹸工場だった。もっとも比処は英国系の会社で明治45年創業当時は正味8時間労働制をとっていたが、職工が払底のところから、近頃は40分延長して朝8時15分前入場、夕方5時半退場、その間、1時間の休憩の8時間40分労働とし、その代り1週間の内、日曜は休業、土曜は零時半までとしたのだから1週48時間労働制をとっているという話だった。

 なお仕事の都合で1、2時間の残業をさせることも時にはあるが、その場合は残業手当のほか巻ずし3本を支給することにしているという話で英人の会社だけに巻ずしというのもおもしろいと思った。このほか皆勤賞与(月1円10銭乃至2円10銭、6ヵ月皆勤5円乃至10円)や年末賞与(全収入の5分乃至7分)もあり、4年以上勤続者には株を無償交付するパートナーシップの制度もあって川崎よりはずっと進歩的であった。

 ダンロップ・ゴム

 リバー・ブラザーズと同じように外人関係の脇之浜のダンロップ護膜極東会社の工場でも大正6年から既に8時間制を実施していたが、にれもリバーと同様、大体1時間の残業を行なっていた。

 同工場はその頃約5、000人の職工を雇用する大工場で、そのうち仕事が過激だったり、緻密だったりする者1、328人(全員の3割)に対して8時間労働制を適用し、3交替(8時間のうち20分間の休憩で実働7時間40分)をとっていた。

 しかし交替時に次の組の職工の休んだ場合などやむを得ず残業となったが、最短30分、最長5時間、平均1時間の残業で、1ヵ年間の各職工の残業日数は281日となっていた。つまり8時間労働とはいっても3日のうち2日は1時間の残業をしている割合である。しかしこれを川崎の定時8時間プラス残業2時間に比べたり、後述の三菱の九時間プラスAに比べるとずっと進んでいるといえる。

 なおダンロップが大正6年に8時間制を実施する前は10時間労働だったが、労働時間が2時間減ってもこれによる生産率の低下は10から8には減らず9前後にとどまったこというから、時間の短縮はむしろ生産能率を高めることが判る。これは職工の体力改善向上に因る処もあるにはあるが、それ以上に職工の心理作用による処が多いという。

 つまり、10時間労働当時は「どうせ10時間働くんだから」というゆっくりした心持だっだのが、8時間になって「うかうかしてはいられない」といった心持に変って、自然と能率があがったのだ、と工場側では説明してくれた。

 なお同工場では請取仕事が多いので、時間短縮の結果、減収となるのを憂慮し、8時間労働実施に当り、請取仕事の単価を2割方引き上げて均衡を保つことにしたという。行き届いたやり方だと思って私は大いにほめておいた。

 ところが、私の記事がのって暫らくすると同社のタイヤー部職工約200名が8時間労働制の実施と特別手当支給の要求書を会社に提出したという知らせが私の許に届いた。私は早速出かけて調べてみると8時間労働制はモーター部、人力車タイヤー部、ゴム引部等に限られ、他の部は10時間乃至12時間の勤務をしているので、この際全工場一律に8時間労働制を布き同時に従来より減収とならぬよう賃金率を改めてほしいというのだった。

 アルフア付きの8時間労働

 要するに、従来の8時間労働は、窯業やゴムエ業でも特殊部門だけに限定されていたのが、川崎造船所の8時間制実施で啓発され、これを全部門に拡大させようという要求が出て来たのであった。

 なお川崎の場合もそうであったように、川崎以前に8時間労働制を布いた工場でも、英国の労働者がメーデーの歌の中でうたっているように、「8時間働いて、8時間遊び、8時間眠って日給1シルリング」といった純粋の8時間労働(実働という方がいい)には程遠く、名は8時間でも、実質的には10時問以上働くのだった。つまり、短縮した2時間をフルに自分の自由に使用し、余暇をたのしむというのではなく、その2時間を「残業」の名で引きつづき働いて残業手当をかせごうというのが労働者側のゆき方だった。(それは低賃金の日本としてはやむを得ないことである)

 また会社側も、従来、10時間乃至12時間の労働をさせていたのを、8時間の定時と改め、給料の計算単位を低下するが、しかし、それで生産が低下しては困るので、それをカバーするため残業を課することとし、あわよくば、時間短縮により生産能率を昂進させようというところに狙いはあったといえる。そして労使双方の狙いは大体叶えられた。

 既に職工側としては従来の10時間、12時問のだらだらとした長時間労働から一応解き放され、ノルマは8時間ズバリとなり、そして定時以外の労働は残業ということになって、以前のように2時間の残業をするとしても、実働時間は定時が2時間減っただけ、自由時間か2時間ふえて、余暇をたのしむことができるようになったのだから、純粋の8時間労働ではないにしても、それだけ労働者の生活の向上と福利の向上が期し得られ喜ばしいことであった。ましてや、この喜びに均霑する範囲が、従来の狭い特殊部門から広く機械工業をはじめ全業態に及ぶようになったのだから、これを推進することに役立った川崎のサボタージュの功績はまた大といわねばならない。                     
 しかし、8時回労働は労働者側に福音をもたらしただけではなく、会社側にもプラスとなった時間の短縮によって、生産能率は向上したからである。前述のダンロッブタイヤーの労務管理者がいったように、これは時間短縮によって職工の健康状態が好転したからというだけではなく労働者心理が大きく影響していると見るべきであろう。

 では、当の川崎造船所における8時間労働実施後の情況はどうだったか。川崎造船所の発表にかかる調査(大正8年エ2月エ2日毎日新聞による)を次に記そう。

 8時間労働効果(川崎造船所調査)

 わが国における8時間労働制最初の採用者である川崎造船所その後の作業能率如何については、造船界は勿論一般鉄工業界の興味をもって注視を怠らないところであるが、同所の調査によれば実施以来日なお浅いため、工場全般にわたって能率増進を云々することは出来ないが、職工の出欠、製鋲、打鋲、道具製作、製条、鍛冶等の小区分においては日々の統計上その成績が適確に表示されてあるところからみても、一般工事進捗の程度もまた推知することが出来る。
           
 職工出勤 去る9月1日以後怠業問題発生前即ち同月17日までの間においてその出勤人員は9月4日(賃金支払日)に総人員1万4千人台を超過したほかおおむね1万2千5百人を越えず総人員に対する出勤率は7割3分であるが10月同期間において7割8分にのぼり、更に10月18日以後は8割8分を下らず25日以降は9割内外の好成績を示した。即ち10月中の平均出勤歩合は実に8割4分であって9月上半の7割3分に比し1割1分の大増差を示した。いま仮りに総人員を1万6千人とすれば千7百余人を増加した勘定になり、しかも新制度発表とともに職工の募集を中止したので、総人員は漸減して10月末1万5千8百人となり、9月中の最高1万6千7百人に比し実員において9百余人を減少したのに拘わらず、出勤率に前述の通り却って増加したので、減員を補充してなお余りある。のみならず、新に募集したものよりも技能熟達等の点より見れば、却ってその成績は良好である。ただ賃金支払日の翌日において急に欠勤者の増加する弊風は未だ全然矯正されていない。

 製鋲工事 9月1日より17までの製鋲高は最高5万4千余本2万2千5百ポンド、最低3万1千余本1万3千ポンド、平均4万6千余本1万9千余ポンドであるが、10月同期間には最高5千余本2萬余ポンド、最低4万4千本1万5千余ポンド、平均5万余本1万8千5百余ポンドとなった。9月中は作業時間12時間であり、10月4日以来は10時間作業に改めたが1日当り5万7千本2万2千5百ポットの製産高を挙げ、空前の好成績を示した。毎1時間当りの製産高を見るに、怠業前(9月1日~9月17日)は製鋲本数4千5百本を超えたのは9月4日のみであるが、新制度実施後では4千5百本を下る日は全然なく、9月16日の如きは5千6百余本の大製産高を表わすに至った。重量について見ると、9月上半は概ね1千4百乃至1千8百ポンドの間を往来するものが多かったが、10月同期間には1千5百ボンド未満のものは1日もなく、概して1千6百乃至2千2百ポンドの製産力を発揮し、その後能率ますます増進して普通の日にあってば1千6百ポンド以下に下らず、同月20日には2千2百ポンド、21日には本数5千7百本を超過した。

 船体鉸鋲 船体鉸鋲は怠業前は毎日12時間交代で、問題解決後は10時間とし、10月3日より8時間となった。然るにその毎日打鋲総数は8時間制実施以来却って増加した。

                自9月1日    自10月3日
                至9月17日   至10月17日
         殼  高   79、000本    74、000本
         最  低   23、000     43、000
         平  均   61、000     64、000

 即ち最高において減少したが平均本数において約5分を増加し、10時間制時代の平均5万4千本に比較すると約1割8分の増進を示した。10月18日以後においては1日打鋲高平均6萬1千余本に下ったが、最少日であっても5萬本を下らない状況で能率増進の結果によるもの少くない。もっとも鉸鋲作業は職工5名で1組(1ホド)とし打鋲するもであるが、その打鋲数の増減は作業時間の長短あるいは、組数の如何に関係することが大きい故にその能率の大小を比較するとすればその毎1組1時間当り鉸鋲数を対照する必要かあり。1ホド毎時間の打鋲数平均を見ると、9月上半は概ね20乃至29を示すに過ぎないが、10月上半以後には多く30乃至37の間を往来するようになった。

 道具製造 道具製造も一般に能率増進し鑪平目切の如きは能率特に著しく、1日平均目切高2百40吋内外を示し3割8分の増加を告げた。その他兵庫工場における各種作業工程は新制度実施以来ますます進捗し、特にパーミルの如きは頗る盛況を呈し、10月上半の製産高は9百36噸436で1時間当り3噸823の多きを算えた。同工揚げ定業8時間のほか2時間残業を励行したので、結局実働10時間の割合であり、これを10時間制時代に対比すると製産総高においては11噸7、1時間当りにおいては1噸余を激増した。

    期  間      総生産高     1時間当生産力
    トン        トン
   7年8月下      913,469 3,037
   同 10月上     1,032,708 3,395
   8年8月下       778,057 3,100
   同 9月上       924,736 2,737
   同 10月上 936,436        3,823

 フオーチング・ショップの製産も半箇月に20万噸を超えているが、その製産費は工賃増加の割合は多くなく、これは作業能率が向上した結果にほかならない。

   期 問   生産高   工 賃   生産費総額
   3月上   97トン    3,165   26、943
    9月上   194      3、536   29、269
    10月上   206      7、060   32、921

 出勤率は73%から78%さらに90%と上昇して職工の新規募集の必要がなくなったというし、製鋲などは、サボタージュ前は毎時4千5百本がせいぜいだったものが、8時問労働制実施以後、5千6百本にふえたというのだからすばらしい。そのほか、船体鉸鋲や道具製造、パイプ工事などいずれも能率は向上し、造船所はホクホクものである。そしてこの調子なら8時間+Aでなく、8時間ずばりにしても大丈夫という確信をさえもったようであった。

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