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連載:賀川豊彦の著作ー序文など(第14回)

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「ぶらり散歩:長田港」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)




   賀川豊彦の著作ー序文など

     わが蔵書棚より刊行順に並べる

               第14回
  

      人間として見たる使徒パウロ

           大正11年7月16日 警醒社書店 254頁

 本書は先の『イエスの宗教とその真理』とほぼ同じ装丁で、背文字も賀川の筆字で書かれ、箱入りの布表紙という、美しい著書として仕上げられています。後に本書は、大正15年5月10日、30数頁分を補筆して改版の書物として出版され、このときに装丁も全く改めて、初版と同じように箱入り上製本がつくられています。そして本書は戦後、昭和23年9月にも、大正11年の初版と同じ内容のものが刊行されています。

 賀川は、以下に取り出す「序文」のあとに、「この書もまた、伏見教会牧師の吉田源治郎氏が、私のために筆記してくださったものであります。私はそれを心より感謝しております。(中略)吉田源治郎氏の好意がなければ、到底世に出られないものであったと思うと、有り難いことだと思われます。」と、吉田への深い謝意を記しています。

 賀川の初期の研究的な作品や『涙の二等分』などの詩作品や前回の随筆・散文詩、或いは小説などは、自分で執筆しなければ出来上がらないことはいうまでもありませんが、上に書かれているように、賀川の講演や説教、或いは眼の病で口述作品になると、ほかの協力者が著作の仕上げに深く関わることになります。それらの事については追って触れることになりますが、さしあたって、吉田源治郎氏のことについては、賀川夫妻と吉田夫妻との生涯にわたる深い関係などを含めて、別の長期連載のサイト(http://k100.yorozubp.com/) を参照頂ければ嬉しく存じます。

              *        *

 それでは今回も、おめあての賀川の「序文」を取り出してみます。昨日も、賀川記念館での会議の合間に、書籍をスキャンしてパソコン上で文字化する手管を教えていただいたのですが、どうもまだ、私の手におえなくて、この度もぼちぼちと、楽しみながら、ここに打ち出して行くことにいたします。



           序

 パウロよ、おお パウロよ!

 おまえの行く道を見守って、私は今も感激の涙にくれる。

 美と調和に溶けたギリシャ文化が、漸く末期に近づいた時に、地中海の周囲は、ゆかりもなく、肉の香りに陶酔せんと努力した。

 その時、美のためにとて、奴隷を椅子にくくりつけ、踵(きびす)からその生皮を剥いだ。それが、文化的羅馬の自由であった!

 その時におまえは、狂人のように地中海の隅から隅え、吠えたぐる狂犬として、ただひとり大工イエスの宗教と良心の目醒めの春を告げて廻った。

 そうだ、そのために、世界は今日の違った世界になった。

 それは余りに冒険に見えた。盗賊の難、異邦人の難、市中の難、荒野の難、海上の難、偽兄弟の難、――それらはまだ驚くに足らぬものであった。

 労し、苦しみ、しばしば眠らず、飢え渇き、しばしば断食し、凍え、裸にせられ、しばしば獄に入れられ、鞭うたれ、死に瀕むことしばしば、――この不撓の丈夫が、五度ユダヤ人に、三十九の鞭を受け、むちに打たるること三度、絶息するまで石に打たれ、市の外に引き出され、友人の泣き悲しむ死別の涙の中、鳳凰(フェニックス)のごとく甦り、百倍の勇気もて、十字架の道を説き、安居の道を知ることなくして、不動の救いを指示し、三度び破船に遭いて暴風にそむき、一昼夜海に漂流して、なおヨナのごとく、海に愛想つかされ、天地を貫くその至誠に、死者を甦らす奇跡を持たされ、明星のごとく、新しき世紀の曙を啓示してくれた――汝、パウロは、男子でなくしてなんであろう。

 「誰か弱りて、我弱らざらん。誰か躓きて、我躓かざらんや」 丈夫よく自己の弱点を知る。「罪人の首」として自覚した魂は、善いこと、悪いこと、徳になること、徳にならぬこと、すべてを曝け出して、民衆の前に自己の批判を乞う――汝、パウロよ、男子でなくてなんであろう。

 醒めて、萬人に、神を説き、夢みては第三の天に、天使と語る。汝、パウロは秘儀を知っている。

 ダマスコ門外、光に打たれ、盲として自らを発見した汝は、更改の力を、ただイエスにのみ発見した。世界の更改は、自分から始まる。おおパウロよ、汝は遂に、自分の更改によって、世界更改の道を発見した。

 おまえは嘗て、コリント人へこう書いた。

   兄弟よ
   召を蒙れる 汝等を観よ
   内によれる智慧あるものは多からず
   能あるもの多からず
   貴きもの多からざるなり
   神は智者を辱めんとて
   世の愚かなる者を選び
   強者を辱めんとて
   世の弱者を選ぶ
   神は有るものを滅ぼさんとて
   世の賤者、藐視らるるもの
   すなわち無きが如きものを選び給へり

 愚衆の愚衆、俗人の中の俗人―その中になお捨てられた人間の屑を、神が拾い集める。その馬鹿さ加減を、おまえはよく知っている。

 しかし、神の馬鹿は、人間の智者よりも賢く、人間を鋳換えるには力が余っている。

   罵らるる時は
   祝し
   窘らるる時は
   忍び
   謗らるる時は
   勤をなす
   我は宇宙の観玩(みせもの)にして
   世の汚穢(あくた)
   また垢の如し

 何人も顧みてくれない中に、真理の把持者、無傷害愛の実行者として、塵箱の英雄、見世物の大立物として、おまえは彷徨する。

 誰も褒めてもくれないのに、おまえは労働しながら、福音の宣伝に専念し、神の如き熱心をもって、神と共働し、イエスの苦痛に参与し、おまえは、自らを奴隷だというて喜ぶ。

 血がこみあげてくる! 永遠に若いおまえの血が!

 おまえの血は、私の血だ! おまえは死んだ。そして私らは甦らされた!

 誠に、おまえの途は尊い道であった。最も人間らしい人間パウロよ! 私は、おまえのために、六千度の太陽よりも、強い熱を受ける。

 おまえは熱だ! おまえは血だ! おまえ自身が光と真理でなくとも、伝達せらるべき熱であり、血であることは確かだ。

 私の血はこみあげてくる! おまえの胸の中に湧いた贖罪の血は、また今日我らの胸の中に、湧く。

 ああ、沸騰する血!

 おおイエスのために沸騰する血は、永遠に、私を若返らせてくれる! 

 パウロよ、汝、沸騰する霊よ! 人間よ!

   1922年6月20日

                    賀川豊彦

                       神戸貧民窟にて
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