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連載:賀川豊彦の著作ー序文など(第19回)

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「再び長田港で」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)




    賀川豊彦の著作ー序文など

       わが蔵書棚より刊行順に並べる

                第19回
  

         イエスと人類愛の内容

          大正12年5月15 警醒社書店 285頁

 前回取り上げた賀川の「感想・小説・戯曲」を集めた著作『雷鳥の目醒むる前』が改造社より刊行されてひと月後、今度は警醒社書店よりこの『イエスと人類愛の内容』が出ています。

 これは、警醒社書店が大正10年に刊行を開始した『イエスの宗教とその真理』、続いて翌大正11年の『人間として見たる使徒パウロ』と同様の布表紙の美装箱入りのつくりでなり、表紙も背表紙も、さらに今回は扉のタイトルも、賀川の自筆で仕上げられています。

 本書は賀川の個人誌『雲の柱』に収められた講演記録を編集したものですが、7章構成のうち吉田源治郎が5章分を、村島帰之と黒田四郎両氏が1章ずつを文章化して、本書を仕上げています。

 そういうこともあってか、賀川は巻頭の「これらの書物の存在を可能ならしめた友情深き 吉田源治郎氏 村島帰之氏 にこの書を献ず」と記しています。

 賀川はこのとき眼病で校正も当たれなかったようです。

 なお本書は昭和2年9月には「普及版」のかたちで「再版」が作られています。

 眼科病院入院中の賀川は本書の序文も前著と同様に口述されたものかもしれません。



          序

 愛は死よりも強い。

 そう教えてくれたのが、十字架の教えである。

 そうだ、愛は死より強いのだ。

 愛するためには死を蹂躙して前進するというのが、イエスの進路であった。

 死は、とうの昔に愛のなかに溶解してしまった。

 十字架とは愛が死を呑みほしてしまったという記号なのだ。愛するものは、死を見ない。

 死と恐怖に囲まれていた私の魂が、イエスの愛を知って、その福音に飛び込んで行った時を、今も私は忘れることが出来ない。

 それは単純な福音である。死が愛に呑まれたという福音である。

 死人を葬るに冥途に旅する装束で野辺送りをするあの淋しい阿波の教養のなかに、私はどれほど死を恐怖したか知れない。すべてが私には恐怖であった。私は生まれてきたこと、それすら疑い恐れた。

 その時―私は「神が愛だ」という福音に接した。それは福音であった。

 実際、それは福音であった。実際、それが福音でなくてなんであろう。

 『罪人を赦す』と宣言した男が磔殺された。それを笑うてはいかない。

 愛することは、危険思想なのだ!

 そうだ! そうだ! 愛することほど危険思想はないのだ! 

 官憲も、政府者もよく聞け―愛は危険思想だぞ! 

 イエスは愛を説いたために、磔殺されたのだ!

 愛によって、罪人が罪人でなくなったり、有産者が価値をなくしたり、特権階級がその地位を失ったり、強権者の地位が危うくなるのだ!

 ああ、そうだった、愛は危険思想であったのだ! 

 そして愛は永遠に危険思想として残ることであろう! 

 何と言う矛盾! 何と言う皮肉なことであろう。しかし事実はそうなのだから仕方がない。

 何故、愛は永遠に危険思想なのだ! それには道理がある。

 病者に近づくものは愛だ。革命に近づくものは愛だ! 罪人に近づくものは愛だ! 

 愛は永遠に危地を冒す。危険を冒さないものは愛ではない。愛とは危険を冒すということだ!

 それを十字架とこそいうのだ。

 愛は『無』から『有』を創造するとの意で、暗黒を光明に、罪人を聖人に、地球を天国に鋳造することを愛というのだ。

 それは大いに飛躍する冒険性を持っている。愛とは飛躍するということだ! 

 愛は魂の爆発だ! 愛は永遠の燃焼だ! 

 それ自身が動機で、それ自身が目的で、それ自身が手段だ! 

 愛は神の力で燃え上がっている。愛は神から出ている。

 愛あるところに必ず神がおられる。神とは愛ということだ。

 恋愛に目醒めたものは、まだ神に愛の百分の一しか知らない。否、その百十分の一をも知らぬ。

 イエスは罪人をも愛するという。それは罪人のなかに新しい魂を鋳造するのだ!

 それは神の力で臨むことだ。それが危険思想の危険思想であったのだ。

 (幸いにして、今日の教会はその愛に甘えて居眠りしている)

 愛は永遠に進行する。愛は止まることを知らない。愛は永遠に上進する。それが第二の危険性だ。

 娘は父を捨てて愛のために前進する。そこに娘の危険思想がある。

 青年は祖国を捨てて万国主義に延び上がる。そこに危険性がある。

 イエスは愛のために地上から神にまで延び上がった。

 そしてエホバとローマの皇帝のみが保持すると考えた神の位を簒奪した。

 愛するものは永遠に背のびする。

 そして神もまた、人間を愛したために、天上の位を棒に振った。それは神にとっても危険思想である。

 愛はすべてを掻きまわした。神と人間の地位までが顛倒するようになった。

 危険! 危険! これほど危険なものはない。この危険思想のために、イエスは充分十字架に該当した。 そしてイエスは永遠にそれに該当する。

 否イエスがなくとも、愛に生きんとするものは、永遠に、十字架に該当する。

 ―しかし―愛は死を知らない。

 愛はすべてを越えて、延び上がる!

 生命の世界に何か、価値あるものが残っているとすれば、それは愛のためではないか!

 神とは愛ということではないか! 神が愛なのだ!

 そこだ! 私の古傷も、あなたの古傷も、私の欠点も、うるんだ眼も、痔瘻も、肺病も、―何もかも、そんなことは問わないで、神は愛していてくださるというのだ!

 何と言うありがたいことだ! 

 神様は私のために、天には星を蒔き、地には花を植え、そして貧民窟の辻にまで、あの美しい嬰児の微笑を置いてくださった! 

 それに闇のなかには恋人の抱擁を秘め、寂しく悲しめる時には、母の涙をその眼に貯蔵してくださった!

 魂よ! 信ぜよ! 

 神が愛なのだ! 

 愛せよ! それが神なのだ! 

 一番奮発して、愛して見よ! 

 神は愛の中にいる。愛の中に飛び込め! 

 愛の噴火口は、永遠に若い! 

 ああ、神が爆発する! 神が爆発する!

 イエスの血の中に、神が爆発し給う。

 犠牲などいう悲しき聲をあげて、泣き叫ぶな! 

 死は愛の噴火によってすでに吹き飛ばされた。愛の前には犠牲の常住の茶番だ! 

 百万の犠牲をも、愛は惜しいとは思わない。

 フランスを守るために千万の霊が倒れても惜しいと、人はいわぬではないか! 

 愛は犠牲を恐れぬ。十字架も、毒杯も、惨死も、愛の前には寸毫の功績を持たぬ。

 愛は屍の上に生え上がる。

 おお、神は愛だ! 

 神は十字架を地球の上に立てた! 盲目なる民衆は、いまなお十字架を嘲る。

 しかし「神」と「愛」との計企は進行する。

 愛は永遠の暴風として世界を掻乱する。

 その翼は北斗星の、まだその先にまで延びる。

 愛は永遠に煩悶する。そしてイエスは永遠に煩悶する。

 私はそれを感じる。

 私はその、愛のために煩悶する魂に勝てないことを知って遂に負けた。

 私は泣きながら、イエスの懐に飛び込んで行った。

 そして、イエスは血の流れるその胸にしっかと、私を抱きしめてくれる。

 血だ! 血だ! 温かき愛の血が、イエスの血脈を伝うて、私の胸に流れ込む。

 十字架の遺伝! 私もまた十字架を負うて、死地に進もう。

 雷光が前に見える。西は暗い。台風が後に近づく。

 私は千百の殉教者の屍を越えて、なおも、前に進もう。

 愛はなお一つの犠牲を惜しくは思はないのだ。

  1923年4月23日

                  賀 川 豊 彦

                    眼科病院の一室にて

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