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連載:賀川豊彦の著作ー序文など(第23回)

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「神戸・布引の滝」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)



   賀川豊彦の著作ー序文など

       わが蔵書棚より刊行順に並べる

                第23回
  

     愛の科学

         大正13年6月1日 文化生活研究会 448頁

 本書は、賀川の大正13年の2冊目の著作で、文化生活研究会より刊行されました。この研究会は、有島武郎の『生活と文学』やヴォーリズの『吾家の設計』などを出版していたところです。

 450頁ほどの箱入りの大著です。手元にあるものは初版とはいえ、箱もカバーもなく、そして口絵写真もある筈ですが、それも切り取られている古書ですが、しっかりした上製本です。奥付の著者印には、一般的な「賀川」の印ではなく「串」印となっています。これは「家紋」のようですね。

                 *      *

 最初の「例言」をみると、本書の仕上げには、前著『苦難に対する態度』に続いて、村島帰之氏が協力して出来ているようです。そして校正に当たったと記されている鑓田研一氏は、このあたりから、賀川の著作づくりに参画していることが判ります。

 本書は昭和6年に銀座書房より改版され、戦後にも昭和22年に警醒社書店より、賀川の「改版の序」を付して刊行されています。加えて昭和31年にも、福書房が上製版を出しています。

 なお、ここで本書の中国語版で書かれた賀川の「序文」も入れて置きます。これは「火の柱」に収められていたものを取り出したドキュメントです。


          作者新序

 「愛の科学」の訳本に〝はじめに″の文章を頼まれたとき、私は悲しかったです。なぜならば、我々日本人が中国に対し、愛の法則を破壊しつづけてきたからです。私は日本を愛しているのと同じように、中国を愛しています。さらに中国に平和の日が早く来るようにと祈り続けてきました。

 日本軍のあちこちでの嫌がらせで、私は異常なほどに恥じました。ところが中国の方々は、日本がどんなに凶暴だったかにもかかわらず、私の本を翻訳してくれました。私は中国の寛容さに驚かずにはいられませんでした。たとえ私が日本の替わりに百万回謝罪しても、日本の罪を謝りきれないでしょう。それで私はこの〝はじめに″の文章を書く勇気さえなくなりました。

 私は無力すぎます。私は恥じます。私は日本軍閥を感化することが出来ませんでした。

 中国の読者の方々、私を無力者と思って、私を侮辱してもかまいません。それは私が受けるべきことです。

 しかし、もし日本が悔い改めて中国と永久な友好関係を結ぼうと思ったら、それは愛の法則の力を借りる他道がないのです。いいえこれは日本と中国の関係だけではなく、もし世界中のあらゆる人種の国民がもっと先進的な文化がほしいと望むなら、それも贖罪愛の原理に頼る他に道がないです。贖罪愛の法則は宇宙の法則です。

 克魯泡特金【クロバトキン】が言った本能愛だけではたりません。本能愛は民族を超えることができません。

 民族を超えられるのはイエスの力強い贖罪愛です。それは宇宙の意識を持ち、もっとも悲しい運命の中に陥れた人類を救出するためのある種の力です。

 日本民族はこの極めて大きな贖罪愛を知らないから、私は耶利米【エレミヤ】と同じような悲しみを感じています。

 孔子や老子を生み出した国民の皆様よ、お許し下さい。

 日本民族は、鉄砲を捨て十字架の愛の上で目覚める日は、きっといつか来るのでしょう。現在私は謝罪することしか、他に何にも考えられません。もし中国の方々が、この本をめくって読んでくれたら、日本にも多くの青年の魂が私と同じように、悔やみ改めながら本気で謝罪を申しているということを忘れないで下さい。

   (一九三四年(昭和九)二月八日、於フィリピン ルソン海上にて)

                    賀川 豊彦


              *     *


本書の英訳版の、そのダイジェスト版である小著も手元にありますが、ここでは省きます。




          愛の科学

        愛は私の一切である

         ―序に代へて―

 愛の飢饉だ! それか、私を悲しましめる。都にも、鄙にも、病院にも、工場にも、店頭にも、街上にも、怖ろしい旱魃だ。

 愛の滴は何処にも見出されない。一滴も残らず蒸発して了った。それはサハラの砂漠よりも、物憂く、ゴビの大砂漠よりも物凄い。最後の愛が蒸発して了った時に、人々はみな発狂した。そして嘗て、愛に就て考へ、嘗て愛に組みしたものを虐殺し始めた。

 見よ、人々は刀剣もて武装し、鉄砲、槍、十手まで出して来て、互に憎み、互に疑ひ始めた。

 日本は、恐怖の旋風に襲はれた。日本の組織は根底から、ぐらついた。私は日本に軍隊が無いと云ふのではない。政府が無いと云ふのでは無い。目本に魂が無いと云ふのだ。

 え? 日本に魂が無い? さうだ、目本の魂は大地震と共に、ぐらついて居ることがわかった。日本人は日本人を信用して居らない。日本人は征服者としての悲哀を知った。日本人は、首都の真中に多くの反逆者の住んで居ることに気が附いた。日本人はもう自らを信じてゐない。之が、私をして悲しましめる。

 剣か社会を作ってゐた時は、もう過ぎた。刄が日本魂だなどと考へてゐる時は、もう過ぎた! 愛の外に日本の精神は有ってはならない。

 愛は最後の帝王だ。愛の外に世界を征服するものは無い。世界帝国の夢想者は凡て失敗した。秦の始皇も、アレキサンダア大王も、ハンニバルも、ジュリアスーシーザーも、ナポレオンも、カイゼルも、みな夢の如く消え失せて了った。刀剣の征服は一瞬であって、その効力は止針に価しない。

 愛は内側から社会を固める。それは楔であり、帯である。愛は殺すことが出来ない。

 日本は之を信じない。その為めに世界をよう征服しないのだ。地球の征服を祈るものは直径七千五百哩の球面を征服するに止まる。魂を征服するものは宇宙の髄までも征服する。

 東京の何処を歩いて、私は『愛』にぶつかるか? 処女も、新聞売子も、車掌も、大臣も、みな干ぬけたる顔をしてゐる。私は内閣総川大臣官邸から深川猿江裏の焼トタンの三畳敷まで見で廻る。そして私はその何処にも、日本の社会に愛の紛失したるを発見した。

 劇場に、音楽会に、宴会に、公園に、私は魂の抜け殻を発見する。歌ひ手は銀糸の刺繍の帯を紫縮緬の振袖の上にしめて出て来た。それは美しい。美しくはあるが藻抜けの殻である。焼トタンの兄弟がまだ泣いてゐる時に、彼女のこの姿は何であらうぞ!

 大川のはとりに酒屋があった。地震は酒蔵を河の中に投げ込んだ。火は岸辺に避難してゐた群衆を河に溺らせた。然し酒に狂うた多くの痴者、それらの人々の屍を取片付けようともしないで、屍の下を潜って瓶詰の酒を拾ひ集めた。酒瓶の幾百本とも知らない数が河底に横たはってゐた。貪慾な男は拾ひ貯めをしやうと瓶詰を渚に並べた。それを善いことにして、酒泥棒が水底に潜って居る中に、多くの群衆はそれを片端からかっぱらって持って行った。それが大地震の後三日の出来事であった。

 その大きな真似を国際的にしてゐるのが戦争と貿易戦である。おお、もう再び、私に欧洲の動乱を語ってくれるな! 私の心はその為めに病む。それは人間のする仕事ではない。ドイツ人、フランス人、イギリス人のする仕事だ!

 彼等は人間では無い! あゝ彼等は入間機械だ! 魂なき野獣だ! 野獣には未だ魂がある。然し彼等は、肉慾の為めに魂を売り、貨幣の為めに、人の子を大砲の前にくくり附けた。

 思ひ出すだに悶絶の種である。何故に破壊と、貧乏と、血と、姦淫を買ふ為めに八百万の生霊を殺し、二千二百万の人を傷けねばならなかったか?

 罰だ! 天譴なのだ! 愛せざるものはそれ自らに報ゐてくる! 憎悪と、闘争を七十七年かかって教へて来たものだから、世界は彼等の祈りの通りになった。木を伐れば水源の断えるのはあたりまへだ。愛の蒸発した次の日に、大戦争が起ったのだ。

 私は、愛を拒否する凡ての学問、凡ての制度、凡ての政治、凡ての芸術、凡ての宗教に反対する。私は口に信仰を唱へて、愛せざる所謂教会を拒否する。権力のみを知って愛せざる法律製造者に反対する。

 私をかく云ふことによって縛るなら縛るが善い。私はどうせ愛の沙漠に渇死すべきものなら、刄の下に一日も早く死ぬることを要求する。

 憎む為めの共産主義を私の為めに説くな。私は愛したいのだ! 果して憎悪によつて共産主義が出来るかどうか教へてくれ! 刀剣によって支えられた共産生義! それは脅迫主義では無いか。

 革命は一日にして成る。ザア・ニコラスはクロンスタツトの砲声に驚き、ケレンスキーは戦はずして逃けた。キールの一撃はカイザル・ウヰルヘルム三世の王冠を射落した。

 然し、愛は一日にして成らない!

 愛が一日にして成らないから、民衆は容易なる剣銃の道を選ぶのだ。そして人類は永遠に剣の刄を渡らせられる。渡り損ねたものは、その儘引裂かれて倒れるのだ! 人類の手品師よ、みこよ、魔術使よ、世界の凡ての剣の刄の上を、幾箇師団が並んで通れるか計算してくれ!

 剣の刄の上に建てられた共産生義を見よ、銃丸の上に据えられたクラウンを見よ、それはあまりに醜きものである。

 されば銃剣の代りに貨幣もて、魂を買ふか? 肉を売る女、梅毒薬を売る男、路次の中の不良少年、それを取締る警官、橋の袂に立つ憲兵――これをしも国家と云ふならば、今日の国歌に地獄の隣に位する。

 私は、愛の飢饉に悶絶する。

 米国上院議員の顔を見よ、ボラーの正義とハイラム・ジョンソンの愛国心の如何に雄弁に聞こえることよ! 地獄の隣地では凡て憎悪と侮蔑が正義と愛国心に聞こえる。

 民族は民族を虐使し、種族は種族を虐殺する。地獄の隣地には、地獄より吹き込む憎悪の焔の為めに、人間が凡て眼を焼かれる。米国もその一つである。

 魂よ、愛の間伐を避けて、何地に避難せんとするか? 愛の泉は何処に湧くか?

 子よ、愛の泉は谷間を探してはならない。他人の胸中を探してもならぬ。愛の泉は―-それ、おまへ自らの胸に掘らねばならぬ。

 さうだ、さうだった! 私の喉の渇を癒す為めに、他人に愛を求めで行ったから問違つてゐたのだ。私は癒す可き愛の泉を自らの胸底に掘らねばならなかつたのだ。

 人を愛しないものを、誰れが愛してくれようぞ! 自ら造らざる彫刻が、何時になれば、人間の形に成らうぞ! 衷なる魂よ、先づ、一握の石膏を取って、そこに鼻の形を作るが善い! その次に眼を、その次に口を、そして、最後に耳をつけよ、そこに人間が出来る。愛は彫刻だ。人の魂の上に彫り付けて行く彫刻である。

 私は失望しない。地上の間伐を見て怖れない。私は更に幾尺か、幾百尺か、衷なる自己の魂を掘り下げやう。愛の泉は、地上に求むることは出来ない。それを生命の懐に尋ねねばならぬ。

 私は自己の衷に神にまで掘り下げる。そして猶、徴かに聞こえる胸底の地下水に探りあてなば、その辛うじて見出した魂のオーシスを愛護して世の渇きたるものを数人でも、そこに導き来よう。

 悲しき日よ、去れよ。剣銃の手品師よ、往け! 私は神と共に愛の王国を地上に建てねばならぬ。そこには一人の罪人も損はれず、一人の乞食も蔑しろにせられない。

 夢遊病者よ、その天国が、すぐ来ると思ふか? おまへのユートピア病にも驚かされる!

 驚くな、子よ、天国は私の魂に始まった。そして、漸次それが拡大しつつある。私はそれが犠牲なしに通れる途だとは、勿諭思はない。そこに十字架が、我等を待つ。

 さらば、十字架も、死も来るが善い。それが愛の為めならば、私は悦んで死なう。

 私には唯一つの福音、唯一つの救しか無い。それは、十字架は愛によって、蹂躙せらる可きものだと云ふことである。

 愛に、凡てのものが甦る! 愛のみ全能である。愛は産み、育て、導く。愛のみが永遠である。

 愛は世界を造った。愛は世界を保持する。愛は神の本質である。

 病まねばならぬ日に、愛に私の身をまかせる。死なねばならぬ日に、愛に私の魂を供托する。愛は私の胸の最後の征服者である。私は愛の奴隷である。光栄ある奴隷よ、私は完全に愛によって征服せられた。

 私に脆拝を受けたいものは、愛を持ってくるが善い。そのものに、私は礼賛を惜しまないであらう。それが愛の断片であつても、私に取っては啓示である、神へ行く手づるである。愛あるところに神がある。愛は私の一切である。
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