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連載:賀川豊彦の著作ー序文など(第25回)

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「但馬牛」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)




   賀川豊彦の著作ー序文など

        わが蔵書棚より刊行順に並べる

                  第25回
  

         イエスの内部生活

           大正13年7月5日日 警醒社書店 281頁

 本書『イエスの内部生活』は、ほぼ1年前になる賀川の神戸時代の作品『イエスの日常生活』の「例言」に「『イエスの日常生活』は『イエスの内部生活』と合わせて読んで戴きたいと思います」と書かれていました。

 ですから、この作品は『イエスの日常生活』が「神戸イエス団に於ける聖書講演を、村島帰之氏が筆記して下さったもの」ですので、本書には「例言」はありませんが、これも同時期に「神戸イエス団に於ける聖書講演」で村島の手によって仕上げられていたものであることが、考えられます。そのことを裏付けるように、本書に収められたものは、ほとんどが『雲の柱』の大正12年3月から5月の号に掲載されているのです。

            *          *

 本書を一読されるとおわかりのように、「神戸イエス団に於ける聖書講演」のどの講演をとってみても準備周到な内容であり、賀川の聖書講演は、多くの場合、謄写印刷の数枚の資料も準備されて、丁寧に行われていた事も、残されていた資料で確かめることができます。こうした一連の連続講演が、すぐ2冊の書物となって仕上がっていくのですから、驚きです。

            *       *

 ところで、手元にある原書は大正13年のものではなく、昭和13年4月に装丁を代えて出版されたものです。もちろん、本文は初版と全く変わらないもののようです。

 本書の「序」は、1924年6月12日付けで「バラックにて」記された「イエスと魂の会話」という小品です。




           
                 序

             ――イェスと魂の会話――

 私『イエスよ―― あたかが悶えた 人類の欠点と失敗は また私達の悶えになって居ります。いっになれば いやな人種争闘の声と、階級戦争の叫びが鎮まるのでありませうか? 救主よ、わたくし達の立場を不欄とは お思ひになりませんか? 私は悶えて   居ります。凡てがアルコホールと梅毒の仕業のやうにも考へられますが、そうではないでせうか? 罪人の友、悩むものの慰め手、どうか、この悲しむ魂に光を与へて下さい』

 イエス『おまへは そんなに いらだたしくしてはならない。私を信じ また神を信じまた神を信じなさい。私の使命は、飽迄罪人の支え柱、貧しきものの友として努力することにあります。それが神の御心です。神とは救こんとする意志と云ふことです。それを固く信じて、あまり悲しまないで居て下さい』

 私『それはよく知って居るのです。然し、その救の手の延びることが あまり遅いぢやありませんか?』
 
 イエス『それは心配しないで、私をお信じなさい。見ずして信ずるものは幸ひです。』

 私『みなのものは あなたを拝めば救はれると云ふてゐるのは ほんとでせうか?』

 イエス『私を拝んではなりません、『父』は私より偉大です。私は偶像ではありません。拝む可きものは父です。神です。私はただ『父』の救ひを見て来た儘に知らせるだけです。私は救そのものです。私は愛です。救です。生命です。真理です。拝むべきものではなく、生く可きものです。』

 私『よくわかりました。ではあなたの如く生きれば善いのですね』

 イエス『わたくしの魂の内側に住み込んでくれると善いのです。そうす札ば、私もあなたの魂の中に住みまず。つまりあなたが私になれば善いのです。私を信ずるものは 私のする位のことは出来ます。いや、仕事の上に於ては 私より大きなことが出来ませう。』

 私『まア 何と云ふ謙遜な!』

 イエス『謙遜ではありません、それほど 私の説く途は安易な道です。だから重荷を負ふてゐるものは 私を途にして私を踏み付けて進むのが最も善いのです。』

 私『有難う御座います、何だか あなたが普く理解されて来たやうに思へてなりません。あなたの博大な愛を伺ひますと、ことりでに涙が流れて来ます。悪に傾むく人の多い世の中に、あなたのやうな人が善くあったものですね。』

 イエス『もう一つ あなたに注意して置きます。私を理解する人達は互いに可愛がり合ひをしなさいね、可愛がり合ひをすることによって、世の中の人が、あなた達が、私の弟子たることを知るのです。この意味がよくわかりましたか?』

 私『それではなんですね…ただ信仰一点張りで我執を張らないで 愛の中に一つになれと云ふことなのですね』

 イエス『そうです、私か天の父に愛せられてゐる如くに あなた達も互いに相愛す可きです。それが救であり、生命であり、途であるのです』

 私『何と云ふ尊いお言葉でせう。あなたは儒仰の神秘を全く愛と云ふ賤しめられた言葉でお示しになるのですね。そんなに信仰と云ふものが単純なものであるとは 私も今日まで気がっきませんでした。』

 イエス『父は愛の神です。愛あるが故に、救はんとする意志をお持ちなのです。救とは愛と云ふことです。愛が救ひなのです。その愛を信ずることを信仰と云ふのです。』

 私『ありがたう御座います。よくわかりました。私もその心持で進みませう。私は日米問題の八釜敷い今日、労資階級戦争の激しい今日、飽迄もあなたの御精神で進みたく存じます。どうかお導き下さいませ。私はあなたが十字架の途をおとりになったこともよく理解が出来るやうに思はれます。私は恐れ多いことですが、あなたを踏み付けて進ませていただきます。そして私もまた 後に来るものに 踏まれませう。アーメソ』

      (一九二四・六・一二  バラツクにて)
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