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連載:賀川豊彦の著作ー序文など(第28回)

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「新湊川公園」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)




   賀川豊彦の著作ー序文など

        わが蔵書棚より刊行順に並べる

                  第28回
  

        神との対座

          大正14年8月18日 警醒社書店 192頁

 『神との対座』という賀川らしいユニークな題名を付けた本書は、小型ポケット版で箱入り上製本で仕上げられていて、前著と同じく書物本体は、彼の袋文字で表紙も背文字なども書き上げています。
そして、巻頭の短い「はしがき」には次のように記されています。



            は し が き

 この小冊子は、親友村島帰之兄の好意で出来上ったものであります。友人吉田源治郎兄は私の講演を筆記する序に、私の祈をも筆記して取って置いて下さったのです。それに習って、村島兄も私の講演後の祈を筆記して取って置いて下さったのであります。それを此度纏めて出して下さることになったのであります。

 私は人が迷信とも考へる所か絶えず続けて居るものであります。それで、此の小冊子を私の祈の友達に捧げると共に、それか信ぜざる人々の批判を充分に受けたいと思ひます。

 改めて私は此書の為めに努力して下さいました、村島帰之兄に心よりの感謝の意を表します。

  一九二五・七・二九 

                賀 川 豊 彦

                  ―武蔵野の小屋にて





 賀川の祈祷は、膨大な数にのぼる講演記録の著作のなかに数多く収められていますが、彼の祈祷のみを集めて祈祷書として仕上げたのは本書が最初です。

 この作品は『全集』に入りましたが、後に(昭和7年)に黒田四郎・吉本健子両氏によって第2の祈祷書『神に跪くーその日その日の祈り』が上梓されており、それは『全集』には省かれています。

 なお『神との対座』の巻末には「主の祈に就て」の解説が、新たに書き添えられています。ただし、本書に入っているいくつかの作品は、既刊の随筆集などで発表済みのものがあります。

           *              *

 今回は特に本書の巻頭にある「神との対座」の一文をここに取り出して置きます。



             神との對座

 尽きざる恵みの油壷に、汲めども、汲めども猶油は底から涌いて来ます。その秘術はあなただけが御存知です、父様-―

 もう行詰つたか、もう押し潰されたかと思ふことが幾十回であつたか知れませんでした。然しあなたは、その凡てに尽きざる恵の油壷を、私の為めにお備へ下さいました。(列王紀略下四章)

 神戸の貧民窟に、東京のバラックの軒下に、あなたは、エリシャの時代にもおとらない奇蹟をおみせ下さいました。私は、あなたのお顔を拝んだことは一度もありませぬ、然し、あなたの御手の指先はよく拝することが出来ます。何一つとして、とりえの無い私に、かくまでお恵をお注ぎ下さることは全く、私に取っては、今の世の奇蹟で御座います。

 もう凡てが奇蹟の奇蹟であります。私の生きてゐること、動くこと、食事の為めに坐ること、寝ること、山のあること、草木の生えてゐること、花の咲くこと、そして、病気のあること、それが、また治ること、………………「死」のあること、然しそれでも人間の数の減らぬこと、奇蹟です、奇蹟です、これほど不思議なことは、私には想像もつきませぬ。

 自然法というふもの、そのものが第一の奇蹟です。その自然法の組合せによって出来上った世界に、目的のある人間が別段大きな衝突もなく生きて行けると云うこと、それに良心のあること、まあ、何と云ふ大きな奇蹟でせう。その上に、祈りたい心持ちのあること。

 父なる神さま、私は、あなたに絶えす祈って居ります。そして嘗てあなたの御聲を人間の聲のような音響として聞いたことはありませぬ。

 然し、あなたが、私の祈り以上に、お答へ下さったと云ふことを信じないではおけませぬ。

 あなたの御聲は人間の聲とは違ひます。それは歴史を通じて物語って下さいます。それは良心の最高善としてお語りになります。人は私の良心の最高善を笑ひます。『そんな、ぼんやりしたものが、祈りの對象になるものか?』と云って。

 然し、その最高善に延び上りたい為めに、私は、いつも祈り続けて居ります。

 最高善にまで延び上ることは、私に對しても、喜びであり、あなたに取っても、御満足なことであると思ふからであります。

 私は、聲なきあなたの御聲を常に聞いて居ります――それは自然に、歴史に、良心に――その御聲は、常に『延び上れよ、要求せよ、最高善に進めよ、神の芸術の為めに、凡てをきよめよ』と宣ってゐられます。

 また、『おまへの途は、私の途だ、神の為めに、最高善の要求をせよ、祈れよ、祈れよ』と。

 他所から見て居ると何だか、ひとり聲を出して、對手も何にも見え無い時に、祈ることは、発狂してゐるかのようにも見えると思びます。然し、祈りの形は一つの表象であります。あなたは、その祈りの表象を必しもお咎めにはならないと思ひます。

 悲しい時に、淋しい時に、生え上らんとする時に、ひとりぼっちで居る時に、私はあなたと對座いたします。そして、今日までどんなにか、お恵みを戴いたことでせう。

 獄中に、病床に、貧民窟に、裁判廷に、示威運勁の行列の先頭に、大演説會の舞台裏に、借金で困ってゐる日に、罵○○謗の真唯中に、あなたは常に、私の前と後に立って居で下さいます。あなたこそ観音力の観音力、何人も浸す能はざる銅(あかがね)の垣で居らしやいます。

 私は小さい世界の、小さい表象を以つてあなたに話しかけます。そしてあなたは、大きな世界に、大きな仕組で、聲なくしで、聲ある不思議な開展を以って、私にお答へになります。

 私は或紳秘主義者のように、あなたから即座にお答を聞かうとは致しませぬ。

 昔の神秘主義者は、即座のお答をあなたから戴くことに速急でした。そしてあなたも亦、それらの人々に色々な不思議を通して、人間らしいお答をなさったようでした。

 然し、今日の私どもは、あなたのお聲を昔の預言者のように、人間的聲としてお聞き申さうとはして居りませぬ。あなたのお聲はあまたのお聲として、萬有の中にお聞き申したいと存じて居ります。そして、私はその萬有の進行を通じて、人間の祈りの聞かれるものなるを固く信じてゐるのであります。

 私は最高の要求(祈りの出発)と最高の努力(祈り進行)によって、あなたのお答が宇宙の各方面から響いてくることを信じて居ります――或時は友人の親切を通じ、或時は家畜の温順を通じ、更に我等を環る自然の変化を通じて、あなたのお答は完全であります。

 私は、凡てをあなたにお委せして居ります。私の計企に落度の多いことはいつものことであります。その時に於てすら、あなたは私をお救ひ下さいまして、再生の思ひに立ち到らしめて下さることをいつも乍ら感謝いたして居ります。

 私は無一物になることが少しも悲しくありませぬ。元来が無一物から出発したものでありますから、無一物の日の歓喜をよく存じて居ります。ただあなたからお預りした色々の材料や能力や人材を出来るだけ、み栄の為めに生かしたいと思ひまして苦心いたして居ります。

 星暗き闇夜に人里遠き野原を逍遥する時、どんなにか、あなたの御手の恵深い事を思ふて感激することでせう。密室に、過去のみ恵を思ひ起すと、私は感激の涙で机を蔽ふことは幾十度か存じませぬ。

 私の不覚、私のふつつか、私の生意気、私の無知、それらに対しても、あなたの御愛の至大なることを思ふて、あなたが誠に救の父であられることを、いつも考へて居ります。

 私の知人、友人の中にも隨分失敗するものが多く御座ります。然し、その罪をもあなたがお赦し下さるのだと思ふと、あなたの博大な愛に怖ろしくなります。誠に十字架を通して、お語りになりました、特赦の福音こそ私共には全く不可解な、然し、誠に有難いお覚召と存じまして、固く信じさせて頂きます。

 この千九百年前の特赦の福音、新生の福音を、私は今更ながら、新しく味び直して居ります。

 赦して頂く道理の無い時に、赦して頂くことは全く人間の進化の道程に取つては超自然的のことでござります。而もその超自然のお力が人間の良心とその努力を通じて、常に新しく加へられて居ることを知りまして、うれしくてなりませぬ。

 常に新しい父なる神様、今日も私はあなたを前にして労作を続けます。そして恵の日をまた一日加へさせて頂きます。誠に(アーメン)。誠に(アーメン)。
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