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連載:賀川豊彦の著作ー序文など(第48回)

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「中谷宇吉郎:雪の結晶」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)




    賀川豊彦の著作―序文など

      わが蔵書棚より刊行順に並べる

         第48回
           
        神による新生

         昭和4年8月25日 下関福音書館 188頁

 賀川豊彦は、本書『神による新生』の「序」の後に記されている「著者より読者へ」の頁で、「この書は、『神による解放』の姉妹編で、日本に神の国運動を徹底させるために綴られたもの」であること、そして「私が、満州と北九州で話した講演を、黒田四郎氏と吉本健子姉が、筆記されたもの」であること、さらに「この書は、下関の福音書館が全く営利を離れ、殆ど労力を無視して出版の犠牲を払われたもの」であることをしるしています。


      神による新生

        序

 新しい日が来た、新しい日が。若芽は膨らみ、新緑は萌え出づる。黒土は青芽を吹き出し、雲雀は新しい巣を造る。雛は卵を破って這ひ出で、新しい翼を持って雛達は、空中に飛上る日を待つ。

 新しい日が来た、新しい日が! 東雲は白み、アウロラは天空に黄金の色を漂はす。さうだ! 神の日が来たのだ、神の日が! 我々が予期しなかった神の日が近づきつつある。国際聯盟も不戦条約も、その日には輝きを失ひ、愛と高潔のみが栄誉を荷ふ。跛足は歩み、盲目者は見、沙漠にも葦葭が、茂り出づるであらう。ラジオの波長を発見した者が、電線を引張らなくとも、何千哩離れて相語り合ふ神秘を持つ如く、神の新しき日に会ったものは、労せずして相愛し、苦しまずして神の姿を拝し得るだらう。

 おお! 毛虫も、いつの日にか、蝶々に早変りをする。醜き私の魂の毛虫よ、神の新しき力によって、蝶々に作り変へて貰へ! 資本主義の毛虫よ、暴力的共産主義の糞虫よ、神に贖って貰へ。そして神の無限の愛と、宇宙芸術に溶かして貰ひ、新装の歓喜をもって、花婿なるキリストを迎へるがいい

 何故にうなだるゝか。あゝ淋しい魂よ! 眼を上げて見よ! 神は新しき姿をもて出御し給ふ。神の潮は良心の岸辺に、高く渦巻いてゐるではないか。良心の水門を広く押し開いて、神の高潮を魂の奥深く溢れ入らせよ! 神は新しい力であり、新しき蕾であり、新しい光明である。我々はもう、唯物的な盲目の世界に飽き飽きした。神と永遠が、我々を目醒さなければ、人生の浪費にもう飽き飽きした。東洋と云はず、西洋と云はず、罪悪は人類を縛り、限り無き、輪廻に我々は、生命の徒浪を嘗めてゐる。

 その日にも、神はキリストを出現せしめて、愛の奥義を教へ、神の思召しを黙示し給ふた。その黙示は絶ゆることなく今日に迄及んでゐる。宇宙の底流れは矢張り愛なのだ。我儘な表面張力は醜い闘争と、発狂と、泥酔にあっても、神は猶もそれを越えて、我々の罪を贖ひ給ふ。

 来る年々に蕾が開き、青芽は吹き出で、冬枯れの姿は忘れられる。それにも似て、魂の新春は今や近づきつつある。神の出現し給ふ日、罪悪は逃げ去り、我執はその立場を失ふ。おお神よ! 旋風の中に、微風の中に、地震に、地辻りに、新しき日の近づきつつあることを示し給へ。世界はもう疲れてゐる。罪悪に真の快楽はない。私は、至高の快楽を求める為に、神の完全を慕ふ。最高の快楽は十字架の苫痛に一致する。神の快楽に酔へよ、日本の若き光の子よ!神に酔ふ者は、十字架の上にも舞踏する。凡ての富に勝って、神の貧乏は私に幸福を約束する。明日食ふべき食物が無くとも、神は鳥の嘴にパンをくわへさせて、ケリテの辺りに迄それを運び給ふ。永遠の奇蹟よ! 愛よ! 魂の噴火口に新生が爆発する。その爆発に旋風は捲き起り、雷は閃く。あゝ私は感ずる。神の跫音は、富士の山に触れ、日本アルプスの彼方に聞える。神は日本に近づき給ふ! 眼を醒せ! 日本の若人よ、血生臭き、革命の噂の前に、神聖なる神の出現を謹んで拝ぜよ!

 あゝ、東雲は白み、雲雀は曙を告げる! 待あぐんだ、第三の黎明は我々に近づきつつある。機械文明を後にして、我々は宇宙の大殿堂に宇宙の神を拝する日が来だ。そこには階級の憎悪を離れ、民族の皮膚の色を忘れ、貧しきも、醜きも、不具者も、死者も、みな同じ愛の神を拝する時を待つ。

 最微者に現れ給ふ神は、土くれの中に生命を秘め、野辺の雑草に新生の喜びの歌を歌はしめ給ふ。

 神の出御だ、出御だ! 私は頭をうなだれ、黎明とともに、アウロラの閃光をもって、出御し給ふ慈愛の神を黙礼の中に迎へる。民衆よ、踊り出して神の出御を拝さうではないか。然し、その日に至聖者は我々の父であり、我々はその子であることを発見しよう。福音を信せよ。それは暴力によらざる革命であり、愛と慈愛による新社会の出現を意味する。私はこの新しき超越力が日本の上に役げかけられてゐることを深く信ずる。高圧線に触れた者は、衝動を感ぜねばならぬ。神の高圧線が、日本の上にぶら下ってゐる。世界は日本から目醒めるのだ。さらば、日本の魂よ! まづ目を醒まして、世界の民衆を呼び醒ます為に顔を洗って来い!

 神の出御だ! 出御だ!

  一九二九・六・二六・一年の放浪の後

               賀 川 豊 彦 

                  摂津武庫川のほとりにて




 本書は、賀川豊彦の没年(昭和35年)の10月に、教文館より「日本宣教選書8」として「ダイジェスト版」が出ています。

 そこには武藤富男氏によって短い「賀川豊彦評伝」「賀川豊彦年譜」が収められて、この「ダイジェスト版」がつくられる経緯が「解説」に書かれています。最後にその「解説」を取り出して置きます。



        武藤富男氏の「神による新生」「解説」

 昭和三十三年の秋、賀川先生は私に向かって「“神による新生”を書直してキリスト新聞社から出版して下さい、袖助金を二十万円出します、そのかわり定価を一部五十円として下さい」と言われました。しかし補助金を二十万円いただいても、定価五十円では、売れれば売れるほど損をしますので、「考えてみましょう」と返事しただけで手をつけませんでした。昭和三十四年の暮、教文館から日本宣教選言として出そうとの議が起こりましたので、賀川先生宅を訪れ、病床にある先生に令夫人を通してこの旨伝えていただき、書き直して出版することの承諾を得ました。

 「神による新生」は昭和四年八月二十五日に出版され、その年の十二月十八日までに二十版が発行されました。一版が各一万部ですから、四ヵ月月に二十万部を売もつくしだわけです。

 この書は賀川先生の令名が全日本にとどろき渡った時代に、その講演を先生の弟子たちが筆記し、これを編集したもので、壇上において熱弁をふるう先生のことばが、そのまま書き写されております。ところが一面講演筆記としての欠点をもっておりました。それは筆記者の誤りによって、まちがった表現がなされ、二十回版を重ねているのに一度も訂正されずにきたことです。例えば原本三十七頁には「皮膚は痛いが、筋肉は痛まない・・普通は特別の使命をもっている。実に苦痛も天の恵みである」とありますが、この「普通」は明かに苦痛の誤記です。

 また前後の文章と無関係な一文が挿人されているところがあります。(原本四〇頁四行五行)これは先生の頭脳のひらめきが早すぎて、つづきを言い落としてしまったのか、それとも筆記者の書きまちがえかと推定されます。さらに同じことがくり返されたり、語法がひどくちがったり、意味がとりにくかったり、論旨があいまいだったりするところがあり、多分に整理を要するものがありました。

 私は以上の点を訂正し、できるだけ先生の言おうとなさるところを生かし、先生の関西弁も成るべくそのままとし、四六版百八十頁の本をこのような形にダイゼストしました。

 この本が先生の著作として以上のような欠点があったにもかかわらず、四ヵ月問に二十万部売れたということは、驚異すべきことで、その内容がいかに霊的なものに満たされ、またどんなに多くの人々を信仰に導いたかを証しています。

 これは、先生が四十一才の時の講演ですから、いわゆる賀川神学の大筋がこのうちに語られ、また先生の学識と生活とがにしみ出ており、先生の人生体験、殊に贖罪愛の実践がまざまざと描かれております。何よりもこれを読むと、先生が壇上に立って、数千の聴衆に語りかけている姿が見えるようで、読む者がその聴衆のI人となったかのような感をおぼえます。

 先生の著作は百四十六種ありますが、この本は先生の宗教的著作として代表的なものといえましょう。


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