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連載:賀川豊彦の著作ー序文など(第54回)

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「後藤書店ギャラリーでの<大震災とヴォーリズ展>」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)




   賀川豊彦の著作―序文など

       わが蔵書棚より刊行順に並べる

               第54回
        

     フレデリック・D・リート著
     『キリスト教兄弟愛史』

              賀川豊彦・内山俊雄共訳

          昭和5年9月10日 日曜世界社 560頁

 この年(昭和5年)既にステッド著『キリスト教社会愛史』を翻訳出版していた賀川は、今度は内山俊雄との共訳で本書リート著『キリスト教兄弟愛史』を完成させました。前書は新潮社でしたが、今回は馴染みの日曜世界社の出版です。

 先に取り出した昭和4年の『ジョン・ウェスレー信仰日誌』の翻訳を皮切りに、ゼ―・ラッセル・スミス著『世界食糧資源論』、ジョージ・エリオット著『ロモラ』、さらに4巻にもわたるフリードリッヒ・A・ランゲ著『唯物論史』など大著の翻訳をこの2年間ほどでなし終えています。さらに翌年(昭和6年)には賀川自らジョン・ラスキン著『ヴェニスの石』の翻訳も手がけ、その後も数多くの翻訳をすすめました。

 では今回も、賀川豊彦の書き上げている「序」を取り出してみます。



        キリスト教兄弟愛史
       
         は し が き

 祈ることと愛することとは一つである。我々は神の愛を信ずるが故に祈るのである。我々の祈りは我儘な祈りでなく、愛の祈りである筈である。キリストの道は愛一元である。教儀も、教條も、愛に就ての説明にしか過ぎない筈だ。

 それをどう間違へたか、我々はあまりに長く、教條の闇にさ迷ふて、愛することを拒絶して来た。私は、キリストの教をもう一度、この愛の世界にとり戻したい。

 それで、私は十九世紀間に、イエスの愛が歴史的に、どんな形で発展したかを調べる必要があり、前には竹中勝男氏と共に、ステッドの『キリスト教社会愛史』を翻訳し、今また茲に、リートの『基督教兄弟愛』を内山俊雄氏と共訳することの出来たことを愉快に考へる。

 全編凡て感激の愛史である。そこに霊魂のオアシスが発見される。私は愛の勇者をそこに発見するばかりでなく、神の愛をそこに見出し、キリストの十字架が、今猶連続してゐることを見て喜んでゐる。

 日本に於けるキリストの運動は、この道に従って発展すべきものである。ただ、古代より最近代にまで愛の歴史を辿る中に、近代になって愛の運動が、社会全体に對する愛の責任より、漸次教會内に引込み、その教會内の愛の実行すら、生活の根本に触れないで、資本主義の罪悪と戦ふ大きな使命を忘れてしまつたかの如き感を與へられ、私は多少悲しみを覚える。

 我々は、キリストの愛の使命が生活全部に及ぶべきことを考へる。近代のやうに、ばらばらになった兄弟主義を、生活全部に對する兄弟愛にひき直して実行せねばならぬと思ふ。

 即ち、教会は、個人的の祈りのみをする處でなく、愛のために祈り、愛の実行機関であり、完全な共済組合組織と、完全な社会愛の実行機開であらせたい。

 私は幼稚な日本の教會が、この方向に向き直るために、我々のこの小さい努力が、少しでも參考になるならば、この栄光を凡て神に帰したいと思ふ。

  一九三〇年五月廿六日

             賀 川 豊 彦

                武蔵野にて

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