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連載:賀川豊彦の著作ー序文など(第69回)

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「須磨・旗振山の日時計」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)



   賀川豊彦の著作―序文など

      わが蔵書棚より刊行順に並べる
   

               第69回
    
    彷徨と巡礼

        昭和8年3月20日 春秋社 345頁

 春秋社より出版された本書『彷徨と巡礼』は、昭和4年からの日本基督教連盟による<神の国運動>の講師として国内外を巡礼した時の記録で、個人誌『雲の柱』にも連載されてきたものを纏めた、賀川ならではの詩と随筆でなるユニークな旅日記です。


        彷徨と巡礼

          序


 枕する所だになかった人の子の遺鉢を受けて、私もまた、彷徨の旅に上らねばたらなかった。

 日本を、南より北へ、東より西へ、候鳥のやうに飛び廻った四年牛は、私にとって考へ深い四年半であった。これほど長く、また廣く、私は、彷徨の旅を続けるとは思はなかった。然し今は、樺太も、台湾も、満洲も、中央山脈も、瀬戸内海も、有明湾も、私にとっては、自分の書斎の抽出しのやうに、明瞭に思ひ浮かべられるやうにたった。今日となっては日本が私の衣であるやうに考へられる。その縫目、その綻、その皺、その生地、その染め方、その破れ目、その裏表――これらのすべては、生きた地理學を學び得たことによって、私には、この東洋の東端に位する列島が、恰も私の筋肉の延長であるかの如くに考へられる。

 この四年半の間、私は、日本人種を研究することに熱中した。そして、地理學に書いてない、「顔の地理學」や、「霊魂の地理學」を學び得たことを嬉しく思ってゐる。

 好きでも嫌ひでも、私は日本の人間である。日本の弱点は、私の血のうちに通ひ、その美点も私の骨組に組立てられてゐる。私は、日本を贖ふ、十字架の血の運動を継続せねばならぬ。

 そのために、日本に約束せられた可能性の世界を、予見しなければならない。日本の山と日本の平野、日本の雨と、日本の雲、その海流と気流は、日本民族を、どの程度まで決定するか? 私はそれを、長き彷徨によって精しく知ることが出来た。そしてまた、私は、日本の土地に育つ日本民族に、新しい血が、その決定を破って如何に湧上りつつあるかといふことをも、つぶさに知ることが出来た。

 私は、楽天家でもなければ、悲観論者でもない。日本が善くなるか否かは、日本民族の霊魂生活の基準によって違って来る。無限を憧憬するものが多い間は、日本は向上しよう。無限を侮辱し、絶對者を忌避する者が多ければ、地獄が、ロを大きく拡げるであらう。

 鎌倉末期に、西行は彷徨の旅に出発し、足利の初期に、能登や越前に、瞑想の道を拓ひた禅僧達は、都をあとにして、出家の道を選んだ。日本は、彷徨するものにとっては、よい國である。北米を旅し、支那大陸を漂泊した者は、大陸の彷徨に較べて、日本の彷徨がどんなに楽しいものであるかを、思ひ起すことが出来る。日本の自然は、全く絵だ。資本主義とアスファルト文明がだんだん、自然の美しさを破壊することがあっても、それは廣い日本の山の奥には、届いてゐない。いや、海洋にもその手が屈いてゐない。まだまだ、自然を愛する者にとって、日本は、その懐を閉ぢようとはしてゐない。

 春の霞と夏の雨は、適度に醜いものを蔽ぴ隠し、人間の醜悪を、自然の不思議な力で修正してくれる。また、秋の空と冬の雪は、珍しく日本に輝きを増し加え、病み疲れた彷徨者の魂を慰めるに充分である。弘仁の昔、僧空海が、四國巡礼に出たのも、偶然ではなかったらう。四國八十八ヶ所を廻らなくとも、あの不思議な地質學の模型を拡げたやうな四國の山脈を、南から北へ縦断することは地球の歴史を探る者にとって、どれだけの光栄であるか知れない。私は、阿波の吉野川の流域に育ち、日本で一番美しい、コバルトの水が湛えられてゐる四國三郎の水で、眼を洗って大きくなった。あゝ、もし、私に、都市の貧しい人々の仕事がなければ、私は、かうした無機物を相手に、一生を送るであらうに――たとひ、さうした山中の彷徨が続くにしても、私にとって、地上の一生は光栄の一生であることを告白せねばならぬ。

 然し、日本の土や石に較べて、日本の動植物は嘆いてゐる。椎も、橡も、欅も、榧も、椋も、――かつてそのうるはしい梢と新緑によって、日本の山河を賑した温帯林は、今漸くその余命を山奥と官幣大社の森に繋ぐのみである。みんな平家の落人のやうに、逃げ場を山奥に求めて隠れてしまった。然し、なほ可哀さうなのは、その森に住んでゐた日本の諸動物と、その川と湖と海に住んでゐた魚類や山椒魚である。あゝ、私は、もう一度、神武天皇東征前の日を見たい。そこは、どんなに美しい森と、どんなに美しい川によって飾られたことであらうか。想像するだに幸幅である。もしも、かうした自然が蘇生してくれるなら、私は、醜い煙突文明を喜んで棄てる。

 然し、私の巡礼は、さうした森と、山と、岸辺を探すために出発したのではなかった。私は魂の殿堂に神を尋ねるために出発したのであった。全能者が匿し給ふた、バアルに跪かざる七千人の同志を求めるために、巡礼の旅に上ったのであった。楢の木が伐倒され、椎と橡とが姿を消すセメントコンクリートの時代に。全能者に憧るる霊を一つにすることは容易な業ではない。大衆の注意力は散慢になり、けたたましい都會の雑音に、カルヴァリの丘より呼ばれた愛の啓示の聲が、全く掻き消されてしまふ。それでも私は、安價な唯物論に満足しない、永遠の思慕者を、あちらの村里に、こちらの岸辺に、発見することが出来て、どんなに力強く思ったか知れない。アブラハム一人によって、イスラエル民族が生れ出たとすれば、山蔭に隠れた永遠の思慕者七千人によって、イスラエルの更生は可能である。そして、私は、日本にまだ多くの隠れたエリヤの友人のあることを発見して喜んでゐる。
 
 平安朝の末期法然は、瀬戸内海を旅して海賊に希望を輿へ、北越の雪の旅に、親鸞は歓異の世界の開拓に出発した。どうそ人生は、母胎より火葬場までの旅である。然し私は、この短い人生彷徨に、世界最大の神秘を味ふことによって、神への報告書を完全に認めることが出来ると思ってゐる。

 一九二八年から始まった私の彷徨は、一九三二年の十二月で第一期が済んだ。然し、恐らく私は死ぬまで、かうした彷徨に、身を委ねなければたらないのであらう。労働街から農村へ、農村から労働街へ。貧民窟から震災地へ、私は、定住する處もなく、月のうちに何日かは、薬瓶と一緒に旅行を続けることであらう。どうせ人生が時間の上の彷徨であるとすれば、その上に空間の彷徨を加へることも、悪くはなからう。

 冬の真夜中、停車場の待合室で、慓えながら神を瞑想する嬉しさも、聖堂に於て礼拝をする嬉しさと較べて嬉しさに変わりはない筈だ。善き牧羊者は、九十九の羊を檻に捨てておいて、迷ふた一匹の羊のために、山河の間を彷徨すると、キリストはいったではないか。草鞋も摺り切れよ。棘も足の裏に突き立て! ナザレのイエスの血を承けた私は、人に嗤はれても、一つの迷へる霊魂のために、山を越へ、野を越へ、谷を越えて彷徨しなければならぬ運命に、みづから委ねてゐるのだ。笑ふものは笑へ! 私はバアルに跪かざる隠れたる七千人の居所をつき止めるために、草叢の下に蹲る傷付いた小羊を尋ねために、なほ人生の彷徨を続けねばならない。

   一九三三年三月十日

            賀 川 豊 彦

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