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連載:賀川豊彦の著作ー序文など(第77回)

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「神戸・布引の滝」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)



   賀川豊彦の著作―序文など

      わが蔵書棚より刊行順に並べる

         第77回
  
    J・H・ジーンス著『科学の新背景』

      賀川豊彦・中村獅雄共訳

      昭和9年6月18日 恒星社 382頁

 本書『科学の新背景』は、手元にないために取り出すことの出来なかった『我等をめぐる宇宙』(賀川豊彦・鑓田研一共訳)に続くJ・H・ジーンスの著書です。いずれも恒星社で出版されています。

 これには賀川の「序」がありますのでUPいたします。


    

       賀川豊彦の序

 科學に對する革命的時機が到来した。科學は遂に、原子を組織する電子の内容までをも分析してそれが波動力學的に取扱はれなければならぬことを説明するに至つた。

 然し、何といふ変化であらう。今から三十年程前.ポアンカレ―が「科學の臆説」を通して我々に科學の限界を瞑想すべきことを教へ、カールペアソンが、「科学範典」を著作して、宿命的なそして数學的な科學の見方を我々に強いて未だ四半世紀経たないうちに、沈黙してゐた科學そのものが 新しい天地を我々に指示してくれた。もはや科學は流動しない固定的な空間にのみ縛られた科學ではあり得なくなった。新しい科學は、空間と時間を絶對的存在として考へないで、波動的に進行するエネルギーの世界を我々に指差すに至った。ドゥ・ブロェーリー、シュローディンガー、ハイゼンベルグなどの努力によって、素朴的唯物論の宇宙観は倒れてしまった。物理学は新しいイデオロギーの上に立って、科学の再建を企図せざるを得なくなった。数年前、エディントンは「物的宇宙の本質」を著して、新しい物理学の行く手を示したが、その後量子力学の著しき発達により、ワイル、ステルン、ゲルラッハ、さては英国のディラックなどの貢献を纏めて、ケムブリッヂ大学のジーンス博士は、あまり数学の知識のないものにも了解出来るように、最近進行しつつある革命的物理学を根本にして、茲に「科學の新背景」を我々の前に提供してくれた。

 ジーンス教授は優れたる数學家である。彼は引力の計算のために、数十年間を費したといはれてゐる宇宙物理學者でゐる。彼が数年前に著した「我等をめぐる字宙」は三四年の中に約十三萬冊も賣り尽くしたほど有名なものであった。彼ほど宇宙の法則の数學的整備をよく知ってゐる者は、世界にも稀であらう。その事は、「我等をめぐる宇宙」(恒星社出版)を読めばよく解る。

 ジーンス博士は難しい数學をこの上なく平易に説明し得る天分を持ってゐる。この書に出てゐる数學の方程式などでも、微分積分の初歩だけを知ってをれば、すぐ理解が出来る。私は、こんなに親切に数理物理学を説明してくれる人は少いと思ってゐる。エディントンの「物的宇宙の本質」は物質の収縮法則を簡単に取扱ってゐるために、その数学的原理がわからないけれども、この書は、さしも難しいローレンツ転換の法則を釈然として説明してゐる。また難解と考へられてゐる波動力學の原則に就ても同じことである。勿論微積分の初歩だけの知識は要るけれども、それだけの知識があれば、むつかしい波動力學の原則が、こんなにも容易に説明出来るかと思ふと、私は、ジーソス卿に感謝せざるを得ない。

 ジーンス卿は、エディントン教授の如く、宇宙を科學的に見ると共にまた精紳的に見んとする傾向を持ってゐる。彼が一九三二年ロンドン大學で行った講演は、「神秘の宇宙」(日本訳「新物理學の宇宙像」恒星社出版)と題して出版せられているが、それを見ると、彼の思想がよく解る。即ち彼は、物的宇宙が宇宙精神の表現であることを信ぜんとするのは、この彼の唯心的科学観を紹介せんがためである。

 然し、この唯心的科学観の傾向は、決してジーンス卿に限っていない。昭和8年2月東京帝国大学教授菊池正士博士の著作「量子力學」を読んでも、そこには明かにこの思想が盛られてゐる。ハイゼンペルグも、エディントンも、またミリカンも、コンプトンも、皆同じ傾向を持ってゐる。これはアインシュダインに於ても同じことであって、彼の短い論文「宇宙宗教」を読むと、彼がスピノザに似た宗数的信仰を持ってゐることを我々は知るのである。

 どうして、世界一流の物理學者が、斯くも十九世紀の唯物論から唯心的転換をなしつゝあるか、それを、私はこゝに知りたいと思ってジ-ンス教授の努力によりて成りたる「科學の新背景」を友人中村獅雄氏と翻訳したのである。ケムブリッヂ大學の出版部が、快くこの翻訳権を私に與えてくれたことをも私は感謝してゐる。勿論この書は、私がいひ出して翻訳したものであるけれども、訳文は中村獅雄氏の手になったものである。それに私は一々目を通して加筆したにしか過ぎない。

 唯物論的自然科學が近代人の信仰になってから約百年、科學それ自身が唯心的に転向して行ったことの華かなる手際を私はただびっくりして見てゐるのである。日本の若き青年學徒が、唯物論と唯物辨鐙法に熱中してゐる間に、科學それ自身の基礎が、斯くの如く進展したかと思ふと、今昔の感がある。私は数年前に友人と協力して、アルペルト・ランゲの「唯物論史」を翻訳したが、ここにジーンス卿の「科學の新背景」を日本に紹介することは、「唯物論史」の続きを紹介してゐるやうな気がする。然もランゲが、新カント派の立場から論理的に唯物論に反對したに對して、新しい物理學が論理の立場を離れ、物理学そのものゝ内容から唯心論に転向せんとするその進歩発達を、我々は無硯することが出来ない。

 私は科學それ自身を、決して排斥しなかった。それとは反對に、科學それ自身が霊魂の窓であることを主張してきた。そして今新しい科學が、さうした立場をとらうとしてゐることを私は嬉しく思っている。私の希望している處は、日本の自然科学者が、更に深く実験室を通して、宇宙の実在の本質に質に切込まれることである。さうすることによって、物的宇宙が結局、宇宙精神の表現であることを彼等は発見するであらう。その日を待ちつつ私は、日本の読書界にこの書を送り出す。

  一九三四年五月三十一日

            賀 川 豊 彦
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