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連載:賀川豊彦の著作ー序文など(第84回)

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「会下山公園」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)



   賀川豊彦の著作―序文など

      わが蔵書棚より刊行順に並べる
       
              第84回
  

    『随筆集・黎明を呼び醒ませ』

       昭和12年1月20日  第一書房 338頁

 本書『黎明を呼び醒ませ』は、賀川豊彦の久々の「随筆集」です。ここでも本書の「序」、並びに武藤富男氏の『賀川豊彦全集ダイジェスト』の「解説」を取り出して置きます。



      『黎明を呼び醒ませ』

          序

 師走のどす黒い夕雲が、日本の空に懸る。これは、自分の煙突から吐き出した煤煙だ。大阪には年八百萬貫の煤煙が降る。日本は今その煤煙に中毒してゐるのだ。

 師走のどす黒い陰惨が日本の魂を被うてゐる。真夜中に起きた時、私はこの憂鬱を思うて涙することが屡々だ。娼妓五万二千、芸妓八万、女給九万、そして闇に咲く醜業婦は猶この外に五万を数える。三年前から、大阪、神戸の街頭には、男娼まで進出して来た。

 師走のどす黒い憂愁が、日本の戸口を覗いてゐる。純潔は失はれ、騒擾は繰り返され、強盗と殺人は激増し、刑務所は増築を急ぐ。おお、東方の君主國! その名のために私は日本の不義を自ら恥ぢる。

 闇は深まり、暴風は加はる。ああ、それは物的の昏迷ではなくて、霊の痴乱だ。桜が咲いても、菖蒲が開いても、私の憂鬱は少しも晴れはしない。盗賊の忍び入る如く、不義は、愛國心の名を籍りて民族の霊魂の殿堂を脅す。民衆はその仮装を看破して、黎明の近づくのを待つてゐる。

 黎明は何時だ。日本の暗黒に代る黎明は何時だ。黒土は嘆き、禿山は泣いてゐるのに、狼はまだ闇を楽しんでいる。

 明星を呼び起し、太陽に覚醒を輿へよ。鶏よ、早く鳴け。燕は何時北に帰り、春は何處まで来てゐるのだ。結氷よ1 結氷よ! 日本の霊魂の結氷よ! お前は氷の下の鯉を窒息さぜるつもりか?

 鶯よ、加勢してくれ。雲雀も春を督促しろ。あまりにも長い日本の結氷をあらゆる方法で恥ぢるがいい。

 三原山は忙しく自殺者を呑み干し、阿片商人は専買制度の蔭に隠れ、酒精は免許制度の城壁に立篭り、発狂者は十萬人を数え、出獄人は百萬を越えるに至った。犬吠岬は悲しみ、伊良子岬は憂ひ、冨土山もまた首を傾けてゐる。彼等には、秋津洲の現状に異変の前兆が見えるのだ。

 嘗ては、聖徳太子を生み、光明の基礎を仁義に即せしむべきを自覚し、それを憲法にまで認めた日水民族は、密雲に太陽を見上げることさへ無くなった。

 弘法は、千百年の昔、「十住」の心諭に絶對無障の哲理を指示して、日本の哲學に新しき紀元を開いたが、法界聲無くして、絶対の境地は、弊履の如く拾てられてしまった。

 親鸞の末裔は、愚禿の昔を忘れ、日蓮の亜流は清澄山の体験より離れ、徳愛は蒸発して、日本は蒙古の砂漠と相連るに至った。

 太古、日本海は沙漠であった。近代に至って、その沙漠がまた日本の霊魂に復活した。旱魃に私の眼の涙まで蒸発した。おお、沙漠の暗闇に黎明を告ぐる乙女星スピカの昇る日は何時か。私は凍えつつ、砂漠の端に黎明を待ってゐる。鶯よ、雲雀よ、早く新春を督促しろ。沙漠の端の闇の中に、独り立ってゐる私を憐れんでくれ。

   昭和十一年十二月十六日
       
          賀 川 豊 彦





      武藤富男『賀川豊彦全集ダイジェスト』367~370頁

           黎明を呼び醒ませ

      エッセイ作家賀川とその著作の特質

 散文詩人である賀川はまたエッセイ作家であった。随筆家というよりは、エッセイ作家と呼んだほうが、彼の作品にはしっくりする。それは彼の思想内容や考え方や表現方法が日本的であるよりは、どちらかといえば、西欧的だからである。

 彼のエッセイを土にたとえれば、地層の底に固い岩があることがわかる。そこにさぐりを入れると、カチンと当たる。それは彼の宗教的信念であり、信仰である。どんなにやわらく、美しく、詩的に見える短文でも、その底には信仰という岩盤が横たわっている。彼は『岩の上に』文を築いた人である。

 彼は自然を愛した。吉野川のほとりに幼少年時代を送った彼は自然の子であった。自然の美からおよそかけ離れた貧民窟や本所のバラックにおいて、人の子の悩みを担いつつあった時も、彼は常に自然へのあこがれをもって文を書き、自然の中に身をおくことのできない時は、雲や星や雨を相手にした。伝道旅行は彼にとっては自然との交わりの好機であった。大正十三年東京郊外松沢村に転居してからは、彼は自然の中に身をおいて生活を楽しみうるようになった。

 自然を愛した彼は、自然を自然として愛したのではなく、一目一草のうちに、一鳥一虫のうちに、神の創造の妙なる業と意匠とを発見し、これを讃美した。彼は神を呼ぶに『宇宙生命』なる語をもってした。彼のうちに内在する宇宙生命は、超越的なる創造主であり、天地宇宙の支配者であった。彼は人間のうちだけでなく被造物のうちにも宇宙生命の宿るのを見た。

 こうした自然観、自然讃美は彼のエッセイの随処にあらわれている。その意味において彼は単なる自然詩人ではなく、宗教的自然詩人であった。

 次に彼はそのエッセイにおいて絶えず社会時評を行なった。それはジャーナリストとしての批評でなく、予言者としての論評であった。日本民族のうちに潜み、あるいは露出する罪悪を彼は鋭く指摘した。しかしこれを指摘するに止らずに、常に救いへの祈りをもって結んだ。その祈りのうちに彼は希望をいだいた。それは旧約の詩篇作者と同じ態度であった。従って彼のエッセイには人生を題材とする作品がかなり多い。彼は人間を愛した。ごろつきでも、ペテン師でも、乞食でも、淫売婦でも、どろぼうでも、彼はこれを愛した。彼は人間の表面を見ずに、その内奥にある本性を見通した。更に彼は人間社会の改造を絶えず考えており、生物学の知識、進化論への見識、動植物界への見解は、人間社会に応用され社会改造への提言となった。

 自己を題材とするエッセイ、すなわち『私』を主語とする随筆は甚だ多い。賀川への悪評の一つは、彼がセルフ・センタード、すなわち自己中心に偏しすぎるということである。エッセイのうのも、ややこの批評が当たるようなものがないでもない。殊に投獄、病気等については、しばしば言及するため、少しくギラつくところがある。しかし彼は自己の成功を誇ったり功績を自慢したりしないで、パウロのように『キリストのためならば、弱さと侮辱と危機と迫害と行き詰まりとに甘んじよう』(コリント後書十二の一〇)というところがあったのである。

 四百字乃至一千字をもって書いた彼の散文は、一つの型をもっている。七言絶句のように起承転結から成り、結句は多くの場合、詩篇のように祈りとなる。また時に檄文となり、詠歎となり、待望となる。

 長文のものは物語風に書かれている。これは短文に比べ、文学的にはすぐれており人をひきつけて終りまで読ませる魅力をもっている。そしてこれには、自己中心的なギラつきがない。

 賀川が短文のエッセイを書くスピードは驚くほど速いものであった。キリスト新聞社に姿を現わすや、『不尽油壷』への投稿を催促すると、彼は密室に退いて十五分か二十分で原稿を仕上げて提出するのであった。そして原稿の表題は複線を使って大きな字であらわすのが常であった。彼のうちには思想、感情、知識が豊富に蔵められていたので、静かな時さえ与えられれば、それが短時間であっても、彼のうちにあるものが蚕の糸の如く、彼のペン先から綴り出されるのであった。
 本巻はそのようにして綴られた彼のエッセイの集大成である。

      『黎明を呼び醒ませ』について

 この書は昭和十二年一月二十日、東京の第一書房から発行された。すでに用紙の統制が始まっていたためであろう、奥附には初刷二千五百部と印刷されている。

 書題をなしている巻頭の一文『黎明を呼び醍ませ』は元旦の辞である。序文の日附は昭和十一年十二月十六日となっているので、この文は昭和十一年の年頭のことばであろう。『太陽の周囲を一定の軌道に乗って廻って来るだけが新年というのではない。黎明を呼び醒ませ、魂よ、昨日の藻抜けの殼の生活より、今日新しき第一歩を踏み出せ』という書出しをもって、唯物論に捉われている魂、物質の彼岸に法則の叡智を見出しえない人に、覚醒を促している。

 この文章に比して序文には日本をおうている暗黒を示し、『不義は愛国心の名を籍りて民族の霊魂の殿堂を脅す。民衆はその仮装を看破して、黎明の近づくのを待っている』と述べ、自らを『凍えつつ砂浜の端に黎明を待っている者』となしている。昭和十一年は二二六事件の起こった年であり、ミリタリズムの暗雲が日本においかぶさりつつある年であった。賀川は来らんとする日本の危機を洞察し、この序文と巻頭文とを書いたものであろう。

 これら二つの文を除いては、本書に収められている六十一篇の作品は明るく、面白い。殊に人物評伝が光っている。『懺悔僧としての徳富蘆花』『北氷洋の聖雄グレンフェル』『ジョン・ラスキソ』『支那における太平天国運動』『無人島の王者』『徳富蘆花氏の思ひ出』などは、くつろいで読める文章で、しかも読者をインスパイヤすること大である。

 『東京と大阪』は社会時評として、すこぶる興味ある随筆であり、今日でもなお両都市比較の参考となる。

 科学に関する短文としては『新天文学の方向』『天文学から見た新天地創造諭』『物質に対する新しい考へ方』『宇宙一元』などかある。当時の天文学者、自然科学者が宇宙の神秘に驚異したのと同じ驚異をもって感想を記したものである。

 『死線を越えてを書いた動機』『夫婦の苦闘の跡』『最徴者への奉仕』は自叙伝の重要な一餉をなすもので、殊に『夫婦の苦闘の跡』は春子夫人との結婚の動機を記したものである。

 宗教的エッセイは『深夜の祈祷』『静思断片』『現代人と信仰』『不思議な世界』『神と永遠への思慕』『魂の芸術』『物質を凝視する瞬間』などである。『神と永遠への思慕』は同名の講演集(本全集第二巻)の要旨をなす。

 ユダヤ人とシオニズム運動を解説的に書いた『放浪民族の運命』は読みごたえのある諭文である。当時はユダヤ禍を唱導し、世界の紛争や動乱は、ユダヤ人の陰謀であり、日本にもこのユダヤ禍が及びつつあると宣伝しまわった人物がいた。(四方伝陸軍中将その他)。賀川はこれを反諭し、ユダヤ人及びシオニズム運動に正しい解釈を与えたのである。

 その他本書には、産業、経済、科学、芸術、演劇等百般の事項についての小文が収められている。特に徳富蘆花との交わりは印象が深かったと見え、『徳富蘆花の思ひ出』のほかに『武蔵野の魂の記録』『小説富士』において蘆花のことを述べており、いずれも心温まる作品である。




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