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連載:賀川豊彦の著作ー序文など(第88回)

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「須磨・妙法寺川のさくら」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)



   賀川豊彦の著作―序文など

      わが蔵書棚より刊行順に並べる
     
               第88回
 

    『荒野の呼ぶ聲―小説集』

         昭和12年6月15日 第一書房 275頁

 本書『荒野の呼ぶ聲』は「溶岩地帯」「瑞穂の国」「荒野に呼ぶ聲」の三作品をあつめてできたもので、「荒野の呼ぶ聲」は、雑誌『現代』昭和7年1月から6月まで連載されたものです。

 ここでも序、そして武藤富男氏の『賀川豊彦全集ダイジェスト』の「解説」を収めて置きます。




    『荒野の呼ぶ聲―小説集』

         序

 日本にはまだ三百五十萬町歩の原野が残ってゐる。それは、しかし多く火山の裾野であったり、第三紀層に属する高原地帯である。私は日本の北から南へ放浪する度毎に、これが瑞西の農民であれば、容易にこの原野を開拓して熔岩地帯、乳と蜜の流るる郷を建設するであらうと思ふ。

 山東の移民は、チーフから大連へ、一九三一年までは毎年百萬人近く流れこんで行った。多い年には一年百二十五萬人も流れこんだことがあった。支那の流民は、満洲を天國の如く考へて、二十数年前には總人口八百萬しかなかったところへ、短い期問に二千萬人以上の大衆を、移動させた。

 支那人が、保護を受けたくとも行けるところに、何故、日本人が行けないのだらうか? 熔岩地帯も満洲の荒野も、アブラハムが約束せられたパレスチナの一郭に較ぶれば、まるで天國のやうに善いところである。日本民族が、そこへ行かないといふのは、日本人に行く気がないからだ。行く気がないのは、住むべき方法を知らないからだ。住むべき方法を知らないのは、さうした款育を受けてゐないからだ。私はこの小説集に於て、滞洲の荒野 と日本の熔岩地帯に於て、いかに住むべきか、いかに食ふべきか、いかに生くべきかを書いた。

 私は、自然の神秘に取り憑かれてゐる人間だ。自然の外に何物も私を慰めない。熔岩は私の友であり、荒野は私の親戚だ。私は開拓が好きであり、原野も私を見離さない。さうだ。去年北米大陸の彷徨に私は倦み疲れて曠野に花摘みをした。その時私に急に元気が甦った。それから私は単調な大陸を行く時に、いつも地上の星を拾ふやうな気持で、曠野の草むらに野花を探した。

 熔岩地帯も、アジアの荒野も日本人を呼んでゐる、行かうよ、日本の若人よ、彼等の招くがままに。

    昭和十二年春

           賀 川 豊 彦
     




    武藤富男『賀川豊彦全集ダイジェスト』315頁~320頁

        『荒野の呼ぶ声』について


 これは『熔岩地帯』『瑞穂の国』『荒野の呼ぶ声』という三部作を集めたものである。このうちでも、『荒野の呼ぶ声』は満洲を題材としているのでもっとも興味が深い。

 発行は昭和十二年六月十五日、支那事変勃発一ヶ月前である。発行所は東京の第一書房、発行部数は初版二千部である。

 第一の『熔岩地帯』は、山岳農業の仕方をわかり易く書いたものであり、小説というよりは教科書に近い。主人公幸七は、美作(みまさか)の人であるところから、賀川は現在、立体農業で大をなしている久宗壮をモデルにしたか、あるいはこれからこの作のヒントを得たのではないかと推定される。あらすじは次のようである。

 宮田幸七の父は生糸に失敗して村の信用組合の金を無坦保で借出し、背任罪に問われる。幸七は東京へ出て職を得ようとしたが思うようにならず帰村する。母は大家の主婦であったために勤労をいとう。幸七はローサンゼルスで植木屋をした後帰村している杉谷与二郎の指導を受けて、『山の平』を開墾することとし、そこに小屋を建てて大きな家を引払い移り住む。杉谷から山羊の子をもらい育てる。鶏を飼う。小屋が整備されたので、母と姉とを説いて小屋に転居させる。そして母にアンゴラ兎を飼ってもらう。姉は山の生活を喜び、谷川から水を汲む役を引受け、山羊の乳と馬鈴薯の食事に満足する。彼女は杉谷がくれた燕麦の粉で団子を作り、母と弟とにすすめる。母も貧乏と戦う勇気を出すようになる。

 井戸を掘って水を得、蜜峰を飼って蜜をとる。豚を飼う。馬鈴薯から澱粉をとる。そしてアンゴラ兎の毛でスエーターを作る。幸七は川へやまめを釣りに行き楽しむ。ネムの木は成長し、豚の糞は熔岩地帯を良田に変化し、幸七の作った胡瓜は村一番といわれる。幸七は胡瓜を一輪単につけトラックに積み変えるため村に下る。その時姉が腹痛うで苦しんでいることを聞き、『山の平』の小屋に帰ろうとする。そこへ杉谷の姪の近藤秀子が来ていて、幸七に紹介される。

 小屋で姉の背をさすっていると、近藤秀子が訪ねてきて、歯磨粉を飲ませることをすすめたので、これを与えると姉の腹痛が治る。その夜秀子は小屋に泊まり食事を共にする。秀子は羊毛のホームスパンについて語り、羊を飼うことを幸七にすすめる。

 その夜幸七は秀子を送って杉谷の家まで山路を歩く。秀子は女子師範出で高等女学校の家事科の文検をとっていた。彼女は日本の農村問題について語り、殼果の各種類をあげ、この実を豚や山羊の飼料にしている村があることを語る。二人は牽牛、織女の星を指さしつつ、腕を組んで歩く。

 九月になり幸七は冬ごもりの準備を始める。秀子は岡山の町へ帰る。幸七は開墾が馬鹿臭く思われてきたが、教育のある女と結婚するよりは自然と結婚すべきだと思い直し、宗教の必要を知る。そして畝の間にひざまずいて天に祈る。

 森林に落ちる樫の実を拾い集め渋抜きをして豚に食わせると喜んで食うことがわかり、杉谷は村長から山中の樫の実を採集する権利をもらって、豚や鶏の豊富な飼料を得る。また『立体農業の研究』という本を読んで、幸七とともに研究を重ね、殼斗科の実がすべて飼料になることを知る。

 アンゴラ兎は毛を産し、山羊の乳房はふくらむ。福島県川俣からは羊が着く。杉谷の隣家の主人が卒倒する。彼は酒の害を受けたのである。幸七が医者を迎えてきた時はすでに死んでいた。そこで杉谷と幸七は医療組合の必要性を感じ、また飲酒の害を痛感する。隣家では葬式に七、八百円もかかるが金がないといって心配している。幸七は禁酒の葬式を主張し、村の信用組合から五十円を借りてきて、部落全体が集まって荘厳な葬式を営む。

 その時幸七の父が執行猶予になったという電報がくる。幸七は父を小屋に迎える。母は要領よく機を織り、ホームスパンを作るようになる。かくて幸七の家では小屋に建増しをして杉谷の隣家の娘、春枝を幸七の嫁にもらうことになる。

 『瑞穂の国』は米産国である日本において、米と肥料の販売組織にどんなに大きな欠陥があり、米を作る農民がどんなに苦しみ、資本の搾取による社会悪がどんなに根を張っているかを暴露した小説であり、目的小説であることはもちろんであるが、類型としては、昭和の初期に流行したプロレタリヤ小説に属するといえる。

 賀川の小説としては、異色ある作品であり、恋愛、性の誘惑、投獄、冒険、理想への献身といった常套的形式から全く離れた作風である。

 神田河岸の米屋に奉公していた江見秀次は、米屋が商売の上でごまかすことを知り良心の苛責に堪えられず、ひまをもらって叔父のもとに身を寄せる。叔父は期米の相場師であったが、秀次はここにも居れず、日向の郷里に帰る。父母のない彼は、そこに自分の家があるのでもなく、離縁になって高鍋で産婆を開業している姉のもとに帰ってきたのである。姉はこころよく迎えてくれる。彼は姉の預かっている亡き父の遺品や亡き母の写真など見せられて感動する。

 姉のところに、手伝いに来る犬島友子という娘がある。友子の父大鳥幸蔵は高利貸に金を借りて苦しんでいる。秀次は幸蔵を訪ねて、四段五畝の土地を耕している農家がどんなに苦しい生活をしているかを知る。その時から五日後、秀次が幸蔵を訪れると、彼は娘友子を三百円の約束で下関に芸者に売ったか、いろいろな費用を差引かれ四十円しか入らぬという。秀次は幸蔵を連れて姉のところに来る。姉は友子に産姿を習わせてよい収入を得させるつもりだったと歎く。そこへ肥料商の井谷俊三が来る。友子の話がでて、まだ幸蔵は契約の金をもらっていないことがわかったので、すぐ友子を取返すことになり、姉は幸蔵に二十円を渡し下関に立たせる。友子は無事に帰ってくる。

 秀次は井谷俊次の肥料店に勤める。産業組合が進出してきて、米穀商や肥斜商のもうけが少なくなることを井谷とその仲間は憤慨する。秀次は米問屋のカラクリを知っているので、米穀統割法にも産業組合にも賛成である。農民が米を作っても肥料代が払えず、肥料代だけが借金として残って行くことを秀次は知ったのである。

 盆が過ぎて四日目に、俊三の店に磯野音吉が里芋を一俵運びこむ。百円足らず肥料代がたまっているために、言訳に来たのである。俊三は彼のもっている畑地の名義を自分に書換えろと要求する。音吉は涙ながらにこれを承諾して帰って行く。

 産業組合の活動が盛んになるにつれて、米屋と肥料屋のこれに対する反対宣伝がはげしくなる。米穀商組合副会長の石井定蔵と秀次は店で語る。秀次は米屋も産業組合の配給所になれば、三等郵便局の一家が食って行けるようにやって行けるという。定蔵はそれではもうからぬから面白くないという。秀次はそれでは堅気商売よりも。ハクチを面白いというのかと言って笑う。そこへ音吉の妻が駈けこんできて、音吉が家を出たきり二晩も帰って来ないという。

 大分県と福岡県の米穀商同業組合の有志は農林大臣に陳情するため上京する。米穀統割法への反対陳情である。井谷俊三は秀次と一行を駅に見送る。帰途秀次は俊三と米穀統制法によって米屋が困ること、全購連の進出によって肥斜商の立ち行かなくなることなどを論じ合う。秀次は俊三の意見に反対する。その夜秀次は井谷の店をやめさせられる。

 翌朝早く町外れまで散歩に行った秀次は水死人があがったことを知る。うつぶせになった死骸の頭部をあげて見ると、それは磯野音吉である。彼は肥料代のかわりに、先祖伝来の畑地を俊三の名義に変えねばならぬことを悲しんで自殺したのであった。

 秀次は音吉の死を俊三に知らせる。俊三の妻は死んだ音吉の姿を幻に見て、卒倒する。俊三は音吉から取った名義書換の公正証書を音吉の妻に帰してくれと秀次に頼む。秀次はそれを返しに行く。しかし音吉の妻は証書を突返しに俊三の店に来て、喚きつつこのありかたい瑞穂の国に生れて、米作る百姓が肥料代さえ払えず、百円足らずの借金のために先祖伝来の土地を取り上げられ、先祖に申訳ないと身投げして死んだ、それを外国人が聞いたらどんなに思うでしようという。

 第三の『荒野の呼ぶ声』は満洲の遼陽と四平街と長春と大連と古林省の奥地とを舞台として流転する一日本人青年の物語である。時代は張作霖奉天爆死事件の直前から直後である。作者の意図は満洲の自然と原住民の生活とその中に入りこんで働く日本人の姿とを描き出し、日本人に大陸雄飛の志を与えようとするにあったようである。しかしこれは目的小説というよりは、ロマンチシズムの要素が濃く『文学とはアミューズメント(娯楽)である』という定義にピタリする作品であり、檀一雄が書いた『夕日と拳銃』のように読者の興味をそそる。その意味において、賀川のものとしては異色ある作品の一つといえるのであろう。

 賀川は数回満洲を訪問しているので、自然の描写はリアルである。原住民の生活も比較的よく描けているが、筋の運びにはやや非現実的なところがある。殊に後半においてそれが著しい。しかしフィクションとして、小説家賀川の実力を示す作品であることは争えない。あらすじは次のようである。

 山根文雄の父は、福川県折尾駅の前で運送店を営んでいたが、炭坑経営に手を出し大正九年の恐慌時に失敗し、店を人手に渡して行方不明になる。文雄は中学校を出て門司九鉄の手荷物係になったが、満洲にいるといわれる父を尋ねる心持も手伝って、人陸に雄飛しようと志し、遼陽に行き、実業教習所に入る。ここは支那人と同じ生活をし、支那人の行商に混って活動し、訓練を受ける場所である。

 十五、六人の学生の集まっているこの教習所で、文雄は納屋の片隅のような狭い部屋に入れられ、高梁飯を食う。そして浅葱(アサギ)の支那服をきて薬の行商をして歩く。

 一週間の行商から帰ってきて二年生の一団と風呂に入っている時、同県人の磯貝という男に会い、父が長春のロシヤ人町で酒場の支配人をしていたという消息を聞く。文雄は父を訪ねて長春に行き、ロシヤ人街で父の居所を突きとめ、ステーション前のレストランに父を尋ね再会する。父は外に出て山根と語る。山根は父に抱きついて泣く。外は零下四十度に近い。行倒れが路上にいる。二人は内に入り食事をともにして別れる。父はロシヤ女といっしょになっていたので、山根は家の窮乏や母や妹や弟の苦しみを打明けずに去る。
 
 春風が吹き亙って、大地が地平線の限り、高梁畑に変ってしまった。同室の誠静之はこれから馬賊が出るから晩は五時から町に出ないようにしようという。実業教習所の先生崎本愛次郎は、文雄を勧誘して遼陽ホテルで馬賊の親分と合せる。仲介したのは、大連の実業家花井の息子俊吉である。崎本は馬賊の親分に、教習所の生徒が奥地を旅行するから、掠奪せずに保護してくれと頼む。

 六月末に学校の授業が終り、七月から生徒は行商に出かける。文雄は同室の誠静之の家へ行き泊めてもらう。附近に行商に出ることになる。誠の家は四平街の大きな薬屋である。誠の父は四人の妻をもち、誠は第二夫人の長男で、同腹の妹がある。

 四平街に行って四日目にお祭があり、誠の妹が大連から帰ってくる。日本人の女学生のように見える美しい娘で正蘭という名である。文雄は誠と妹とともにお祭に行き、誠ははぐれてしまい、玉蘭と文雄と二人だけになる。彼は若い娘の皮膚にふれて興奮する。

 翌朝、文雄は玉蘭と階段のところで抱き合う。誠は二人の間を察知して不機嫌であるが、朝食の席では誠の父はおおらかな態度を示す。

 文雄は四平街を出て、雙城子方面に薬売りに出かける。暑熱にまけて日陰に寝転び、白分のふがいなさを憤る。日射病にやられていることがわかり、ようやく驢を見つけて乗せてもらい、四平街の近くまで来て日が暮れる。苦しくて辛抱できないでいると街の入口に日本の国旗を見る。そこを頼って行って泊めてもらう。この家の主人は日の丸の旗を立てて、麻薬の密売をやっているのであった。その晩、馬賊がこの家を襲う。家人も文雄も針金で後手にしばられる。賊が去ってようやく縛を解かれて寝につき、朝になって洋車(人力車)で薬屋に帰る、四十度の発熱で床につき玉蘭の看病を受けて治り、九月になって遼陽の学校に帰る。大連の学校に帰った玉蘭から手紙が来るが、文面は頼りないものである。

 内地の母が病気であるという手紙を受けて間もなく、ハハキトクという電報が来る。長春の父に電報を打つと、その晩三十円の電報為替が着く。文雄は朝鮮を通って門司に着き、折尾の我が家に帰る。平家の五軒長屋の一つに母と弟妹一家四人が住んでいたのである。母はすでに死んでいた。彼は位牌にあかしをともし焼香する。妹には長春にいる父の消息を伝え、自活している上の妹妙子に、も一人の妹を託し、弟二人を親類に預け、妙子の作ってくれた二十五円の旅費をもって再び満洲に向かう。妙子は許婚者の春田とともに彼を門司港に見送る。彼は満洲で成功するまで日本の地を踏むまいと決心して海を渡る。

 遼陽の教習所に帰った彼は、大豆の取れる秋、通弁に雇はれて、長春の奥地に大豆の買出しに行く。そこで日本人がどんなに狡猾なやり方をして農民から大豆を買っているかを見る。彼は大連にいる玉蘭に毎日手紙を書く。そして三十円の手当をもらうや仕事をやめて玉蘭に会うために大連に行く。玉蘭を下宿先からステーションに呼び出して再会する。二人は駅前の旅館の一室で語り合う。玉蘭は、来年三月卒業したら許婚の人と結婚せよと兄に強いられている、しかし、それを断って彼について行くという。そして二人は古林省の奥地にかくれようと約束する。

 遼陽に帰った彼は満洲の土が次第に彼のうちに食込んできて肉体の一部になるように感ずる。そして満洲の満洲人の中に入って満洲人の生活がしたくなる。父を訪ねると、父はレストラン・キクチを去り、駅前の富士旅館にいた。父に会って、母の死や弟妹のことを告げてもウイスキーを飲んでいて無気味な表情をしている。彼が農業をやりたいから資本を出してくれと頼むと、父は奉天にある満洲物産会社の社長にあてて紹介状を書いてくれる。彼はそこを訪問して土地課長から百五十円を貸してもらい、古林省の奥に向かい、陶頼昭で下りて、初冬の空のもと、はてしなく続く大地を独り歩き、大三家子の一番貧相な家を訪れる。そこには張玩という男が山東から出稼ぎに来て病気のため帰れなくなって独居している。彼はここに同居することになり、村外れの広い土地を翌年春から耕作することとなる。張は十五円くれればこの家を譲るというので、これを承諾し、豚も鶏も譲り受
ける。張は蒲団や着物や手廻り道具をたずさえて去る。

 家に帰るや彼は玉蘭に手紙を書く。そして家の中を修理してできるだけ美しく見えるようにする。冬籠りの間、彼は村の子供たちを集めて日本語や算術を教える。雪が融けて耕作が始まると、村の青年たちは鍬や鋤をもって手伝ってくれる。玉蘭から和歌を書いた手紙が来る。彼はそれを肌につけて寝る。

 三月十二日の卒業式が終ったのに玉蘭は来ない。彼は欺かれた思いで彼女の手紙を焼き捨ててしまった時、大ぜいの子供に囲まれて玉蘭が現われる。彼女は父と兄の許しを得てきたことを告げる。王蘭は常用服に着かえて彼の仕事を手伝う。

 高梁が伸びて馬賊の跋扈する秋となる。奉天事件以来排日がひどくなり、誠静之が玉蘭を迎えに来る。そこに馬賊の一隊が襲来し、玉蘭を捕え連れ去ろうとし、彼は有り金全部を渡し玉蘭を助けようとしたが、馬賊はきかず、彼を捕えて玉蘭を放し、この男が欲しければ千両持って来いといい、彼を馬にのせて走る。玉蘭はそこに倒れて咽びつづける。







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