スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

連載:賀川豊彦の著作ー序文など(第95回)

1

「ボストン美術館の至宝の里帰り」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)


   賀川豊彦の著作―序文など

      わが蔵書棚より刊行順に並べる
        
              第95回


     『小説・キリスト』

     昭和13年11月20日 改造社 551頁


 本書『小説・キリスト』は、雑誌『改造』で昭和10年10月から昭和11年3月まで「長編小説・キリスト」として連載された作品で、小説の末尾に賀川の「跋」が添えられていて、この作品への賀川の特別の思いが書き込まれています。

 平沢定治の装丁で多くの宗教画も収められています。ここでは賀川の「跋」と武藤富男氏の『賀川豊彦全集ダイジェスト』の本書の「解説」も収めます。



    『小説 キリスト』

       跋

 私の手は慄へてゐる、私のからだはわなないてゐる、脈拍は結滞勝だ、人類五十万年の歴史にまだ姦悪がうち続き、流血の惨事が歴史を色彩って行く。かうした時代に、私は科学と文明を信用することは出来ないのだ。

 「人もし新に生れずば神の国に入る能はず」とキリストは叫ばれたが、ローマ帝国時代に言はれたキリストの言葉は、二千年を経た今日も同じ意味を持つてゐる。飛行機が飛び、潜水艦が突進し、ラヂオとテレビジョンが発明せられても、霊魂の改変があり得ない以上凡ゆる発明も発見も全く無価値に等しい。

 ローマ時代から人間はどれだけ霊魂の身長を加へたらうか? それを思ふとき私は、キリストの霊魂の身長の基準にまで伸び上る義務があると思ふ。

 霊魂の身長とは何をいふか? 彼の心が天より最微者へまでの距離を持つてゐるか、否かといふことである。キリストは大工として生活し、宇宙の創造者の全的意識を彼の自覚に収め、創造の目的をもって人類の歴史を見直した。そして神より離れた、最微者が罪と穢れに悩んでゐることを見て、これを批判する前に、これと協力して再生せしめんと努力した。

 ああこの再創造の意識こそ、キリストの霊的身長が歴史の基準となつた理由だ。

 国は興り国は亡び、民族は起り民族は消滅する、その間にあって独り、霊魂の身長に神の基格を特つ者のみが、歴史の尺度を決定した。

 私は、かうし霊魂の呻きをもつつ、このキリストの小説を綴った。ある人は私を冒涜者といふかも知れない、さう言はれても私はその批判を甘受する。私は、キリストの霊的身長の基格をもう一度現代に持っで来たいために、かうした表現の方法を取るより道が無かったのだ。

 この小説を書き出してから私は満五年になる、筆を執っては考へ筆を置いては祈り、人類の低迷に、人間の無為に、至聖者に訴へつつこの書を完成した。

 贈罪愛の意識をもったキリストを表現するには、私の筆はあまりに無力であらう、しかし、幾度でも努力してゐるうちに、人類の更改の日が来ないとは誰が保証出来ようぞ。

 あゝ太陽よ、星よ、暴風よ、洪水よ、如何にかして私は霊魂の潔められんことを待ってゐるのだ。熱化し、風化し、浄化してくれ私の魂を……そして世界の霊魂を神の国にまで引上げてくれ、あゝ、砕けたる私の魂に、殆ど自らの涙の洪水に溺れんとしてゐる私を救うてくれ! あゝ太陽よ、星よ、暴風よ、洪水よ!

  一九三八・一一・一〇

           賀 川 豊 彦





        武藤富男著『賀川豊彦全集ダイジェスト』327頁~332頁

            『小説キリスト』について


             著作の年代とモチーフ

 第二次世界大戦勃発の一年前、すなわち一九三八年十一月にこの書は改造社から出版された。賀川が自ら記した跋によれば、彼は満五年を費してこれを書き上げた。
 『筆を執っては考え、筆をおいては祈り、人類の低迷に、人間の無為に、至聖者に訴えつつこの書を完成した」と彼は書いている。
 践には更に
 『人もし新に生まれずば神の国に入る能わずとキリストは叫ばれたが、ローマ帝国時代に言われたキリストの言築は、二千年を経た今日も同じ意味をもっている。飛行機が飛び、潜水艦が突進し、ラジオとテレビジョンが発明せられても、霊魂の改変があり得ない以上、あらゆる発明も発見も全く無価値に等しい。ローマ時代から人間はどれだけ霊魂の身長を加えたろうか? それを思う時、私はキリストの霊魂の身長の基準まで伸び上がる義務があると思う』と記されている。しかし賀川はキリストを描くことによりこの時代の批判をしてはいない。むしろ彼は『革命か? 十字架か? 悪魔は革命を指差し、聖霊は十字架を彼にささやいた。それで彼は新しく瞑想のうちに十字架を覚悟した』という見方によってイエスを描こうとしている。        
 読者は『キリストについての瞑想』(第三巻)のうちにおいて、賀川がキリスト伝について次のような独特の意見を提示していることを知るであろう。
 『キリストが、華々しいガリラヤ伝道を続けている中に、突然ヨハネは死刑になつた。それによって激昂した民衆は、約五千人位集って、キリストが湖水を渡り山に退いて祈ろうとしているのを無理についてきた。その数五千を越えたものがキリストにつきまとうてくる程熱心だった。この記事は、マルコ伝やルカ伝を見ても、なぜ集ったか全然わからないが、マタイ伝とヨハネ伝をひっつけてみると、これは革命の相談が出来ると思ったからついてきたのである。(ヨハネ六・一五)これは大変な事件だった。そしてこの事実によってキリストは殺されたのである。民衆はキリストを無理矢理に王になさんとした。その群衆が五千人あった。キリストは幼い頃に、ユダが革命しようとしたことを知っていられたので、今更革命することを好まず、キリストは旅行に出られた。それからキリストの隠世時代が始まる。
 第一の旅行は、カペナウムを出て、ツロ、シドン、それから湖水の東側に出て、ユダヤの様子をさぐってみた。すると、まだ革命熱は醒めていず、集まるものが四千人あった。ある人は、これは問違いだ、五千人の記事が重複しているのだというが、それは奇蹟ばかりを読もうとするからで、実際は、革命から隠れたキリストが、再び帰って来られた時に、集ったものが四千人あったので、マルコ伝を見るとよくわかる。マルコ伝第六章四十四節に、男子のみ五千人とあって、女がなぜそこにいないか? 女は革命の邪魔になるから、男のみついてきたのである。これは面白い。
 第三インターナショナルは、スイツランドのゼネヴア湖畔の二箇所の森の中で隠れて相談された。そして独逸の軍用車に乗って、ロシヤに乗込んだ連中があの革命を起したのである。革命はこっそり計画するものである。山の中に入って来たのは、奇蹟のみでなく、革命という意味があるからであったろう。彼等が帰る途中で餓死する恐れがあったので、キリストはパンを与えたのである。私はこれを深刻なる事実として信ずる。
 そこで、次にキリストはすぐ旅に出られた。(マルコ七・二四)なぜ、人に見られざるように隠れようとしたか? あまりに卑怯ぢやないかと思はせられる。がそれはいたずらにヘロデ・アソチパスの激昂を受けて断頭台に死にたくなかったからである。で、キリストは奇蹟を実行してもう一度帰って来られた。(マルコ七・三一)デカポリス(十の町)は比較的繁栄なギリシヤ人の土地で、ユダヤ人の中を通ると危いから、ギリシヤ人の間を通って、こんどはガリラヤの海に来られた。それからマルコ伝第八章一節の四千人の事実が続く。まだキリストの評判は去っていなくて、前より一千人少かったが、また四千人集った。これは決して同じ事実を二度書いたものではない。ある人のごときは、二度そんな事件かあったのではない、一度だというが、それは社会運動を知らない人のいうことである。いかにユダヤ人が革命を望んでいたか! この種の革命は紀元二世紀頃まで続いている。いつも革命をやりたいと思っていたが、しまいに国を全部ローマ帝国にとられた。』(二一二頁―二二一頁)
もう一つ興味がおるのは、ヨハネによる福音書の作者に関することである。
 「ヨハネ程、キリストを官憲の眼からみたものはない。第一章から官憲の気持で書いている。エルサレムの官憲の気持からみている。バプテスマのヨハネに対しても、例えば解らぬことが書いてある。なぜか? そこに理由がある。キリストの弟子の中に、高位高官の人が大分いた。ニコデモ、アリマタヤのヨセフ、ヘロデの大臣クーザの夫人ヨハソナ、へロデの乳兄弟のマナエン等が改心している。(使徒行伝一三・一)クーザの如きは知事官邸に出入したから、タイベリアス皇帝の孫姫にあたるピラト夫人などのことをよく知っていたと想像できる。そして、その材料をヨハネに提供しのである。だから、主観的な註釈的な部分が多過ぎるが、註釈的なものをぬかしたりヨハネ伝なしにはキリスト伝は絶対にわからない。
 例えば、キリストが神殿を破壊するといったことが、死刑の理出となっていることは、ヨハネ伝だけにしか書いてない。ヨハネ伝がなければ、キリスト伝は書けないというのはそういう処である。その中でも特に、ペテデについてこいとか、ヤゴブの兄弟についてこいといったことは、ヨハネ伝に依らなければ判らない。であるからキリスト伝をみる時、マルコ伝を基礎にせず、満遍なく、公平な学理的立場から、現代的のキリストを研究したいと思う。』(二〇二頁)
 以上二つの見解は本書のモチーフをなすもので、賀川の胸中には、こうした考えが十数年の間潜んでおり、それが昂じて彼にこの本を書かせる動機となったのではないかと思う。しかも政治革命か精神革命かの岐路に立った青年賀川が、敢然として政治革命家とたもとを分かって、伝道者として一生を貫いたのは、聖霊のささやきに従って十字架を目指すというキリスト観にもとずいたためであろう。否、こうした賀川の態度がこのキリスト伝を生み出したのであろう。その意味において、賀川はこのキリスト像に自己の姿を描いているといえる。

             資料部分と創作部分

 ここに記されたキリストの生涯はバプテスマのヨハネが処刑された直後の物語から始まって、キリストの十字架と葬りのところで終っている。復活について賀川は事実の描写や説明をせずに、彼一流の散文詩によってその意味を強調している。
 青年時代のイエスについては、『七〇人生の真夜中』の項において、イエスが十年前ナザレの大工として働いていた頃の思い出をえがくことによって叙述している。ここにはいかにも田舎大工らしいイエスの生活と人に親切なイエスの姿とが描かれている。バプテスマのヨハネから洗礼を受けるイエスに関しては、『八〇 八サバラ』の項において、三年前の回想として記している。二つの場合、イエスの母マリヤは、イエスを変り者とし、家族のために尽すことが足りないといって非難しているのが注目される。
 物語は共同福音書とヨハネ伝とを巧みに組み合せつつ、ロマンティクな味を出すように構成されているが、福音書に全く根拠のないエピソードも随所にあらわれてくる。これは全く賀川の創作であるといってよかろう。ところどころヨセフスのユダヤ古代史からヒントを受けたところもある。
 そこで先ず福音書に記されていない面白い物語りを拾って紹介し、次に賀川のイエス観及びイエス像のうちに画かれた賀川自身の像を語ることにしよう。

              創作された部分

 革命旋風を避け、六人の弟子をつれてツロ、シドンの方に旅行したイエスは、北進してダマスコに出た。ここで。バプテスマのヨハネの弟子サラテルを訪れ、ヨハネの首を見る。サラテルはヘロデの干卒長からヨハネの首をもらい受け、ダマスコに逃れていたのであった。イエスがヨハネの首と対面する場面は、息ずまるような迫力ある。ここの描写については賀川は精魂を傾けて筆を進めたにちがいない。サラテルはイエスに復讐をけしかける。しかしイエスは沈黙を守ったままでここを辞した。
 イスカリオテのユダについても賀川は独特な解釈をしている。ユダは熱心党の人々と同様にイエスを政治革命の指導者として仰ぎ、エルサレムの大祭司とイエスとを握手させ、ローマ帝国に対する独立運動を企てる。ユダの見解によれば、イエスがイスラエル氏族の権力者である大祭司と結ぶのでなければ、革命は成功しないというのである、ユダはこの運動を試みたが、イエスに革命の意志のないことを知って絶望し、それが裏切りを誘発したのであった。
 熱心党の闘士であり、革命資金を得るため強盗にまで転落したエヒューは、脇役として登場する。これが実に三本の十字架の一つにかけられ、『御国に入り給う時我をおぼえ給え』とイエスに呼びかけた強盗の一人なのである。その娘をドルシラといい、遊女に売られていたのをイエスは自由にしてやる。ドルシラは捕えられている父親エヒューを助けようと口―マ官憲への贈賄資金を得るために苦しむ。牢獄の父に面会しようとしてアントニアの塔の西門を叩くドルシラを助けようとして、イエスは牢獄を訪れ、ローマ兵の病気を癒してやり、ドルシラを父親に面会させてやる。取税入ザアカイの家に宿った時、イエスがエヒューを助けるため百五十シケルの寄附を求めるところなどいかのも賀川流である。ドルシラの救援は間に合わず、エヒューはイエスと共に処刑される。その場にかけつけたドルシラは、十字架に釘づけにされつつある父の脚にすがって泣く。
 もう一本の十字架につけられたのは、アキバであり、もとはバプテスマのヨハネの弟子で、後に革命を志し強盗にまで落ちていった人物である。これはイエスを罵る。この人物も物語りの中にしばしば登場する。
 賀川はへロデ・アソテパスの内大臣クーザの妻ヨハンナに特に深い興味をもったと見え、本書の初めから、すなわちカぺヘナウムにあるぺテロの家にイエスか滞在している場面から、彼女の姿を現わさせ、セフォリスにあるヘロデの宮殿における場面、イエスに従うため家出するところ、イエスの捕われた後、ベタニヤのマリヤの訪問を受け、二人してピラト夫人にイエスの釈放を運動するところ、十字架より少し離れてイエスの母マリヤ等とともに立ち、イエスの処刑を見守るところなどを、詳して描いている。
 ヨハネ伝の作者がヘロデの宮廷及びカヤパの官邸の事情に涌じている者によって書かれたという賀川の推測が、この辺にもにじみ出ている。
 エッセネの生活のイエスに及ぼした感化も賀川は推量によって書いている。『四五 エッセネの感化』という項目を設けて愛の行者たるイエスがエッセネから受けた感化を説明し、更に母マリヤがイエスに結婚をすすめるくだりにおいては、特にエッセネの影響を強調している。エッセネは当時、俗世から離れ、独身を守り、祈りと愛の奉仕とに献身する人々の集まった教団であった。

               イエス像と賀川像

 イエス像を描くに当たって、賀川はあまり克明な描写をせずに、淡々と書いている。イエスのことばづかいは至って平明率直で、賀川自身が平常用いた語調をそのまま出している。その意味ではイエスの威厳をやや損ねている感なきにしもあらずであるが、イエスを庶民的人物として表現する点においては成功しているといえよう。
 『食事はあとにしよう。イスラエルの悩みを先に負いましょうかい』とか「マルタ、マルタ、あなたはそんなに苦労しなくともよろしいよ。さう人間に必要なものっていうのは沢山ないんだから―一つあれば沢山です。マリアは、その一つを選んでいるんだから、あの娘からそれを奪うことはできませんよ、わはわは』『ヘテロは魚をとるのは上手だが、城を取るのはできそうもないな。わはわは』といった調子である。
 イエスの内面描写は、賀川自身の内面描写である。
 『――何という平安、何という静けさ、生存の不可思議、星の光栄、風の神秘、宇宙全体が神の胎盤の如く感ぜられるではないか………神に可愛がられている、神の独子、そうだ、指光の延長が山であり、河であり、星であり、宇宙の物質は、すべて神の言葉であり、彼の魂は直接、天の父の魂に吸いついていることを深く感じた』
などこの例である。
 ベタニヤのマリヤは、イエスが伝道を始めた頃は、弟のラザロとともにカペナウムの貧民窟に住んでおり、後にベタニヤにいる姉マルタのもとに転居することになっている。イエスがこの貧民窟を訪れ、病める青年ラザロとマリヤとに金を与え、病人を癒してやるところなどは、貧民窟経験をそのまま出している。
 イエスがベタニヤでマリヤと話している場面――マルタが入ってきて、不平を言う前――においては、賀川はイエスをして賀川神学を語らせている。『神の心を人間の心としてその日その日を送る』『天地の神様の胸のうちに抱きしめられる有難さを忘れない』『神様の気持になって世界を見直すこと、それは聖霊の働きです』ということばなどがそれである。
 姦淫の女を人々が連れてきた時、イエスはかがんで地にものを書いていたとヨハネ伝八章に記されているが、ここのところで、イエスは魚の画を地上にかいていたことになっている。賀川は画を描くことを好んだからであろう。
 捕えられる前、イエスがエフライムの山地で羊を飼っている場面かある。ベタニヤのマリヤがそこに訪ねてくる。イエスはマリヤに向かって言う。(マリヤはヨハンナと同様この物語の脇役である。)
 『マリヤよ、私はあなたが知っている通り、今日まで黙って、人の尻拭いをしてきた………それで私には人の責任を自分のものとして引かぶるということがよくわかる。私の一生は人の失敗を尻拭きして廻る役目であった……』
 『尻拭き』は賀川の常常套語であった。賀川はキリストのことばのうちに、このような自分の生活と使命観とを表現している。しかし賀川の尻拭きがキリストの贖罪愛の実践であったことはまちがいない。
 イエスか笞刑を受ける場面で、ローマ兵の一人か『この男は表面はおとなしいように見えるけれども、内心はローマに対し革命思想を抱いているらしいな』という。このことばは賀川が川崎造船のストライキの直後、投獄されて検事の取調べを受けた時、検事が調書に記した一句『表面穏健に見ゆれども内心に革命思想をいだけるものの如し』から取ったのであろう。「空中征服」の中で賀川市長が十字架刑を受ける場面にも出ている。
 人はキリスト伝を書くことによって、自己の精神的成長の限界を示す。人がキリス卜を如何に把握しているかは、彼の思想、生活、人格、信仰の何たるかを決定するからである。その意味において賀川のキリスト伝は、賀川がキリストを如何に把握していたかを物語る。否、キリストが如何に賀川のうちに生きていたかを示すのである。
 この書にあらわれてくるキリストは柔和にして、人の罪を負う小羊の姿をもつキリストである。どちらかといえば、男性的な厳しさがなく、女性的な柔しさをもったキリストである。政治に巻きこまれることを極力避けつつ、あくまで救主メシヤとしての使命、贖罪を完成しようとするキリストである。宇宙生命の体得者として、神と一つとなって生き抜くキリストである、坦々たる、そして清澄な心境をもって十字架につけられるキリストである。賀川は十字架に釘づけされる時のキリストを次のように描いている。
 『イエスは荊の冠をかぶせられたまま、顔に露ほどの悲しみの表情もあらわさないで、まるで寝床にでも入るような調子で十字架の上に仰向けになった。彼は大きな瞳を据えて、澄み切った蒼空を見上げていた』          ゛
 も一つ賀川のキリスト観の特質がこの書にあらわれている。それは『教会』のうちに立てこもるキリストではなく、社会の中に広く深く入って行くキリストである。その点は次の二つの表現によりて明らかにされるであろう。
 『バルヨナ・シモン、お前は仕合せ者だ。お前の名は巌だとはよく附けたもの              だ。その信念の巌の上に新しい社会を築いてくれ』(二五 メシヤの告白の項)
教会といわずに社会といったところが面白い。
 『ぺテロ、ぺテロ、そんな時にはね、君ひとり行って先ず忠告してさ。まだきかなければ、こんどは二三人行って忠告したがいいだろう。もしそれでもきかなければ、団体で諌めるんだね。』(二八 カベナウムの籠居の項)
 ここも教会のかわりに団体といっている。
 全体的に見て、賀川の『小説キリスト』は『キリストについての瞑想』に肉づけしたものである。



スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

keiyousan

Author:keiyousan
このブログのほかに同時進行のブログもうまれ全体を検索できる「鳥飼慶陽著作ブログ公開リスト」http://d.hatena.ne.jp/keiyousan+toritori/ も作ってみました。ひとり遊びデス。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。