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連載:賀川豊彦の著作ー序文など(第112回)

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「須磨離宮公園にて」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)


   賀川豊彦の著作―序文など

       わが蔵書棚より刊行順に並べる
        
              第112回



    『戯曲・キリスト』
     
      原作・賀川豊彦、脚色・山路英世

      昭和22年8月20日 新日本 335頁


 本書『戯曲・キリスト』は、原作者である賀川の作品を山路英世が戯曲化して仕上げた作品です。本書の冒頭に「キリストと『涙』と私の問答」という、面白い賀川の文章が収められています。

 ここでは、この「問答」を収めて置きます。



    『戯曲 キリスト』


    キリストと「涙」と私の問答


私「盲目の日本の盲目の指導者、私は監房に閉ぢ込められて、日本の落ちて行く将来が心配になる。」
私がそう云つて、独言を云つてゐると、目頭の涙が小さい聲でささやいた。  

涙「実際、日本はだめですよ。すべてに行きつまつてゐる日本に希望なんて持てるもんですか。今に見てゐてごらんなさい。日本全体が涙の洪水にしたる時がありますから。」    

 涙が恐ろしい預言をするので、私は身ぶるいした。私は二昼夜、東京渋谷憲兵隊の独房に端座したまま、横にならず黙祷をつづけてゐた。するとキリストが、魂の内側から姿を現わして、私の肉体を占領し、肉体の内側から、皮ばかりになつてゐる、私と涙に呼びかけた。

キリスト「私はあなたの霊の内側に住んでゐるキリストです。あなたは救いを外側に求めてはなりません。あなたが尋ねない先に私はあなたを尋ね、あなたが愛さないうちに私はあなたを愛してゐいます。私はあなたを誤解のうちに守り、ゴロツキの襲撃に對しても、常に保護し、悪漢のピストル、貧民窟のだらく、無智な軍閥から守つて来て上げたキリストです。あなたは外側の奇跡を信じてはなりません。私は永遠のキリストです。病をいやし、罪人をなぐさめ、亡びた国を興し、背ける放蕩息子を母のもとにかえす愛の力そのものです。」

そ心澄み切つた聲に、私は股の間に突っ込んでいた首をちぢめ、一九〇〇年前、十字架の上に死んだキリストが永遠に人類の悩みを負う強き霊力であることを発見した。御光は私のうちに住むキリストよりさし出て、抜けがらのやうになった私の皮を貫いて、憲兵隊の独房を照らした。それは私にとっては生死を超越した絶対なる信仰である。神の救いの力を経験した、有難い瞬間であった。

 内側に住んでゐてくれるキリストは、真昼でも真夜中でも私の行くところは何處にでも附いて行つてくれる。それで私は如何なる因難にも、如何なる脅迫にも大胆不敵なる行動を取ることに決定した。キリストが内側に住んざゐるのだ。そう思う瞬間、歴史上のキリストは現実のキリストである。晴れに、くもりに、時雨に、暴風雨に私は少しも恐れる必要がない。一九四五年三月九日以後、東京は火の海と化した。その火の海の叫にも私は内側に住み給うキリストを信頼して疎開することを肯じなかつた。私は火の海の中に取り残された最後の悩める者の中に、十字架の愛をたてねばならぬと決心した。

 火の雨が天から降って来た。私の隣保館も皆燃えてしまった。私の軒先きにも数十尺の火柱が立った。私は火の雨をさけるために逃げ廻った。然し私は太陽が出ると、また悩めるものを尋ねて徒歩で数里道を往復した。栄養失調はつづいた。体重の四分の一を失った。然し私は内側に住み給うキリストを信頼して、少しも不安は持たなかった。

 キリストと共に十字架に死ぬのだ。そしてキリストとともに墓から甦るのだ! そんなことを云いつつ、杖にすがりつつもキリストと歩む道をふむことを決心して悩める者を探して歩いた。

 一九四五年八月十五日、日本は完全に敗退した。終戦後、私は暗殺をずるものがあると云うので、私が栃木県の森の中にかぐれた瞬間にも、又キリストは附いて来てくれた。キリストはいつも魂の内側から呼びかけてゐてくれる。キリストの眼は私の眼の内側から見、キりストのロは私のロの内側から、そしてキリストの耳は私の耳が内側から聞いてゐてくれる。キリストは内側に住んでゐてくれる。そして私に限らず、愛に飢えてゐる者に取っては、キリストは必ず、内側から魂の扉を開いて入っていてくれる。ただ魂の扉を開かぬものに取っては、いくら入りたくても、キリストは入って来られない。

 暴風に、疾風に、滅亡に、インフレーションに、人生の波頭がどんなに高くてもキリストは私の魂の内側から必ず守ってゐてくれる。そしてキリストはまた、凡ての日本人を祝せんが為に今日も涙を流して我等の為に祈ってゐてくれる。

 このキリストを紹介する為に私はキリストを小説体に書いて見た。その為、私は二度まで、パレスタインを訪問した。又、フイニキアにも、スリアにも、デカボリスにも行ってみた。そしてキリストが旅行せられたコースを、ずっと廻って来た。その「キリスト」を山路英世君が戯曲化してくれたものが、この一篇である。本当は私自身が戯曲化して、イースタ―やクリスマスの度毎に、日本の民衆に見て貰おうと思ったが、忙しくて書き下せなかったために、山路英世君がものしてくれたのであった。ロマのセントピータ―聖堂は、中世紀の無学な人々に、キリストの戯曲を通してキリストの福音を説いた。私も宗教劇をしようと思って、東京郊外、松沢につくつた教会は、皆ステージ代用の大きなテレスを南側に附けておいた。農村の青年諸君も、自然の舞台を用いて、この戯曲を読みながら、霊魂の内側に住んでくれるキリストを日本に生かしてほしい。

    一九四七年五月二十一日

       賀  川  豊   彦
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