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連載:賀川豊彦の著作ー序文など(第129回)

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「相楽園に於ける山野草展」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)



  賀川豊彦の著作―序文など

     わが蔵書棚より刊行順に並べる
        
            第129回



    『永遠の再生力―十字架宗教の絶対性』


      昭和26年9月15日 新約書房 182頁


 本書『永遠の再生力―十字架宗教の絶対性』は、米国ロサンゼルスのイエスの友会の25周年記念事業として出版されています。

 これには賀川の「序」もあり、武藤富男氏の『賀川豊彦全集ダイジェスト』での「解説」もありますので、ここに収めて置きます。



     『永遠の再生力―十字架宗教の絶対性』

            序


 端折られた葦に、また若芽がふき出した。

 亡びた日本にまた再生の希望が持てることになった。しかし、この敗戦後の六年問は、あまりにも気狂はしい惨憺たるものであった。雨親殺しは培加し、パンパン・ガールぱ蝗の如く群をなして移動した。刑務所は収容力の三倍の犯罪者であふれ、日本全國が貧民窟になってしまった。中國が共産化し、北鮮と満洲が赤軍の占領地となったために、日本の海外貿易は萎縮し、糸へん、金へん、紙へんの悪性インフレは、悪質の恐慌に移行し、出版會社のつぶれるもの、織物問屋の倒産、鐡屋の破産、昨日の栄華は今日の嘆きと変らざるを得なかった。

 唯物脅迫主義は、全日本を蔽ひ、たとひ、講和條約が結ばれても、経済復興の前途が猶暗澹たるものがある。

 全能者の庇護がなければ日本の再生は不可能である。――それでゐて、私は、キリストにある大能者の再生力を信する以上、失望することができない。罪のいやますところにめぐみもいや増す。聖書の記録は恩寵の記録である。悔改めのあるところに必ず再生も保証せられる。

 この再生力を信じて日本は再び立ち上る。

 軒の燕は土をもて巣を作り、秋の初めに南に帰って行く。日本にまだ一握りの土が残り、一塊の小山さへ残って居れば、大能者は、日本の悲しき児らの為に、土もて巣を作り、やがてくる秋の日の巣立ちを待たせ給ふのである。

 國亡びて千九百年目に、イスラエルはパレスチナに婦り、イスラエル民族の独立の旗をあげた。それは、彼らに力があったのでは無い。全く聖書の約束により、全能者への信仰によったのである。

 二十六年前、私ぽ小アジアパレスチナの一角、エルサレムに残ったダビデの城壁の前に立った。散十のユダヤ娘か麻をかぶり、唇を石灰岩にすりつけて、
  「――シオンを再び興し給へ!
   ――この城壁をも一度造りなし給へ!」
と泣きながら、城壁に接吻の唾を以って洞窟をうがってゐた。彼らは千九百年間、この祈りをつゞけて遂にきかれた。 
                 ’
 日本にはこの祈りの悲願をきかなかった。しかし、大能者は再び、日本に独立を保証し、日の丸の國旗を竿の上に高く掲げることをゆるし給ふた。

 されば、大能者よ、日本の罪を赦して新しき國を造らせ給へ! 懺悔も足らず、愛も徹底しない、この高慢な日本を、も一度、みめぐみによりて囲み、みさかえの故に、歴史を貫く、至愛の世界の創設の為めに用ひさせ給へ!

 ひでりが少しつゞけば、天を呪ひ、五月雨が少し長びけば飢饉を憂ふるこの日本民族に、サハラの沙漠に逃れ出たイスラエル民族が、四十年間天よりのマナによって養われた摂理の歴史を教へ給へ!

 試練を受く可くして、あまりにもそのきたはるる日の短かりしこの六年間に、神の愛は未だ徹底せす、唯物意慾のみ國民を風靡したこの悲しみの日に、十字架の真理を心の奥ふかく刻むことを許し給へ!

 無防備、無武装――その新憲法にキリストの歌訓を、そのまま生かさんとする日本民族の理想を将来に、創造主よ、嘗て、あなたが、紅海に於てイスラエルに示し給ひし大能を現し給へ!

 カルバリの山の満月の日の悲しみを三日目に勝利の復活として、世界歴史を書き改め給ひし、再生の神よ、日本の再生を期として、世界歴史にも再生を約束し給へ!

   一九五一・八・十一

      日本再生の感謝の涙に沈みつつ
     
    賀 川  豊 彦
       
         信越高原にて


 附  記

 本書は日本敗戦後、各地で行った私の講演を同志か筆記してくれたのを編集したものである。
 また北米ロサンゼルスのイエスの友が四半世紀に渡る祈りと共に、日本再建の希望に燃え、祈りの中に二十五周年を迎えたその記念事業として、この書を出版し得ることを私は悦ぶものである。彼ら諸兄姉及び、北米全土に散在する日本人同胞の祈りの友に、此處に改めて心よりの感謝の辞を捧げるものである。






       武藤富男著『賀川豊彦全集ダイジェスト』より

        『永遠の再生力』について


 『永遠の再生力』は昭和二十六年九月十五目、東京の新約書房から発行された。これは敗戦後、各地で行なった賀川の講演筆記である。北米ロスアソゼルスのイエスの友が、その結成二十五周年を記念して、その記念事業として出版したもので、巻末には、久保田憲三、藤坂君代、釜薗兵一、国分壬午郎、桝中幸一、境弘、坂田徳一、佐藤久子、末広栄司、恒吉国治、角替美之吉、谷口顕実、横川全助各氏の賀川への感謝と証言と日本再建への祈りの文が附されている。

 この書の内容は必ずしも系統的ではない。第一には、永遠の再生力としてのイエスの堕罪愛を説く。

 次いで『イエスの受難と堕罪愛』を語る。社会共同体の原理、キリストの使命、その人類を救おうとする至誠至愛、人間再生のため、最微者の高挙のための十字架の死、人間の罪を贖うための化身、永遠の贖罪愛のための復活等が語られる。更にイエスの受難の自覚、革命を避けて受難を選び、これを目的、理想となし、神の命令として受けたことか説かれる。

 『その骨くだかれず』の項においてはヘブル書の贖罪思想が説かれている。イスラエルの律法による犠牲の儀式は形式、型、表象であり、イエスの十字架の死はこの表象を完成したものである。ヨハネ伝においては『言は肉休となって我らのうちに宿り給へり』とあり、キリストの一粒の麦としての死は、永遠の生命を与える。キリストの愛に生きたものは死の恐怖をもたない。

 『十字架宗教の絶対性』においてはイエスの受難、十字架上の七言が語られ、『人間悪とその救済』の項では道徳的標準について論ぜられ、絶対的標準と人間的標準とが示される。天から与えられた生命から出発するものは前者である。生命を物と同一視する時は後者となる。罪悪は七つに分類される。第一は神との絶縁、第二は生命への尊敬の喪失、第三は人間に与えられた力の濫用、第四は変化性の乱用、第五は天の方へと成長せず、自分の貪りに耽けること、第六は選択性を失って迷いを起こし宇宙を混乱におとし入れること、第七は宇宙の法則に反し、宇宙目的を知らずに下向きの生活をすることである。これらはいずれも生命の力、成長、変化、選択、方法、目的の七つの要素に関連する。しかし神は常にこうした罪から人間を救おうとしているのである。

 「贖罪愛の哲学」の項においては、神学としての贖罪論を概説し、贖罪要素として、神とやわらぐこと、迷える者が神にかえること、救われて世嗣になること、弱い者が力づけられること、死者が復活させられることをあげる。

 贖罪は、神が痛める部分を回復し、全体を意識し自覚した部分としての個体を、傷ける個体に犠牲として与える、回復した個体が全体に和解するという過程を経てなされる。

 次いで本体論と宇宙論と贖罪論との関係が論ぜられ、更に目的論と贖罪愛とが語られ、贖罪愛の絶対性が主張される。そして贖罪愛を具現して、苦悩の底に陥った日本の民衆に救いの愛を実践したいという。

 『人生創造と文化創造』の項においては 『古きはすでに過ぎ去り、見よ、新しくなりたり』という聖句を主題にして、キリストによる人生再創造をするとともに、伝道だけでなく、学問に、政治に、経済にキリストの精神が浸透しなければ、日本は破滅するよりほかにないと主張する。

 『ギリシャ文明は何故キリスト愛に降伏したか』の項においては、ギリシャ文化の歴史を述べ、ギリシャの宗教を説き、ギリシャ人は良心なきギリシャ本来の宗教に満足せず、結局良心宗教であるキリスト教に帰依したのであると述べる。

 『キリストの奉仕精神』の項においては、キリストの宗教が祭祀宗教でなく、意識宗教であるため、神と一つになった時、はじめて発意的奉仕ができる、キリストの愛には救貧、防貧、福利の三つが入っており、奉仕の歓喜がある。キリスト自らの生活が生きた隣保館であったともいえると説く。

 『キリストと経済生活』の項においては、天国に積む宝が強調され、『宗教はキリスト、実践は共産党』(これは当時赤岩栄が信仰はキリスト、実践はマルクスといったことから来たものであろう)という考え方をまちがいであるとし、神は生命と労働と人格を地上において神の国出現のために資材として用い給うので、人間は神の使用人として神から委託されているものを喜んで増大し、これを倍加し増殖するよう計らねばならぬ、キリストは利益を神に返すよう示していられるから我々は発明発見をし、助け合いによって神に利益を返すことができると説く。

 『キリスト精神と教育革命』の項においては、マルクスとペスタロッチを比較して論じた後、学校教育の矛盾を突き、宗教家教育家たる者は七つの点において教育を実施すればよいと提唱する。それは生命尊重の教育、自然愛の教育、勤労愛の教育、博愛の教育、組織化の教育、敬虔の教育である。

 『キリスト精神による学問と勤労の調和』の項においては、友の会(クエーカー)、メノナイト、セブンスデー・アドヴェンチスト、ユナイテッド・ブラザレンの沿革とその信徒たちの生活と勤労と奉仕とを述べ、キリスト教による勤労教育を強調している。またム―ティー神学校その他三つの大学における勤労教育を紹介している。

 『キリスト精神と民主主義』の項においては、書経と易経とを論じた後、易とは変化の哲学であり、天に従って変って行くことを説いたものであるといい、イエスは易経の教訓を完全にそなえた方であると結論する。

 次いでイエスの生活を示し、下座奉仕の道、神第一の生活、自己否定、洗足の精神について語り、戦後の民主主義はこうした精神に基づかねばならぬと論ずる。

 最後の『神の国運動よりキリストの運動へ』は一九二八年から始められた神の国運動の実績を示し、一九三二年に至り、次いで日本の政情の変化により伝道が困難となり、二二六事件以後、次第に迫害が加わり、第二次大戦勃発するや、宣教師の引揚げ、教会の閉鎖、ホーリネス教会の牧師たちの逮捕が起こり、賀川白身も東京憲兵隊に拘束され、キリスト教の講演を禁ぜられてしまい、瀬戸内海豊島に隠棲したが、戦後となって一九四六年六月九日、青山学院に全国信徒大会が開かれキリスト運動が決議され、戦後の食糧、交通の困難の中を全国に伝道しまわり、一年十ヶ月の間に九百八十七回の集会をいとなみ、五十六万四千九百三十八名の聴衆を与えられ、一九四九年末までの間に二十万名の決心者を与えられたことを述べている。

 当時共産党の勢は盛んになりつつあったがその中で賀川の運動は力強く展開された。
 賀川はこの運動において、この際奮起して日本に十字架精神が徹底するよう努力すべきを説き、神の霊火が日本に燃え上がることを祈るのであった。

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