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連載:賀川豊彦の著作ー序文など(第131回)

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「神戸・相楽園の旧ハッサム住宅」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza/rakuten.co.jp/40223/)


   賀川豊彦の著作―序文など

       わが蔵書棚より刊行順に並べる
        
              第131回


    『聖書の話』


     昭和27年3月30日 要書房 205頁


 本書『聖書の話』は、最初「要選書」のひとつとして刊行された後、昭和32年には社会思想研究会出版部より「現代教養文庫」に納められたことから、晩年の賀川の作品としては、長く人々の手に渡った好著でした。この作品も鑓田研一氏の協力で仕上げられています。

 残念ながら賀川豊彦全集には入っていませんが、先に上げた『キリスト教入門』と共に重要な作品と思われます。

 ここでは要書房版の「序」に加えて、文庫版の賀川の新たな序も取り出して置きます。



        『聖書の話』

          序


 古き低気圧が去って、新しき低気圧が来襲する。人間の低迷が、深度を加えると共に、新しき低気圧の頻度は激しくなる。
      。
 第二次世界大戦は過ぎて、また第三次世界大戦が準備されている。十一世紀に始まった十字軍の頻度と同じ歩調で世界戦争が来るのかも知れない。それにしても、悲しきは人間の無智と狭量である。その悲哀を貫いて、なお変わらざるは宇宙創造主の慈愛の深さである。人間が神に反逆すればするほど、その罪悪を越えて人類再生の途を開いて下さる。罪のいや増すところに恵みもいや増し、もう世界の週末かと思われる時に、また春の芽生えが、黒土の下に準備されている。

 めぐみの記録はかくして、歴史を貫く天啓となり、これが綴られてユダヤ民族の体験として、恩寵史は書かれた。これが旧約聖書である。その恩寵史を意識の上に乗せ、天父の慈愛を人間社会に生かす場合に、罪をも赦す「血肉」の運動として、他人の為めに、「血」となり「肉」とならねばならぬと贖罪愛の地上生活を書き出したのがイエスであった。彼は「神」の愛の受肉者として地上を闊歩し、神の國を地上に縫いつけたのであった。これが新約聖書である。

 人類がイエスに同化すれば、地上に神の國が来るのは必然であり、人類史は、全人類がイエスの如き意識に到達する日に、神のるを地球上に顕現させ得名のである。

 この意味において、私は聖書のあらゆる批評を歓迎する。然し、それらの低等、高等……文學的、思想的の凡てを越えて、私は、更に神と私とを如何に結びつけてくれるかという点から聖書を涜む。それで、思想の時代的発展以上に、私を天に引上げてくれるものを私は探す。で、それが年代的にどうであろうと、私が歴史の頂点に立っていると考えている以上、私は、歴史の中にこみあげてくる神の恩寵の高潮に、私が乗っていることを自覚すれば、それで、私はその聖霊のみめぐみに凡てを委ねる。

 この本は、聖害の一章一節の意味をこまかに解きあかした註解書ではない。註解書なら私の先輩や友人の書いた本がすでに何十冊、何百冊といって出ているから、それを読んでもらいたい。私は、旧約聖書と新約聖書を構成する、両方あわせて六十六巻の記録について、各巻の根本的な主題と、思想の特質と、登場人物の風貌を明かにすることを主限とした。
 
 友人鑓田研一氏の協力がなかったら、私は時間的にこの本の執筆に困難を感じたであろう。ここで同氏に心からの謝意を表する。

  一九五二年二月二十二日
        
        賀  川  豊  彦


         現代教養文庫

         文庫版への序


 原子力時代に生れあわした私たちは、あたらしい恐怖と文明の終末を予覚させられる。この文明の崩壊は創造主が宇宙と人類をつくられた目的であったろうか?

 原子力時代の悲劇は神を否定し、社会協同体をふみにじり、唯物主義と、暴力と、肉慾のみを肯定するところの神への反逆にはじまる。過去は過去に葬ればよいですまされない。良心がうずく。創造主がかくまで、宇宙を美しくつくり人類を愛し育てて下さった大愛にたいして、責務を感じる。

 新宇宙の再創造のためには、世の始まりから今日にいたるまでの建設についやされたエネルギーを弁償せねばならぬ。そう神と人との間にはさまって悶えたのがナザレの大工イエスであった。その総対的連帯意識に目ざめた贖罪愛の発展史が「聖書」全巻の記録である。

 それは階級意識ぐらいの局部的なものではない。イスラエル民族解放史のかげに天地の創造主がひそんで助けてくれた。神は解放者だというのが旧約聖書の編まれた理由である。その解放者にすまない道徳的堕落がイスラエル民族の良心をむしばんだ。それが民族興亡史の背景として『精神覚醒史』が書かれた理由であった。預言者の声を旧約聖書が集録し、その究極の完成者としてのイエスの贖罪愛の死と、その死を突破しだことを新約聖書は教えてくれる。

 新約聖書の教えるところは、天の父なる全能者は人間の罪悪と欠点にたいする協同の責任を感じ、連帯責任をとり、神のなやみを神の子としてひきうけたその自覚の悲痛なる嘆きを福音書として記録した。

 しかし、原水爆のなかった古代ローマ時代は人類の終末とならずにすんだ。だが、今はそんな生やさしい時代ではない。われらはもういちど聖書をかみくだいて味わい、あたらしい時代の贖罪愛と、あたらしい時代の再創造のために、あたらしい復活を準備せねばならぬ。

  一九五七・二・二七
         
         賀 川 豊 彦
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